↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱育成師、追放された先で禁忌進化のモンスターを育てる  作者: 浅入燈馬


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/30

第7話 青白い森の夜

地下の闇の中で、僕は数えていた。


ぼう。……ぼう。


七呼吸。


さっきまでは八呼吸だった。確実に、間隔が詰まっている。


ポッチの黒い体は、石の床に溶けるように沈んでいる。表面の刻印だけが、淡く光っては消えた。


ぼう。……ぼう。


六呼吸。


「……速くなってる」


呟いた声が、石壁に吸われた。


窓の外の青白い光。北東への呼応。そして、この加速。


偶然のはずがなかった。


階段の上から、控えめな足音が降りてくる。


「入るわよ。裏口、主人が開けといてくれてた」


シルヴィアだった。外套の裾に夜露をつけて、弓を肩に掛けている。


「あのおじさん、『静かにしろよ』しか言わなかったわ。優しいのか、面倒くさいのか、分かんない」


「両方だと思う」


「かもね」


彼女は僕の隣にしゃがみ込み、ポッチを覗いた。刻印が、ぼう、と光る。


「……きれい」


「今、六呼吸だ。さっきまで八だった」


「それって、まずいの?」


「まずくはない。近いだけだ」


「近い、か」


彼女は黙った。唇が、きゅっと結ばれる。


「坑道、見てくる」


「え」


先に言われて、僕は目を瞬いた。


「顔に書いてあるのよ。確かめたいけど、ポッチから離れられないって」


「……そんな顔してたか」


「してた。すごく」


図星だった。


行きたかった。自分の目で、あの光を確かめたかった。昔から、そうだ。誰の言葉も信じきれなくて、自分で見ないと気が済まない。


でも、今夜は違う。


僕はポッチの傍にいなきゃいけない。


「……頼めるか」


声が、少し掠れた。


「え?」


「偵察を。坑道の入り口だけでいい。奥には入らないでくれ。光の様子と、刻印がどうなっているかを、見てきてほしい」


「…………」


「僕はここを離れられない。だから、頼む」


言い切って、喉が鳴った。


頼むのは、まだ苦手だ。胸が、どくどくと鳴っている。


シルヴィアは、きょとんとしていた。


それから、ゆっくりと口の端が上がった。


「……はじめてね」


「何が」


「あんたが、あたしに『頼む』って言ったの」


「そう、だったか」


「そうよ」


彼女は、嬉しさを隠そうとして失敗した顔をしていた。


「別に、嬉しくないから。仕事として受けるだけ」


「分かってる」


「本当に?」


「本当だ」


「……ならいい」


立ち上がって、外套の前を直す。


「夜明け前に戻る。それまで、ポッチを頼むわね」


「ああ」


「無茶、しないこと」


「しない」


「約束よ」


階段を上る足音が、すぐに闇に消えた。


---


一人になった。


地下は、驚くほど静かだった。


自分の呼吸と、ぼう、と光るポッチだけ。


僕は壁にもたれ、膝を抱えて座った。


あの夜も、こんなふうに暗かった。


六歳。クローゼットの中。扉の隙間から見えた、赤い光。


動けなかった。声も出せなかった。


ただ、見ていた。


――見ているだけの人間は、価値がない。


ずっと、そう思ってきた。


「でも」


指先で、ポッチの近くの石床に触れる。冷たかった。


今、僕がここにいるのは、見ているだけだからじゃない。


壁を冷やした。石の鮮度を守った。主人に頭を下げた。温度が上がったら、場所を探した。


何もしなかった子どもの僕とは、違う。


「……見守る、のか」


声に出して、言葉の形を確かめた。


見ている。ただ、見ている。


けれど、そこに「守りたい」があるなら。


それは、傍観とは違う。


「お前を、見守ってる」


ぼう、と刻印が光った。


偶然か。それとも、聞こえたのか。


ふっと、目の奥が熱くなった。生態眼のせいじゃない。


涙が滲んだだけだった。


「……ばか。泣いてる場合じゃない」


袖で目元を拭った、その時。


ぼう、ぼう、ぼう、ぼう。


光が、一気に速くなった。


「っ!」


数えるどころじゃない。四呼吸。三呼吸。二呼吸。


刻印が、ポッチの体全体に広がっていく。


円と線の重なりが、何重にも。何十にも。


黒い体を縫い取るように、淡い光の模様が走る。


地下の空気が、変わった。


