第20話 焚き火と、揺れる影
町外れの野営地は、森の入り口から二百歩ほど離れた岩場だった。
「風下はここ。地面が乾いてて、煙が町へ流れない」
シルヴィアが、手際よく石を並べていく。焚き火の輪をつくる指先に、迷いがなかった。
「あんたは、ポッチの場所をお願い」
「焚き火の光が届かない岩陰がいい。壁際の、一番影の濃いところだ」
「了解。そこは火から遠ざけて、あたしの寝床はこっち」
役割が自然に分かれる。それが、少し楽しかった。
布袋から出したポッチは、すぐに岩陰の影へ沈んだ。三歩の距離には、モリがいる。
その金色の目が、組み上がった薪を見つめて、固まっていた。
「……火だ」
僕は小声で言った。
「集落を焼かれた子だ。火が怖いかもしれない」
「うん。あたしも気になってた」
シルヴィアは火打ち石を、いったん腰に戻した。
「まず、小さくする。薪を三本だけ。炎が見えにくい、低い火から」
「頼む」
彼女は膝をついて、モリの正面にしゃがみ込んだ。目線を、同じ高さに合わせる。
「ねえ、モリ。火はね、怖いものでもあるの」
「きゅ……」
「でも、温かいものでもある。両方、本当」
言い聞かせるような声だった。
火が、ぽっと灯った。
小さな橙の揺れ。モリの体が、びくりと跳ねて、ポッチの影へ後ずさる。
僕は動かなかった。ポッチも、三歩の距離を保ったまま、動かない。
一分。二分。
モリは、影の縁から、そっと顔を出した。
火を見ている。逃げてはいない。
震えながら、見ている。
「……見てる」
「うん。怖いまま、見てる」
シルヴィアが、ほんの少し笑った。
「それでいいの。怖くなくなる必要は、ないのよ」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
僕が、ずっと欲しかった言葉だった気がした。
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砂の検証は、夕食のあとだった。
倉で拾った黒い砂を、平たい皿に薄く広げる。ポッチの前、影の中に置いた。
「食べないと思う。でも、見る」
「うん」
ポッチは、皿の縁まで進んで、止まった。
砂を、取り込まない。
予想どおりだった。鮮度は、とうに落ちている。
けれど、ポッチは、そのまま、皿の上へ乗り上げた。
「あ」
砂の上に、体を広げる。食べるのではなく、座るように。
その体表に、刻印が、ぼう、と浮かんだ。
揺れずに、乱れずに、静かな光だった。
「……安定してる」
脈の間隔が、一定になっていた。石を食べた時と、よく似ている。
「食べてないのに?」
「ああ。触れてるだけだ」
僕は、記録帳に書いた。
『黒い砂。摂食せず。接触のみで刻印が安定。鮮度の落ちた石でも、「触れる」関わり方がある?』
「石は、食べるだけのものじゃないのね」
「そうみたいだ。断定はしないけど」
「でた。口癖」
「うるさい」
シルヴィアが、くすくす笑った。
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夜が更けて、水が足りなくなった。
「汲んでくる」
「暗いわよ。気をつけて」
「すぐ戻る」
水筒と桶を持って、岩場の裏手へ回った。沢は野営地から五十歩ほどの距離で、細い流れが月明かりを砕いている。
水を汲み終えて戻る途中、岩の向こうで、ちゃぷ、と水音がした。
足が止まった。
シルヴィアだ。先に体を拭いてくる、と言っていた。
引き返そうと思った。けれど、岩の隙間から焚き火の橙が流れ込んでいて、その光の中に、彼女がいた。
革の胸当ての留め具が、ひとつずつ外されていく。きゅ、と革紐が鳴って、胸当てが足もとに落ちた。
汗を吸った肌着が、肌に貼りついている。彼女が裾をつまんで、ゆっくりと、頭から抜いた。
「……っ」
大きなおっぱいが、焚き火の灯りの中に零れ出た。
蜜色に染まった白い肌。重みを帯びた丸みが、ゆさりと揺れて形を取り戻す。先端は淡い桃色で、夜気に縮こまってきゅっと尖っていた。
髪をほどくために彼女が両腕を上げると、胸がぐっと持ち上がって、脇から下へ描かれる曲線が、光を拾って艶めいた。
喉が、ごくりと鳴った。
見るな。引き返せ。頭では分かっているのに、目が離せない。
彼女は腰紐をほどいた。ショートパンツが、すとんと落ちる。
細くくびれた腰に、白い下着だけが残った。
その両端に、彼女の指がかかる。
するり、と。
布が、丸い膨らみを滑り降りていった。腿を伝い、膝を抜け、足首から外れる。
彼女は、一糸まとわぬ姿で、そこに立っていた。
月と焚き火の光に縁取られた、しなやかな背中。腰の窪みから、ふっくらと盛り上がる丸いお尻。片脚に体重をかけた拍子に、肉づきのいい曲線が、ふるりと揺れた。
――綺麗だ。
素直に、そう思った。
