がんばれ朝香さん
男性護衛総隊を出た私は、産業研究所にいる。
出迎えてくれたのは虻之丸教授。彼は世間では隠居をしていてもおかしくない年齢だけど、機械工学博士としての卓越した能力を惜しんだ文部省が特例処置として、定年を延長したとか。
「所長さんの手を煩わせるなんて…… 恐縮ですわ」
「気にせんでえ。カンパニーの業務内容は私も心得ているでの」
彼ほどの地位になれば、リクリエーション・カンパニーの業務内容も、ある程度までは知っている。あくまでも、ある程度だけなんだけどね。
「……山ノ谷博士の研究内容については、こんな処じゃな」
目の前に置かれたファイルは意外と薄い。指2本分にも満たないの。
研究所に3人しかいない上席研究員として、この量ははどうなのかしらね。
「いや、これはあくまでもインデクスに過ぎんぞ。1ページにつきひとつの研究として纏めさせておる。最近はメタルプラスチックと義体の研究……」
「メタルプラスチックと…… 義体… ですか?」
前者はわかる。芹沢博士が偶然に作り出した──プラスチック分子に金属分子を結合させた奇跡の素材ね。実験記録をもとに産業研究所をはじめ、いくつかの研究機関が再現を試みたけど、失敗の記録だけが伸びている。
「芹沢博士が作り出したサンプルは、当研究所で保管されているがの」
「手のひらの半分くらいの、あれですね?」
私も写真でしか見た事はないけど、メタルプラスチックのサンプルはある。
添えられたメモには、画用紙の半分くらいの厚さの板でさえ、高品質のチタニウム合金を遥かに超える強度があると記されていた。
それを知った材料工学の研究者たちは、狂喜した。
これがあれば人間が宇宙に行くのも、夢じゃない…… と。
「融点が6000度というのが最大の難点じゃ。超高温に耐えうる最良の物質はタングステンだが、それ以上のモノとなると… 無いわけではないが……」
……それでも4200度が限界ですか。厳しいですね……
「そういう事であるな。次に義体について説明しようかの」
義体については、それこそ空想科学の域を出ない妄想なのよね。
サイバネティック・オーガニズム──簡単に言えば電子機器を組み込んだ義手や義足。そして──最終的に目指すものは機械の身体。
もしもこの研究が実を結べば、人類にとって大きな福音になるかも知れない。
虻之丸教授が説明してくれた内容は、ざっくりと言えばそんなところ。
「これが彼女の研究の全て…… ですか?」
「他にも研究をしているが付随的なものが多いな。その中で形になっているのはこれだけじゃ」
「そう…… ですか」
ここまでは本業としてのお仕事なのよねぇ。
でも私が知りたいのは、彼女が上席研究員に留まっている『理由』のほう。
彼女も芹沢博士ほどではないけれど、いわゆるそっち系だから、トンデモ性能のレーダーくらい…… そうだ! 研究室のコンピューターに……
「山ノ谷博士の研究室を見学させてもらっても?」「……市ヶ谷くん?」
やっぱりだめね。私に出来る事はここまでみたい。
今の私に出来るのはカンパニーで共同研究を出来るものを探しに来た。それだけでしかないから。
だから、あまり強引にコトを進めるわけにはいかないのよ。
「勝手に研究室に立ち入るのは…… まずかろう?」
「おっしゃるとおりですわ。私だって泥棒の真似事は出来ませんもの」
例の件は、公にされていない。天の声とやらが、伏せるように宣ったから。
だから彼女はジントア市で芹沢博士とともに『ひとりの男性』の治療をしている事になっているのよね。
そうじゃなかったら、強引に研究室の鍵を開けさせる事もできたのに。
「それでよろしい」
「はい、先生」
こういう顔をした教授に対しては、ひたすらしおらしくする事だ。
対応の仕方を間違えると──最悪の場合、徹夜をする羽目になる。
気が付いたら、空が明るくなりかけていて、アルコールランプの前で試験管をふっていた私……
あれはいい思い出… なんてモノじゃないわ。本当にキツかった……
「山ノ下くんの研究については、こんなところだが。何か質問はあるかね?」
「いえ、十分です」
「うむ、ではすぐに帰ってベッドに行きたまえ。睡眠不足はよくないからな」
……ふぅううう。機嫌を直してくれたようね。よかった、本当に良かった。
それにしても、いつになったら旧姓で呼ぶのを止めてくれるのかしら。
私、高校に進学した息子がいんですけど。
地球上で最も融点の高い物質は五炭化五タンタルという物質です。
融点は4215度で、めちゃくちゃ硬い。ダイヤモンドと同じくらいに硬い。
つか、条件が良ければダイヤモンド『を』加工できるかも。




