第19話 鍛冶屋の裏倉
鍛冶屋は、町の裏通りの突き当たりにあった。
煤けた看板。半分閉じた木戸。中から、規則正しい槌の音が漏れてくる。
かん、かん、かん。
「押しかけて、大丈夫かしら」
「いきなり黒い石の話はしない。まず、見る」
「見る?」
「仕事ぶりを」
木戸の隙間から、中を覗いた。
炉の前に、白髪の老人が背を向けて立っている。肩幅は広いが、右肩だけがわずかに下がっていた。長年、同じ手で槌を振ってきた体だ。
壁には、使い込まれた道具が整然と掛かっている。柄の木が、手の形に黒ずんでいた。
「入ってもいいですか」
返事はない。槌の音だけが続く。
僕は、そっと戸を押して中へ入った。シルヴィアが、半歩後ろをついてくる。
老人は、振り向かなかった。
「買い物なら、右の棚。修理なら、そこに置け」
「見学を、させてもらえませんか」
「帰れ」
即答だった。
けれど、僕は帰らなかった。
床を見る。炉の脇に、焼き入れ用の水桶がある。水面に、細かな油の膜が浮いていた。
「焼き入れの水、毎日替えてますか」
槌の音が、止まった。
「……何だと」
「桶の縁に、水垢の層が三段あります。二日ごとに替えて、でも、五日に一度は、あえて足している」
「小僧、何が言いたい」
「足し水の癖が、他の鍛冶屋と違う気がして。水を育てている人の、やり方に見えました」
老人が、ゆっくりと振り向いた。
深く刻まれた皺の奥で、小さな目が、僕を睨んでいた。
「……育てる、だと」
「はい。僕は育成師です。育てるものを、見る癖がついています」
沈黙。
炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
「追放されたほうの、か」
「ご存じなんですね」
「小さな町だ。噂は、すぐ回る」
老人は、鼻を鳴らした。
---
「ねえ、おじいさん」
その空気を割ったのは、シルヴィアだった。
彼女は壁の道具を、遠慮なく見回していた。
「この剥ぎ小刀、いい柄ね。握りの形が、使う人の手に合わせてある」
「触るな」
「触ってない。見てるだけ。……あたしの小刀、研ぎが雑だって言われたことあるの。どう研げばいいの?」
「見せてみろ」
「はい」
彼女は腰の小刀を、ぱっと抜いて差し出した。
老人は受け取り、刃を光にかざして、眉をひそめた。
「何だこの刃は。毎日、石の上で擦っとるだろう」
「うん。急いでるから」
「馬鹿者。刃は、寝かせて引くものだ。立てて擦るから、ここが丸くなる」
「えっ、そうなの?」
「見ておれ」
老人が、砥石を引き寄せた。
数分後。僕は、完全に置き去りにされていた。
「ほら、見て、レン! 紙が切れたわ!」
「よかったな」
「あんた、さっきから笑ってるでしょ」
「笑ってない」
「笑ってる」
老人も、気づけば口の端を緩めていた。
「ふん。娘の頃の孫を、思い出す」
「あたし、娘じゃなくて十九なんだけど」
「儂から見れば娘だ」
シルヴィアが、むっとして、けれど嬉しそうに頬を掻いた。
こうして、空気がほどけた。
---
「で、何しに来た」
老人は、茶を三つ淹れて、炉の脇の木箱に腰を下ろした。
「黒い石のことを、聞きたくて」
僕は、正直に言った。
隠さなかった。拾った経緯と、育成の目的だけを話した。進化の条件には触れずに。
老人は、茶を啜りながら、黙って聞いていた。
「……森の坑道の石か」
「はい」
「あの石は、鍛冶の者が扱う代物だった。爺さんの代までな」
「何に、使っていたんですか」
「焼き入れの水に、砕いて沈めた」
「水に」
「鉄を急に冷やす水だ。あの石を入れると、水が冷たいまま、長く保つ。刃の粘りが、ぐんと上がった」
息を呑んだ。
冷たさ。
僕は、すぐに記録帳を開きかけて、思いとどまった。
「冷たさを、保つ石」
「そうだ。そして、暗がりに置くと、持ちがよかった。日に当てると、すぐ駄目になる」
「暗さと、鮮度……」
「ほう。小僧、知っとるのか」
「いえ。たまたま、似た話を」
言葉を濁した。
けれど、胸の奥が、早鐘を打っていた。
ポッチの条件。闇、冷たさ、鮮度。
鍛冶屋は、それを知らずに、同じ性質の使い方をしていた。
石は、もともと、そういうものなのだ。
「でも、今は使っていないんですね」
「使えん」
老人の声が、低くなった。
「あの坑道には、鍛冶の者は入らん約束になっとる」
「約束?」
「爺さんの爺さんの代から、だ。理由は知らん。ただ、破った者がおって、そいつは、二度と帰ってこなかった」
「帰って、こなかった」
「だから、儂の代では、誰も行かん。石も、尽きた」
シルヴィアの手が、膝の上で、きゅっと握られた。
僕は、気づかないふりをして、続けた。
「石は、全部、使い切ってしまったんですか」
「全部は、な。倉の隅に、屑くらいは残っとるかもしれん」
「見せて、もらえますか」
老人は、しばらく僕の顔を見ていた。
「……おぬしの目は、嘘をついとらんな」
「見たままを言うだけです」
「ふん」
腰を上げた。
「ついてこい」
---
鍛冶屋の裏の倉は、石積みの小さな建物だった。
