第4話 進化条件を解く三日間
一日目の朝。
僕は屋根裏の窓という窓に、黒い布を釘で打ちつけた。
隙間は古着で塞ぐ。机の上には木箱と砂時計、それに白紙の束。
「実験を始める」
ポッチは床の隅で、ぷるんと揺れた。
条件は三つだ。
完全な闇。蝋燭一本ぶんの薄明かり。月明かりを模した、布越しの淡い光。
石は一日一個。それを三つの環境で、時間を変えて試す。
「まず、闇だ」
箱から石を一つ出し、床に置く。蝋燭を消した。
真っ暗だ。自分の指先も見えない。
耳だけが頼りだった。しゅう、という細い音。ポッチが石を取り込んだ。
砂時計をひっくり返す。
とく。とく。とく。
脈の音が、静寂の中で聞こえる気がした。気のせいかもしれない。でも、数えた。
石が溶けきるまで、砂時計で一回と少し。
次は薄明かり。三回目は、淡い光。
結果は、メモに並んだ。
闇 :砂時計一回と少し。脈は短い。
薄明かり:砂時計二回半。脈は乱れる。
淡い光:砂時計二回。脈はやや安定。
「……やっぱり、暗いほど早い」
予想通りだ。
だが、ペンが止まった。
闇の中のポッチは、石を早く溶かした。それなのに、体の動きが妙に鈍い。取り込んだ後、ずっと同じ場所で固まっている。
「満足してない、のか?」
食べた。溶けた。脈も短くなった。
なのに、安定していない。
暗さだけじゃ、足りない。
そこまで書いて、僕は鉛筆を握りしめた。
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その日の夕方、階段を乱暴に上がってくる足音がした。
「おい、レンさんよ!」
宿の主人だった。禿げ頭の大柄な男が、扉を開けるなり鼻をひくつかせる。
「なんだこの部屋は。窓全部塞いで、昼間から真っ暗じゃねえか。それに、そこの黒い石」
「観察に必要なんです」
「気味が悪いんだよ! あの石、どこから持ってきた」
「森の奥から」
「森の……まさか、坑道か?」
主人の顔色が変わった。
「やめとけ。あそこは触っちゃならん場所だ」
「何か、知っているんですか」
「知らん。ただ、爺さんの代から言われてる。あの坑道は、昔、何かを封じたって話だ。何を封じたかは、誰も知らん。……だから、石は持ち込むな」
「出ていけ、ということですか」
「そうは言わんが」
主人は口ごもった。僕は机の上の紙束を、そっと差し出した。
「見てください」
「あん?」
「一日分の観察記録です。石は木箱の中で、光に触れさせていません。部屋の外には漏れない。この子は、他の宿泊客に何も迷惑をかけていません」
「……」
「ひと月分の宿代を、先払いします。壊れたら弁償します。だから、半年だけ、置かせてください」
「半年、か」
主人は紙束をぱらぱらとめくった。
字は汚い。だが、びっしり書いてある。
「……お前、これ全部、ひとりで書いたのか」
「はい」
「あのスライム、そんなに大事か」
「分かりません。でも、見たいんです」
主人は長く鼻から息を吐いた。
「木箱から、一歩でも石をはみ出させるなよ。それと、夜中に妙な音を立てるな」
「はい」
「あと、飯は食え。ガリガリじゃねえか」
ぶっきらぼうに言い残して、彼は階段を降りていった。
……許された、のか。
僕は椅子にへたり込んだ。数字も鑑定もないのに、記録が人を動かした。
それが、少しだけ嬉しかった。
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二日目は、温度を試した。
床の半分に厚手の毛布を敷く。もう半分は、むき出しの板張りのまま。北側の壁際は、夜になると冷えるのだ。
ポッチを、真ん中に置く。
暗闇の中、どちらへ行く?