いやらしい、より先に、その言葉が浮かんでいた。心臓が、痛いくらいに鳴っている。
彼女が足もとの布を拾おうと、前屈みになった。
お尻が、ぷるんと後ろへ突き出される。
「……っ!」
反射で、一歩下がった。
かさ、と枯れ枝が鳴った。
心臓が、凍った。
シルヴィアの動きが、ぴたりと止まる。
「……誰?」
低い声だった。
僕は岩に背を押しつけて、息を殺した。
数秒。
「……風、かな」
呟きが、夜気に溶けた。
彼女は、濡らした布を肩に当てた。首筋から鎖骨へ、水が線を引いて、乳房の丸みを伝い、先端でふるりと震えて落ちる。布が胸の下をなぞるたび、おっぱいがむにゅりと形を変えて、また、ぷるんと戻った。
背中を拭く時、肩甲骨がきゅっと浮かんだ。腰の窪みを、水滴が転がっていく。
見つかりそうになったのに、僕は、最後まで見ていた。
彼女が乾いた肌着を被り、髪を結び直したところで、ようやく足音を殺して後ずさった。
十歩離れてから、息ができた。
水桶が、手の中でかたかたと鳴っていた。
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焚き火の前に戻って、座った。
心臓の音が、まだ、治まらない。目を瞑ると先ほどの光景が…。
火は、小さく揺れていた。モリは、ポッチの影の縁で、うとうとしている。
しばらくして、足音が近づいてきた。
「おまたせ」
シルヴィアが、隣に腰を下ろした。
濡れた髪から、水の匂いがした。湯上がりのような、石鹸と、草の匂い。
肌着は、薄い。焚き火の灯りで、布の下の柔らかな輪郭が、微かに浮かんで見えた。
「み、水、汲んできた」
「ありがと」
そのまま、彼女がふいに身を寄せた。
耳元に、息がかかる。
「……着替え、見てたでしょ?」
甘く、湿った囁きだった。
全身が跳ねた。
何か言わなきゃ、と思った。見てない、と。
けれど、口が開かなかった。
嘘をつくのは、僕が一番嫌いなことだ。さっきのあの景色を、なかったことには、どうしてもできなかった。
「……恥ずかしいから」
彼女の声が、ほんの少し揺れた。
「あまり、長くは、見ないでね」
「…………」
怒っているのか。許されているのか。
どちらとも、取れなかった。
僕は、何も言えなかった。
シルヴィアは、膝に顔を埋めた。覗く頬は、焚き火のせいとは思えないほど赤い。
「……困った顔」
「…………」
「何も言わなくていいわよ」
くすり、と小さく笑って、彼女は火へ視線を戻した。
「ただ、そこにいて」
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
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しばらく、二人で、火を見ていた。
薪の灯りが、橙の揺れで、二人の影を作っている。
「ねえ、レン」
「ん」
「昔、焚き火を囲んだ仲間がいたの」
声が、静かだった。
さっきまでの甘さは、消えていた。
「……そうか」
「三人。笑い声が、よく響くパーティだった」
「うん」
「詳しくは、まだ、話せない」
「待ってる」
「ありがとう」
彼女は、火を見つめたまま、ほんの少し、微笑んだ。
「でも、今夜は、悪くない」
「僕もだ」
「ほんと?」
「ああ」
それだけで、十分だった。
視線の端で、森の闇が、ふっと濃くなった。
灰色が、一瞬、揺れた気がした。
僕は、目を凝らした。
何も、いない。
足もとで、ポッチの影が、ぴくりと動く。けれど、すぐに、元に戻った。
近づいては、こなかった。
今夜は、ただ、見ていただけのようだった。
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翌朝。
撤収は、思ったより早く終わった。
僕が最後の荷を袋にまとめていると、シルヴィアの声が、鋭く跳ねた。
「レン! モリが!」
振り向くと、モリが、野営地の端から、森のほうへ、ふらふらと歩いていた。
「モリ!」
小さな足が、一歩、また一歩と、闇の濃い木々へ向かう。
唇が、動いていた。
「……ル、ゥ」
背筋が、ぞくりとした。
僕は駆け寄って、後ろから抱き止めた。
「だめだ、モリ!」
「きゅ……い……」
腕の中で、体が、細かく震えていた。
目は、僕を見ていない。森の奥の、さらに奥を、見ていた。
「連れ戻したわ!」
シルヴィアが、反対側から支える。
「大丈夫、大丈夫よ」
モリの体から、力が抜けた。
ふう、と息を吐いて、僕の肩に、頭を預けてくる。
ようやく、落ち着いた時だった。
僕は、さっきまでモリが向かっていた方向に、目を向けた。
十歩ほど先の、一本の木。
その幹の、ちょうど子どもの肩の高さに、何かが、貼りついていた。
黒ずんだ、小さな手形だった。




