第17話 告白に確率はありますか
「告白が成功しやすいタイミングはありますか」
悠斗は相談の1行を読み、顔を上げた。
琴音も同じ紙を見ていた。二人とも、まだ何も言っていない。
部室の時計が一度だけ音を立て、白石が窓の外で待っている。今日は試験前のまとめ収録なので、余裕はあるが長く止まるわけにもいかなかった。
「成功の意味も、人によって違うね」
悠斗が最初に言った。
「交際が始まることを指していると思う」
「うん。たぶん、そうだよね」
琴音はペンを動かした。
「相手が忙しいときや、人に見られて断りにくい状況は、避けたほうがいいと思う」
「落ち着いて話せる時間を取る、かな」
「ただ、条件がそろえば必ず望んだ答えが来るわけではない」
悠斗はうなずいた。
その条件なら、自分もいくつか知っている。琴音の講義が少ない日、書店の勤務がない日、反省会の後。二人で落ち着いて話せる場所だってある。
琴音は相談文の後半を指した。相手へ返事を迫りたいのではなく、今の気持ちを知ってほしい、と書いてある。
「この人は、もう伝えたい理由を持ってる」
「うん。だから、失敗しない方法が欲しいのかな」
「失敗をなくすことは、私たちにもできない」
彼女は言い、回答の候補から成功率という単語を消した。
悠斗はその動きを見た。何かを確実にしてもらうために相談した人へ、確実にできないと言う。それでも突き放さず、一緒に考える方法はあるのだと思った。
なのに、言えずにいる。
タイミングだけが問題ではないのだと、彼自身が一番よく分かっていた。
「言われる側にも、考える時間はあるからね」
彼が言うと、琴音は顔を上げた。
「すぐに返答を求めない、ということ?」
「うん。その場で決めないといけないみたいにしないほうがいいと思う」
琴音はその言葉を書いた。
「告白する人も、返事を待つ準備が必要なんだね」
「たぶん」
悠斗は自分の曖昧な返答を聞いて、少し笑った。いつも他人へ話していることが、今日は一つずつ自分に向かってくる。
収録が始まると、相談者の詳しい状況が読み上げられた。よく一緒に帰る相手がいる。誘えば二人で出かけることもある。好きだと言いたいが、今の関係が変わるのが怖い。
悠斗は質問の後で台本を置いた。
「一緒にいる時間が大事だと、変わることも怖くなりますよね」
琴音が静かにうなずいた。
「今の関係を大事にしたいから、伝えない選択もあると思います。ただ、自分が本当はどうしたいのかを、その理由だけで隠してしまわなくてもいい」
彼はそこまで言って、少し息をついた。
「自分の希望を伝えることと、相手に同じ気持ちを求めることは、別なので」
琴音の指先が紙の上で止まった。悠斗はその動きを見たが、意味までは考えないようにした。
「関係性や状況は、整理する価値があります」
彼女は続けた。
「でも、相手の気持ちを確実に知ってから伝えようとすると、いつまでも確かめられないこともあります。相手の意思を推測だけで決めないために、伝える方法もあると思います」
その言葉に、悠斗は彼女を見た。
琴音はマイクへ向いていた。声は落ち着いているのに、いつもより台本を見ていない。
「では、確実ではなくても?」
悠斗が問いを返した。
「うん。確実さだけを条件にしなくても」
彼女はこちらを見た。
悠斗はその視線を長く受け止められず、相談文へ目を戻した。
締めの後、白石が録音を止めた。しばらく誰も話さなかったので、彼が画面を見ながら聞いた。
「最後の間、少し長く残しますか」
「長かった?」
琴音が尋ねると、白石は再生して確かめた。
悠斗と琴音が互いの返事を待っている、短い静けさが流れた。
「考えている感じはあるので、全部切らなくてもいいと思います」
悠斗は賛成した。琴音もうなずいたが、その後で水を飲む動きが少し急いでいた。
