第25話 辺境の外れの家
朝の食堂で、薬草の束を仕分けていた。
乾いた葉を、種類ごとに紙へ分ける。シルヴィアは向かいで、無言のまま茎を揃えていた。
「ガルムのこと、聞いたのか。薬屋で」
「うん。ごめん、先に言わなくて」
「いや」
「あたし、昔の育成師の話が気になってたの。ポッチのこと、あんたに言う前に、確かめたかった」
「確かめて、どうだった」
「家は、町の北西の丘の向こう。人は寄りつかない。それだけ」
彼女は手を止めた。
「会いたい?」
「分からない」
正直に答えた。
「会えば、答えが聞けるかもしれない。でも、聞きたくない答えかもしれない」
「じゃあ、まず、見るだけにしましょ」
「見る?」
「遠くから。それなら、何も壊れない」
僕は頷いた。
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町の北西の丘は、風が強かった。
草が、波のように倒れては起き上がる。登りきると、視界がひらけた。
谷の向こう、遠く小さな一軒家があった。
石積みの低い家。煙突から、細い煙が真っすぐ立ち昇っている。家のまわりには、手入れされた畑。柵には、古い革の鞍が掛けられていた。
人影はない。
「静かだな」
「ええ。でも、手は入ってる」
シルヴィアが、目を細めた。
「畑の畝、まっすぐ。草も抜いてある。生きてる人の暮らしよ」
「一人暮らしなのに、鞍が」
「使う相手がいたのよ。……昔は」
その言葉に、胸が、小さく軋んだ。
家の前に、檻が見えた。
小さな鉄の檻だった。扉は閉ざされ、錠が掛かっている。
中は、空だった。
「空の檻」
「ええ」
「鍵までかけて、手入れしてる」
「いなくなった子の、場所を、残してるのね」
僕は、じっと檻を見つめた。
遠すぎて、扉に何か刻まれているのかどうかは、見えない。ただ、扉の中央あたりに、くすんだ印のような影が、ある気がした。
記録帳には、『空の檻。錠あり。扉に印の可能性(遠くて不明)』とだけ、書いた。
畑の隅に、白いものが見えた。
小さな花が、いくつも、風に揺れていた。
「……花」
「え?」
「白い花だ。五弁の」
シルヴィアが、はっとした顔をした。
「塚に供えられてたのと、似てる」
「断定は、できない」
「でも」
「ああ。似てる」
遠すぎて、花びらの縁が黒いかどうかまでは、分からない。
僕は、それ以上、決めつけなかった。
その時、家の戸が、きしんで開いた。
背の高い老人が、一人、外に出てきた。
白髪が、風に乱れている。背筋は、まっすぐだった。手には、小さな桶。畑のほうへ歩いていく。
顔は、見えない。
けれど、その背中は、どこか、ひどく疲れていた。
桶の水を畑に撒いて、老人は、ふと立ち止まった。
空の檻のほうを、見た。
しばらく、動かなかった。
それから、ゆっくりと、檻の前まで歩いていった。扉に、手を伸ばして、触れた。
その指先が、扉の中央を、そっと撫でた。
愛おしむように。
謝るように。
僕は、息を止めていた。
老人は、やがて、手を離して、家の中へ戻っていった。
戸が、閉まった。
煙突の煙だけが、変わらず、立ち昇っていた。
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「……行こうか」
シルヴィアが、小さな声で言った。
「ああ」
丘を降りる足取りは、重かった。
しばらく、二人とも黙っていた。
「ねえ、レン」
「ん」
「怖い?」
唐突だった。
僕は、少し考えた。
嘘は、つきたくなかった。
「怖い」
「うん」
「あの人が、悪い人に見えたわけじゃない。ただ、あの背中を見て」
言葉を探した。
「僕も、あの背中に、なるかもしれないと思った」
「ポッチのこと?」
「ああ。禁忌に近づくかもしれない。そうしたら、僕も、檻の前で、立ち尽くすかもしれない」
足が、止まった。
風が、草を鳴らした。
「あたしも、怖い」
シルヴィアの声が、小さかった。
「え」
「怖いのよ。あんたが、あの人みたいになるのも。それから」
彼女は、そこで言葉を切った。
「あたしが、前みたいに、何もできなくなるのも」
左手首を、袖の上から、ぎゅっと握っていた。
僕は、彼女の横顔を見た。
強い人だと、思っていた。いつも先に立って、迷わずに進む人だと。
けれど、今、隣にいるのは、同じ怖さを抱えた、ただの人だった。
「……ありがとう」
「何が」
「怖いって、言ってくれて」
「別に」
「一人じゃないって、思えた」
「……それは、あたしの台詞」
彼女は、ふっと笑った。
目尻が、少しだけ、潤んでいた。
「ねえ、レン。今日は、これで終わり。明日は、ミレイユのところ」
「ミレイユ」
「あ」
彼女が、口を押さえた。
「名前、言っちゃった」
「ミレイユ、っていうのか。その、変わり者の」
「そう。ミレイユ・フォルネ。錬金術師」
「錬金術師」
「しかも、変わり者のくせに、腕は一流。ただし、性格は」
「毒舌三割増し」
「午前中は、ね。昼過ぎなら、通常の毒舌」
「通常でも、毒舌なのか」
「そうよ。覚悟して」
笑いながら、僕らは丘を降りた。
さっきまでの重さが、ほんの少し、軽くなっていた。
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その夜。
地下で、ポッチの様子を確かめた。
朝より、体表の明滅が、弱い。けれど、位置は、三歩のまま。まだ、動かない。
モリは、木彫りを抱いて、眠っている。
僕は、記録帳の最後に、一行を書いた。
『ガルム。北西の丘の向こう。空の檻。畑の白い花(種類不明)。会うかどうかは、未定』
ペンを置いて、壁にもたれた。
禁忌に手を出した、老人。
あの背中が、頭から離れない。
僕は、本当に、あの人と同じ道を歩いているのだろうか。
答えは、まだ、出ない。
けれど。
「……明日は、薬と餌の専門家だ」
小さく、声に出した。
進める道は、一つずつ。今日、見たものは、今日のうちに、記録した。
あとは、待つ。
ポッチの三歩を、見守りながら。
その時、足もとで、ポッチの体が、ぷるりと、小さく揺れた。
「……ポッチ?」
返事は、ない。
けれど、ほんの一瞬、粉の方向から、僕のほうへ、体が向き直った気がした。
まるで、「大丈夫だ」と言っているように。
僕は、静かに、笑った。




