がんばれ総隊長
珍しい事に、私の机の上には書類が山積みになっている。
年度末の風物詩というやつだが、イベント的には開始が早すぎないか?
おおむね1か月ほど先──具体的には3月の後半のはず… だが……
なんて呆けているわけにはいかない。ボクは、非常に困っているんだ。
決して短くはないボクの人生で最大の危機と言っても良いかも知れない。
最初の脅威は、僕が登庁して30分もしないうちに現れたんだ。
ずかずかと執務室に入ってきた女性は和泉 朝霞という。
厄介なことに、彼女はリクリエーション・カンパニーの専務ときているんだ。
「殿下。ウチの息子、誰かに持ち逃げされたそうですねぇ」
「……何を言っているのか分からないんだけど?」
いきなりやってきて息子が持ち逃げされたと言っていたが…… 誰の事だ?
ちらりと秘書官に目配せすると、私の前に1枚の書類が現れた。
「ええと、泉水 冬夜… か。申請のあった護衛官なら……」
「ンな事言ってるんじゃなぁーい!」
ばぎゃっ!
うをっ!? これ買ったばかりなんだよっ! けっこう高かったんだよっ。
「殿下。ウチの子はこんな安物のテーブル以下だと?」「言っていないでしょ」
「だったら、さっさととり返して頂戴ねっ!」
ふぅううう。行ったか。
あれが怒れる母親というものか…… 下手な妖怪なんぞ粉砕されかねないぞ。
たしか… あの少年なら磐手少佐に迎えに行かせたけど、残念なことに彼を見失ったと言っていたけどね。
応援はその日のうちに出してあるとも。たしか霧島少尉と長門少尉だ。
うん?
まさかトオーヤ(?)とは…… そうかそうか、そういう事か。
ならば、だ。朝香さん。悪いけど長期戦になりそうな気がするんだよ。
こればかりは気長に待つしかないんだよねぇ……
「さて、仕事に戻ると……」
なんだ、どうした。なんだってぇ? さらに増援が必要?
ふぅ… 何か嫌な予感がするが… 念のために陰陽寮に連絡を入れてくれ。
こうなったら6課の残りも全員出させよう。秘書官、手配は頼んだよ。
とんとん……
「(んっ? 今度は誰だ)…入れ」
「ちーち、はーはがいない」
……お前たち、なんで此処にいる。
執務室に入ってきたのは、ひとりの幼児──私の息子、夏希だ。
そして、連れてきたのは、ひとりの女性──私の娘、まりか…… だ。
「でもお父様、お母様が帰ってこないのです」
「……任務だ」
「それにしても3日、ですよ? お母様の立場上、あり得ないのですが」
娘も最近は頭が回るようになってきたな。歳の割にはしっかりして… というレベルではない。私がいる執務室は、庁舎の一番奥まった場所にあるのだ。
そして、防諜対策と増改築の結果、庁舎はまるで迷路なのだが。
「はーはに会いたいの」
「私も会いたいです。私のイングリディエンテが切れかけているのです」
……なんだそれは。ひょっとして妙なクスリでもやっているのか?
「いいえ、お母さま成分のことです。一刻も早く抱きしめてもらって、クンカクンカしたいです」
「ああ、ingrediente da maeか。難しい言葉を知っているね。関心、感心」
たしかに直訳すれば母親の成分という意味合いだな。しかしラジルポ語は10歳──尋常小学校に通っている女子が習うようなモノではない。
あれは中学校に進学してから学ぶ外国語… うん、その線でいこう。
「まさかラジルポ語を学び始めているとはね。勉強熱心な事は良い事だね」
「学校でひそかに流行しているのです。それでですね……」
……ふぅ。予想以上に食い下がられたが…… 何とかなったか。
「うげ!?」
かすかな音とともに、机の上に漆塗りの文箱が現れた。
それも蒔絵仕立ての百合紋ときたか。まったく、間が悪すぎる……
もうだめだ。どーっと疲れが…… 今日の仕事は終わりだ、終わり。
おしまいと言ったらおしまいだ。おしまいにするんだ!
文箱を開けなくともいいのか、だって?
家に帰って、本人から直接聞くからいい。
いいったら、いいんだ。
総隊長も苦労人という事で……




