とある病院の看護婦長
私は桐山病院で働いている看護婦… だ。
今は自宅療養… 謹慎じゃないわよっ! 療養よっ、療養なの!
そういうワケなので、ベッドに潜り込んで優雅に自堕落な生活を送る… つもりだったけど。そうもいかなくなってしまったかも。
「お前さん、しくじったんだって?」
「何しに来たのよっ! 笑い物にでもするつもり?」
こいつの名は間 黒彦。医学校時代に同期だったオトコ。
何が面白くて高校の医務室で燻っているのか分からないけど、本来なら帝大医学部なり国立病院の院長を務められるほどの腕前を持つ外科医だ。
なにしろ、あいつは『神の腕の持ち主』とよばれて……
「お前さんも同類だろうよ、『氷の女王』さん」
懐かしい──いや、忌々しい二つ名まで持ち出して。
「……お前さん、冬夜から『摘出』するつもりだったろう?」
「なんで知ってるの?」
「そりゃあ、蛇の道はなんとやら、だからな。もっとも知っているのは数人だし、口止めも済んでいる。なぁに、こんなのは注射1本で済む時代だからな」
私は心底ぞっとした。
こいつが言うと、冗談が冗談に聞こえなくなる。注射を打ったのは、こいつなんだろう。ついに私もこの世とオサラバ… か。
「お前さん、いったい何を言ってるんだ? 使ったのはネペンテスだぜ。お前さんだって知ってるだろ。過去48時間の記憶が曖昧になるだけのオクスリだ」
常に最新情報を手に入れていた私だけど、そんな薬があるなんて聞いた事が無いわよ。怪しい薬じゃないわよね?
えっ? ネペンテスは厚生省が承認している正規の医薬品… ですって?
「そういう事さ。だから、俺みたいな藪医者でも使う事が出来るのさ」
「……神の手を持つあなたが藪医者? それこそ笑えない冗談ね」
私もあいつの事を笑えない… か。今でこそ看護婦をしているけれど、かつては外科医だったんだもの。それも担当したのは難しい患者ばかり。
──腎臓? ひとつあれば死にはしないわ。ああ、この右腕は修復不可能ね。
「お前さん、そうやってスパスパ切ったよな。それも容赦なく。そうしなかったら患者は間違いなく死んでいたから、判断は間違ってはいなかったがね」
そう、判断は間違ってはいなかったわ。仮に修復しても、回復する見込みなんか無かったのだから。術後に残されるのは、無駄に苦しむ患者の姿だ。
それならば……
「なあ氷の女王。お前さん、ついに自分の順番が回ってきたと思わないか?」
「何なのよぅ、その意味深な笑いは」
……あんたがそういう笑みを浮かべる時は、ロクでもない結末が待ってるのを知っているんだからね!
現に私もその場に立ち会って… 見ていたんだから。
破裂した肝臓を修復したとか、サボテンに寄生された子供を助けたとか。
医学界を敵に回すような荒唐無稽な手術をしたのは、今でも語り草よっ。
でも、気になるわね。あいつ、さっき私の番が来たって言わなかった?
それとも耳がわるくなったのかしら。
「いんや、お前さんの耳は正常だ。俺もそう言ったつもりだぜ」
え? だって私、そんな…… どこも悪いところなんか無いわよ。
い~い? 私は健康! そのものなの。どこも悪い所なんて……
「いや、あるだろ?」「ないわよっ!」
こうなったらヤケッパチよ。
あいつが何を言いたいのか分からないけど、論破なんかされてあげない。
医学校時代には全戦全敗だったけど、今は学生なんかじゃないんだから。
勝率は高くないとは… いえ、低いけど……
「お前さんには治療が必要なんだ。その… 刺さったんだろ、スタンバトン」
「なんで知ってるのよっ!」
「いいや、その紙おむつの山を見れば、症状の程度も想像がつくさ」
くっ… たしかに刺さったわよ。それもピンポイントにね。
「今なら確実に回復するんだがな。お前さんの趣味がオムツなら話は別だが」
そういう訳じゃないけど。いえ、自分の身体だし、症状は分かってる。
括約筋が断裂しただけだから、手術で完治させる事が出来るのもね。
それは知っている。知っているけど…… よりによって、なんでこいつが?
「さあ、手術室に行こうか」「ちょっと待って?」
「思い立ったが吉日と言うじゃないか」
いやだぁあああ!
こいつだけは絶対にやだぁあああ!
今回の閑話はこれでおしまいです。
ちょい変則ぽいですが、明日の投稿から新章が始まります。
そして、無謀にも8月いっぱいは毎日更新に挑戦してみようかと。