ひやりとしていたのが、ぴんと張りつめる。耳の奥が痛い。まるで、空気全体が息を止めたみたいに。


僕は立ち上がりかけて、やめた。


近づいてはいけない。邪魔をしてはいけない。


進化は、安全な場所でしか起きない。


僕にできるのは、ここで見守ることだけだ。


拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。


【生態眼】を使えば、きっと全部見える。


けれど、僕は目を閉じなかった。目を開いたまま、肉眼のまま、ただ見つめた。


---


どれくらい経っただろう。


階段の上から、慌ただしい足音が降りてきた。


「レン!」


飛び込むように、シルヴィアが駆け下りてくる。


息が、荒い。


走ってきたのだ。森から、ここまで。


蝋燭も持たず、薄い布越しの灯りだけが、彼女の姿を浮かび上がらせていた。


革の胸当ては、汗でぐっしょりと濡れていた。肌に貼りついた布の下で、おっぱいが大きく上下している。走ってきた余韻で、呼吸のたびにたぷん、と重たげに揺れ、谷間を汗の筋がつうっと伝って落ちていった。


視線が、そこに吸い寄せられかけて、慌てて剥がした。


ショートパンツから伸びた太ももは、枝に引っかかったのか、うっすらと赤い擦り傷が走っている。汗に濡れた生足が、薄明かりに艶めいて見えた。


外套の裾が捲れて、腰のあたり、革紐の下から白い下着の縁が、ちらりと覗いている。


「っ……見てないぞ」


「何を」


「……何でもない」


「ふうん?」


荒い息の合間に、彼女は片眉を上げた。が、すぐにそれどころじゃないと首を振る。


「報告、していい?」


「頼む」


「坑道の入り口。木枠の、あの刻印」


彼女は唾を飲み込んだ。


「光ってた。青白く。あんたのポッチの体と、同じリズムで。ぼう、ぼうって」


「同じ……」


「ええ。あたしが着いた時はまだ、ゆっくりだった。それが途中から、急に速くなって。ちょうど、今のこの子みたいに」


シルヴィアは、ポッチを見下ろした。刻印が、びっしりと体表を埋め尽くしている。


「それで、ふっと消えたの。坑道の光が。ついさっき」


「消えた……」


僕は、ポッチを見た。


そう言われてみれば。


ついさっきまで速かった明滅が、いつの間にか、ぴたりと止まっていた。


刻印は消えていない。光りっぱなしだ。途切れず、淡く、安定して、輝き続けている。


「向こうの光が消えた時に、こっちは点きっぱなしになった」


「つまり」


「……ポッチが、持っていった、のか」


言ってから、背筋に寒気が走った。


何を。


分からない。


「それと」


シルヴィアが、声を落とした。


「人影は、なかったの。誰もいなかった。……でも」


「でも?」


「見られてた。何かに」


彼女は自分の腕を、抱くように握った。


「獣が寄りつかない理由、分かった気がする。あそこ、目に見えない何かが、ずっとこっちを見てるのよ」


胸の谷間に汗が溜まって、ぬらりと光る。腕に挟まれて形を変えたおっぱいが、むにゅりと盛り上がった。


本人は気づいていないらしい。真剣な顔で、森の方向を睨んでいる。


「……シルヴィア」


「何」


「怖かったか」


「…………」


少し間があった。


「怖かった」


素直な声だった。


「でも、あんたが頼んだから。ちゃんと見て、帰ってきたかったの」


僕は、無意識に手を伸ばしていた。


彼女の指先が、冷たく震えていた。包むように握る。


「……ありがとう」


「ちょ、何」


「戻ってきてくれて」


「…………」


彼女は、握られた手を見つめて、それから、ふいと顔を逸らした。


耳の先が、真っ赤だ。


「別に。頼まれたから、だし」


「ああ」


「勘違いしないで」


「分かってる」


「…………手、離さないの?」


「離したほうがいいか」


「……このままでいい」


最後は、消え入りそうな声だった。


その時だった。


ポッチの体が、一度、大きく膨らんだ。


「!」


息を呑む。


黒い塊が、倍近くに脹れた。刻印の隙間から、漆黒の光が漏れ出す。


光、なのか、闇、なのか。


分からない。ただ、見ているだけで目が吸い込まれそうな、底の見えない黒。


握った手に、力がこもった。シルヴィアの指も、強く握り返してくる。


「レン……」


「大丈夫だ。見てる」


僕は目を逸らさなかった。


地下の闇の中、二人で並んで、息を止めて。


その瞬間を、見届けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。