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最弱育成師、追放された先で禁忌進化のモンスターを育てる  作者: 浅入燈馬


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第16話 安心の条件

「一月で、何を示すか」


朝の食堂の卓に、僕は白紙を広げた。


向かいに座るシルヴィアが、頬杖をついたまま顎を上げる。


「ロウは書面を持ってくるって言ったわよね。つまり、一月後には正式な返却命令が来る可能性が高い」


「ああ。規程に基づいた書面なら、僕に拒否する根拠はなくなる」


「じゃあ、それまでに」


「返却できない理由を作る。ポッチとモリの成果を、記録として積み上げる」


紙に三つ書いた。


『記録』『成果』『隠すもの』。


「記録は、毎日の観察で積む。成果は、モリの進化条件を絞り込む。隠すものは、今までどおり」


「石は?」


「それが問題だ」


声が、少し沈んだ。


「残りは六個。坑道は崩れた。入手先がない」


「あたしが、もう一度行く?」


「だめだ。入り口は塞がってるし、あの場所は」


言いかけて、彼女の顔を見た。


唇が、きゅっと結ばれていた。


「……あんたが嫌いな場所だろ」


「嫌いだけど、行けないわけじゃない」


「行かなくていい。まずは、使い方を変える」


「使い方?」


「減らす。ポッチが安定する最低量を探る」


シルヴィアが、にやりと笑った。


「得意分野ね」


「最適化、と呼んでくれ」


「はいはい、隊長」


「隊長はやめろ」


「却下」


---


石の消費は、ポッチの影潜みの使用と連動している。


第九話の記録を見返した。影を渡った回数が多い日ほど、食べた量が多い。


「なら、影潜みを止めれば、食べる量も減る」


「止められるの?」


「ポッチ次第だ」


地下で、ポッチの前に石を二分の一に割って置いた。


割りたての断面が、薄暗がりで艶なく光る。


ポッチは、ゆっくりと包み込んだ。


しゅう。


食べ終わっても、脈は乱れない。刻印も出ない。


「……いける」


「半分でいいの?」


「影潜みを使わなければ、だ。半日、様子を見る」


砂時計を返した。


動かない相手を、見る。


もう、それは怖い時間じゃなかった。


昼まで、ポッチは三歩の距離で影に収まっていた。体の色も、輪郭も、乱れない。


「安定してる。影を渡らない日は、一日半個で足りる」


「じゃあ、六個で、十二日」


「それに、渡る日を数日に一度に絞れば、もっと持つ」


「やるじゃない」


「まだ足りないけどな」


足りない。けれど、時間は稼げる。


その間に、別の解を探せばいい。


---


午後は、モリの検証だった。


右腕の布は、さらに小さくなっていた。傷口は塞がり、新しい皮膚が、薄い桃色に光っている。


けれど、腕は、まだ曲げ伸ばしがぎこちなかった。


「今日は、ポッチの距離を動かす」


床の目印の上に、モリを座らせる。


ポッチは三歩の距離。いつもの位置だ。


「まず、ポッチに少しずつ離れてもらう。モリの反応を、時間ごとに記録してくれ」


「了解。……ポッチ、動ける?」


シルヴィアが声をかけると、灰青色の体が、ぷるんと揺れた。


ずる、ずる、と、影の中を後退する。


三歩から、四歩。


モリの耳が、ぴくりと動いた。


「きゅ」


「一分経過。耳が動く。まだ座ってる」


五歩。


「きゅい……」


「二分。鳴き始め。右手が毛布を握る」


「ここで止める。戻して」


ポッチが三歩に戻ると、モリはふう、と息を吐いた。


「五歩が限界ね」


「ああ。以前より、少し伸びてる。傷が癒えて、余裕が出たんだ」


僕は記録帳に書いた。


次に、僕が立った。


三歩の距離で、モリの前に座る。


ポッチの代わりに、そこにいる。


モリが、金色の目で僕を見上げた。


「きゅい」


安心したような顔をした。


けれど、時間が進むにつれて、少しずつ変わった。


「五分経過。そわそわし始めた」


「十分。きょろきょろしてる」


「十五分。鳴く」


僕は頷いた。


「ポッチの時は、三十分以上、安定していた」


「次は、あたしね」


今度は、シルヴィアが三歩の距離に座った。


彼女は、モリに微笑みかけた。


モリは、きゅい、と鳴いて、手を伸ばしかけて、引っ込めた。


「やっぱり、遠慮してる」


「十分。落ち着いてる。でも、時々ポッチのほうを見る」


「二十分。鳴く」


「僕より、少し長いな」


「あたし、子ども好きだもの」


「根拠になってない」


「なってるの。獣の子は、気持ちが読めるのよ」