僕は息を詰めて待った。
ずる、ずる。
湿った音が、板の上を這っていく。
……毛布じゃない。
僕は手探りで蝋燭に火を点けた。灯りの中で、ポッチは北の壁際、むき出しの板の上で止まっていた。
「冷たい方、か」
スライムは普通、熱を好む。毛布の上のほうが快適なはずだ。
それなのに、ポッチは冷えた場所を選んだ。しかも、一番冷たい壁の根元だ。
その時、見えた。
ポッチの体の表面に、一瞬だけ、細い線が走った。
円と、線の重なり。
坑道の入り口の木枠にあった、あの刻印に似た模様。
「……っ」
瞬きしたら、消えていた。
見間違いか。いや、確かに見た。
僕はメモに、模様の形を描き留めた。意味は、分からない。
それから、仮説を立てた。
「冷たさが条件だ。暗くて冷たい場所。これが、鍵のはずだ」
早速、石を一つ置いてみた。
ポッチは石を溶かした。
脈が、安定した。
「やった」
小さく声が出た。だが。
夜が更けるにつれて、様子が変わった。
脈の間隔が、また乱れ始めた。体の動きも鈍くなる。
「なんでだ。冷たい場所で、食べたのに」
床の温度を測り直す。蝋燭を消す。もう一度。
乱れる。安定する。乱れる。
三時間、繰り返した。
結論は出なかった。
「……くそ」
鉛筆を投げた。
だめだ。
一日目も、二日目も、答えが出ない。
目の奥が、じりじりと熱い。頭のどこかで、声がした。
――使えばいい。
生態眼を開けば、あの線が見える。何が足りないのか、一瞬で分かるかもしれない。
「……やっぱり、見ているだけじゃ」
声に出しかけて、口を閉じた。
見ているだけの人間は、価値がない。そう思って生きてきた。
でも、今、僕が見ているのは、本当に「見ているだけ」か?
記録を取った。仮説を立てた。環境を変えて、確かめている。
それは、ただの傍観じゃない。
「……もう一晩だ」
僕は鉛筆を拾い直した。
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三日目の夜。
記録を、最初から読み返した。
闇では、石の消化が早い。でも、動きが鈍い。
冷たい場所では、脈が一度は安定する。でも、続かない。
ポッチは暗闇も、冷たさも求めている。
ならば。
「……同時に、じゃないのか?」
ペンが走った。
これまでの実験は、条件を一つずつ変えていた。
闇だけ。冷たさだけ。
でも、ポッチが本当に求めているのは、その組み合わせなのではないか。
しかも、完全な闇で、床が冷えきった場所で。
石の鮮度が落ちないうちに。
僕は慌てて立ち上がり、窓の布を一枚残らず確かめた。隙間を塞ぎ、蝋燭を消す。床の北側の板を、濡らした布で拭いて冷やした。
真っ暗な中で、石を置く。
ポッチが、動いた。
ずる、ずる、と、冷えた板の上へ。
しゅう。
石が溶けていく。
とく。とく。とく。
脈が、一定のリズムを刻み始めた。
さっきまでの乱れが、ない。
砂時計の砂が落ちきっても、リズムは変わらない。ポッチの体は、板の上でぴたりと止まって、静かに、深く、黒く染まっていく。
背筋が、ぞくりと粟立った。
「……これだ」
暗さ。冷たさ。鮮度。
三つが揃って、はじめてポッチの体は「落ち着く」。
「わかった!」
思わず、叫んでいた。
ドン!
下の階から、床を突く音が響いた。
「うるせえ! 夜中に妙な音を立てるなって言っただろ!」
「す、すみません!」
慌てて小声に戻る。
でも、頬が緩むのを止められなかった。
暗闇の中、ポッチの脈が静かに響いている。
とく、とく、とく。
答えが出た。
数字じゃない。鑑定でもない。
僕が、見て、考えて、確かめて、辿り着いた答えだ。
……一瞬だけ、確かめたい。
生態眼を開けば、きっと線がどうなっているか分かる。この仮説が正しいのか、決定的な証拠が見える。
目の奥が疼いた。
でも。
僕は、ゆっくりと首を振った。
「やめよう」
確認は、しない。
使わなくても、見えた。これは、僕の目で見つけた答えだ。
もし間違っていたら、明日また、記録で確かめればいい。
「信じてるぞ、ポッチ」
闇の中で、ぷるんと柔らかい揺れが、僕の指先に触れた。
その時だった。
こつ、こつ。
窓を叩く音がした。
僕は反射的に振り向く。
黒い布の向こう。
「……レン、いる?」
聞き覚えのある声が、細く滑り込んできた。
窓の外から、シルヴィアの声だった。