編集の間、二人は回答を聞き直した。
自分の希望を、その理由だけで隠してしまわなくてもいい。
悠斗は自分の声を聞いて、机へ手をついた。他人への言葉なら、こんなに簡単に出る。それなのに、自分は琴音を困らせたくないと考え、何も伝えていない。
彼女の気持ちを尊重しているのか。それとも、断られるのが怖い自分を守っているだけなのか。
どちらか一つではない気がして、悠斗は答えを出せなかった。
「ここ、直したい?」
琴音が尋ねた。
「いや。このままでいいと思う」
「考え込んでいたから」
「自分で言うのは、難しいなと思って」
彼女はペンを置いた。
「相談に答える言葉と、自分が使う言葉は、違うのかな」
「違うというより……使う勇気が、別にいるのかも」
琴音は黙ってうなずいた。その返事を聞いて、悠斗は今なら何か言えるかもしれないと思った。
琴音と二人でいる時間が好きだ。仕事が終わっても会いたい。
そこまでは、もう何度か伝えている。それより先を、今、言うのだろうか。
「琴音、俺――」
声をかけると、彼女は顔を上げた。
そのとき白石が、公開用の音量を確認できたと知らせた。
悠斗は言葉を止め、画面へ向いた。
「ありがとう。確認しよう」
琴音も椅子を寄せた。彼女が何か言いかけたのは見えたが、声にはならなかった。
喫茶店では、試験の予定を確認した。
通常の配信を止めないために、収録を少し早め、公開前の確認も余裕を持って行う。琴音は学部の課題も重なっていて、手帳に書かれた時刻がいつもより細かい。
「大変そうだね」
悠斗が言うと、彼女は首を振った。
「決まっているものは、順番にできるから」
「でも、休む時間もいるよ」
「それも入れてる」
琴音は欄の1つを指した。短い空白だった。
悠斗はそこに反省会の時間を使わせているのではないかと気になった。彼女は自分で来ると決めている。それは分かっているのに、好きだからこそ、彼女の負担を減らしたくなった。
「次の台本、俺が先に整理しようか」
「分担しているところまで?」
「俺のほうが、今週は余裕があるから」
琴音は少し考えた。
「では、候補を読むところをお願いしてもいい? 公開用の確認は、私もする」
「うん。分かった」
その場では、ちゃんと二人で決めた。
悠斗は彼女がカップを持つとき、指を一度ほぐしたのを見た。肩も少し固そうだった。見れば見るほど、まだ自分にできることがある気がした。
「今日、早めに帰ろうか」
彼が言うと、琴音は顔を上げた。
「もう?」
「疲れてると思って」
「……そうだね。課題もあるし」
彼女は資料をまとめた。悠斗はそれでよかったと思いたかったが、彼女の返事が少し小さくなったのが気になった。
店を出ると、夕方の光がまだ通りを照らしていた。二人はいつもの角まで歩き、そこで別れた。
悠斗は最後に何か言いたくなった。さっき収録中に話した、自分の希望を隠さなくてもよい、という言葉が頭にあった。
「琴音、今日……」
彼女が振り向く。
「何?」
会えて嬉しかったと言えばよかった。もう少し一緒にいたかったと伝えればよかった。
しかし彼は、課題があると言った彼女を引き止めたくなかった。
「無理しないでね」
琴音は一度だけ目を伏せた。
「久瀬くんも」
互いに同じような言葉を返し、それぞれの道へ進んだ。
帰宅してから、悠斗は次の相談候補を開いた。自分が先にやれば、彼女は少し楽になる。そう考えて、予定より多くの投稿へ目を通した。
その日、収録で二人が語った告白のタイミングについて、彼は最後まで自分の答えを出せなかった。
相手が忙しくないとき。落ち着いて話せるとき。返事を急がせないとき。
条件は増えていくのに、自分が本当に伝えたい1行は、まだどこにも書いていなかった。