笑い合いながら、記録を並べた。


ポッチ :三十分以上、安定。

シルヴィア:約二十分。

レン   :約十五分。


「差が出てる」


「ええ」


「何が違うんだ」


僕は、ペンを止めた。


シルヴィアも、首を傾げた。


「ポッチは、スライムよ。あたしたちは、人間。種族の違い?」


「それなら、ポッチとモリも違う種族だ」


「そうね。じゃあ、なんで」


「分からない」


素直にそう言った。


分からないことが、増えた。


でも、それが嫌じゃなかった。


---


夕方、記録を整理していて、ふと気づいたことがあった。


ポッチの位置を、全部書き出していた。


モリとの距離は、三歩。


では、僕との距離は?


ページを遡る。


食堂で。地下で。町の路地で。


僕の足もとにいる時、ポッチは、必ず少し離れていた。


肩に乗せたことはない。抱いた時も、すぐ床へ降りたがった。


そして、降りた位置は。


「……三歩」


声が、漏れた。


「え?」


「ポッチは、僕に対しても、三歩の距離を保ってる」


「え、でも、いつもあんたの足もとにいるでしょ」


「近い時もある。でも、長くいる時、落ち着いて座る位置は、必ず三歩前後だ」


記録の端に、数字を並べて見せた。


「寝る前。観察中。朝の食事。全部、そうだ」


「……ほんとだ」


シルヴィアが身を乗り出して、記録を覗いた。


「じゃあ、ポッチは、誰に対しても、三歩を守ってる?」


「分からない。でも、モリだけじゃない」


背筋が、ぞわりと冷えた。


あの子は、三歩を知っている。


最初から。


僕が教えたわけじゃない。モリを見て、覚えたわけでもない。


なら、いつから。


「ポッチは、群れを失ったことがあるのかもしれない」


「え」


「あいつも、そうなのかもしれない。誰かに、置いていかれたのか。あるいは」


言葉が、そこで詰まった。


王都の飼育棟。檻の底。処分待ちのスライム。


名札だけが残った、あの小さな灰青色の体。


「……僕が、あいつを見つける前から」


「レン」


シルヴィアの声が、静かになった。


「仮説よ。まだ」


「ああ」


「決めつけないで」


「分かってる」


けれど、胸の奥が、ひどく重くなった。


見守る存在だと思っていた。


でも、あいつ自身も、誰かに見守られたことがあったのだろうか。


---


夕食のあと、シルヴィアが窓際で、外を見つめていた。


「どうした」


「ううん。……ロウの言葉」


「『あの方には、関わるな』か」


「あたしね、あの言い方、聞いたことがある気がするの」


「どこで」


「分からない。昔の、どこか」


彼女は、左手首をさすっていた。


「ただ、あの時の人も、同じ顔をしてた。怖いのに、笑おうとしてる顔」


「シルヴィア」


「大丈夫。今は、思い出さなくていい」


彼女は、くるりと振り返った。


笑顔だった。


少し、無理のある笑顔だった。


「あんたこそ、疲れた顔してる。今日はもう寝なさい」


「ああ」


「無茶、しないこと」


「しない」


「約束よ」


「約束する」


彼女が自室へ戻るのを見送って、僕は地下へ降りた。


---


夜の地下は、ひやりと静かだった。


毛布にくるまったモリが、すう、すう、と寝息を立てている。


三歩の距離に、ポッチ。


僕は少し離れた壁にもたれて、記録帳を開いた。


見たい。


あの線を。ポッチの体の中を。


そこに、答えがあるかもしれない。


でも、使わない。


使わなくても、今日、僕は一つ、答えに近づいた。


そう思って、帳面を閉じようとした時だった。


視界の端で、何かが、ほのかに光った。


「……?」


モリの右腕だった。


毛布から出た腕の、傷の縁。


治りかけの桃色の皮膚の下に、薄い筋が浮かんでいた。


円と、線の重なり。


それが、ぼう、と淡く光った。


ぼう。……ぼう。


ゆっくりとした、一定のリズム。


僕は息を止めて、ポッチを見た。


ポッチの体表にも、刻印が浮かんでいた。


同じリズムで。


ぼう。……ぼう。


二つの光が、三歩の距離を挟んで、呼応するように、静かに脈打っている。


「……同じだ」


声が、震えた。


傷の焼け焦げ。坑道の刻印。ポッチの体。


別々だと思っていたものが、一本の線で、繋がり始めている。


モリの寝息は、穏やかだった。


ポッチは、動かない。


ただ、二つの光だけが、闇の中で、静かに息をしていた。


僕は、記録帳を開いた。


震える指で、一行を書いた。


『モリの傷の刻印、ポッチと同期して脈動。要検証』

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