扉は、錆びた閂で閉ざされていた。
老人が閂を外すと、きしむ音とともに、冷たい空気が流れ出てきた。
「うわ……ひんやり」
シルヴィアが腕をさする。
中は、昼間でも薄暗かった。窓は小さく、板で半分塞がれている。
床に、空の樽が数個。壁際に、古い槌や鉄箸が積まれていた。
「ここが、石を置いていた倉だ」
「何も、残っていませんね」
「だから言った」
僕は、膝をついて、床を見た。
石畳の目地に、細かな何かが溜まっている。
指先で、そっとなぞった。
黒い砂だった。
粒は、米よりも細かい。艶はなく、さらさらと指の間を落ちていく。
「これは」
「石の屑だ。割る時に出た。掃いても掃いても、目地に入り込む」
僕は、薄暗がりの中で、砂を目の高さに持ち上げた。
肉眼で、じっと見る。
色は、確かに、あの石と同じだ。
けれど。
「……鮮度は、落ちてますね」
「何年も前のものだからな」
「ポッチは、これを食べないと思います」
「ポッチ?」
「うちの、スライムです」
「スライムが、石を?」
「はい。割りたてしか、選びません」
老人が、目を丸くした。
それから、くつくつと笑った。
「変わった生き物を飼っとるな」
「育てて、います」
「同じようなものか」
僕は、砂を紙に包んだ。
「少し、持ち帰っても?」
「持っていけ。どうせ、掃いて捨てるものだ」
「ありがとうございます」
「だが、期待するなよ」
「はい。食べないと思います。でも、確かめたい」
言ってから、自分でも気づいた。
食べない、と分かっていても、確かめたい。
それは、数字のない目で、ここまで来た僕の、やり方だった。
---
倉の壁に、目が止まった。
奥の壁、床から腰の高さのあたり。
薄れた線が、刻まれていた。
円と、線の重なり。
「……これ」
「どうした」
「いえ。壁に、模様が」
「ああ、そいつか」
老人は、興味なさそうに言った。
「爺さんの代からある。落書きだと思っとった」
僕は、壁に近づいた。
苔こそないが、刻みは、ひどく古い。
円は、一つ。
けれど、その円を貫く線が、一本、二本、三本……。
数えようとして、止まった。
線が、重なり合っている。上から何度も刻み直したような跡で、本数が、数えきれない。
背筋が、冷たくなった。
「シルヴィア」
「うん」
「坑道の木枠と、同じだ」
「ええ。でも、ここは、坑道じゃない」
「石を置く場所にも、同じ印が、刻まれていた」
声を落として、言った。
「石は、印とセットで扱われてたんだ」
「つまり、昔の人は」
「知ってたのかもしれない。この印の意味を」
シルヴィアは、唇を引き結んだ。
「でも、約束だけが残って、意味は、忘れられた」
「ああ」
倉の隅に、小さな影が揺れた。
ポッチだ。僕の袋の中から、いつの間にか這い出していた。
影を伝って、壁の刻印の下まで、するりと進む。
そして、三歩の距離で、止まった。
刻印を、じっと見上げている。
「ポッチ」
呼んでも、動かない。
体表に、刻印が淡く浮かんだ。
ぼう、と。
壁の線のどれかが、応えるように、ほんのり光った気がした。
見間違いかもしれない。
僕は、息を殺した。
老人は、気づかなかった。
シルヴィアだけが、僕の袖を、きゅっと掴んでいた。
---
鍛冶屋を出たのは、夕方だった。
老人は、最後に、木戸の前で言った。
「また、来い。小刀の研ぎの続きがある」
「はい」
「その娘は、筋がいい」
「娘じゃなくて、シルヴィアよ」
「分かった。娘シルヴィア」
「それ、直ってない」
笑い声が、夕暮れの路地に響いた。
通りの角を曲がった時、シルヴィアが、ぽつりと言った。
「ねえ、レン」
「ん」
「あたし、思うの」
「何を」
「あの石、人を守るために使われてたんじゃないかな。冷たさとか、暗さとか。何かを、閉じ込めるために」
「閉じ込める?」
「ううん、まだ、ただの感覚」
彼女は、首を振った。
「ごめん。変なこと言った」
「いや」
僕は、袋の中の砂の包みに、そっと手を当てた。
「決めつけない。でも、頭には置いておく」
「ありがとう」
並んで歩く。
夕日が、石畳を橙に染めていた。
町の外れの、森の入り口が見えてきた。
「ねえ」
シルヴィアが、足を止めた。
「どうした」
「今日、収穫あったけど、まだ足りないでしょ。石の量とか、この砂とか。確かめることも多い」
「そうだな」
「だから、次は外で、ちゃんと試さない? 町の外れで、野営の稽古がてら」
「野営」
「ポッチもモリも連れて。ずっと地下に閉じこもってるのも、体に悪いわよ」
「……確かに」
「決まりね。明日の夜、準備しておいて」
「分かった」
「楽しみにしてるから」
彼女はそう言って、くるりと背を向けた。
けれど、一歩踏み出す前に、小さく付け足した。
「……焚き火、見るの、好きなの」
「そうか」
「別に、あんたと一緒がいいわけじゃなくて」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってる」
くすぐったい沈黙が、夕暮れに溶けた。




