猫又は眠りこける
私が人間社会で生活するようになってから、しばらくの時が経つ。
おおむね250年くらい前… 鳥羽・伏見の変があった時代にゃ。
生まれて、育ったのは… ちりめんを扱う越後屋という名の商家……
越後屋には、いくつか不思議な風習がある。
店主の名前は、みんな光右衛門。生まれてくる子供の名前も光右衛門。
そして隠居をしたら、わずかな使用人を連れて日本1周旅行をする。
彼は… 果たして何人目の光右衛門だろう…… まあいい、そんな事は。
「おやおや、尻尾が裂けてきたようだねぇ」「にゃ~ぉ」
私は、他の飼い猫が次々と姿を消していく中で、この店に住み続けた。
店の誰もが、私の事を気味悪がるどころか、可愛がってくれたから。
私は恩知らずな駄猫ではない。可愛がってくれた店主の一族のために、私は幾度も悪しき者を追い払い、色々なものを光右衛門にもたらす猫だ。
時にはコトシロ様の御蔵からサンゴジ樹の種をパチってきた事だってある。
またある時は付喪神と化しかけた森の木の小枝を齧り折った事も…… ある。
そして… この光右衛門とも、お別れの時が来たのかもしれない。
「しばらくはお前を膝の上に乗せられなくなるねぇ」
「にゃ?」
私は彼に撫でてもらうのが、とても好きだ。
縁側に座る光右衛門の膝の上で、うたたねをして。
夜は彼の枕元──空から白い花びらが降ってくる寒い夜は一緒の布団の中で。
そして、美味しい食べ物をくれる。特にシビの切れ端を煮たものは美味しい。
「にゃ~あ」「うむうむ、お前の絹のような毛は、天下一だよ」
隠居の身となった彼は、私の背中をやさしく撫でながら… 私に告げた。
父親と同じように、日本1周の旅に出かけるのだと、私に告げた。
彼も、私に…… 告げた……
「……さあ、最後の挨拶をしておやり」
その彼が帰ってきたのは、それから1年もしないうちだ。
使用人のひとりが首から下げた、白木の箱の中に収められた小さな壺の姿で。
「にゃ~ぉうぅ……」
ああ、またか。
もう、泣くことも出来ない。
私の涙は、とうの昔に枯れ果てた。
私は…… 何人の光右衛門を送ってきたのだろう。
新しい光右衛門のひざの上で、複雑な思いを抱いていた。
それからしばらくの事だった。私の前に、1匹の黒猫が現れたのは……
彼がその後の私の運命を大きく変えたのだと知るのは、ずいぶん後になってからの事だったと思う。
「あんたはえらい長生きをしてるようですけど、なんで人間に変化せんの?」
──人間に? ひょっとしたら光右衛門のように?
私の前に現れた黒猫は、何も言わずにすぅっと立ち上がると、水玉模様の入った裃を着た人間の姿になった。
大きさは、そう…… 尋常小学校に通い始めた、若い光右衛門くらいだろうか。
彼は、にっこりと笑って、私に告げたのだ。
「ほら分からんけど、あんたのように歳を重ねた者やったら人の姿をとるのは簡単な事やと思うんやけど。あんたが良かったら、やり方を教えるで」
──教えて、猫神様! 私は、ニンゲンになりたい……
「それはn……??スゑス? ?ク?ケ?コ……、……」
確かに声を聞いたはずなのに…… なんで…… ?
ふうぅうううううっ!
「みぎゃぁあああああ!!」
いきなり耳に異様な感触を受けた私の背中の毛が、ぶおっ! と、逆立った。
それと共に私は両方の耳を押さえて、飛び退っていた。
「にゃにをするんにゃっ!」
「耳に息を吹き込んだだけでぇ、そんなになるなんて。ひょっとしてぇ、あーし、弱点見つけたって感じぃ?」
「うっ、うるにゃい!」
犯人は美月にゃ。
いくらなんでも、あれは卑怯にゃ。成敗するしかないにゃ!
「あーしがリーマ様に絞られて死ぬ思いをしてたのにぃ、ようやく許してもらったと思ったら天下泰平な寝顔を見せられてぇ…… 普通はやると思うけどぉ?」
「普通じゃなくても、やらないにゃ!」
背中の毛を逆立てたまま、私は美月を睨みつけていた。
猫神さま。猫神さま。こやつに天罰を!
ネコは寝子。ぐーぐーぐー。
寝ている猫は、どんな夢を見ているのでしょう。
今も庭先でへそ天している、あの猫に聞いてみたいものです。
毛艶もいいし、ちょっとコロだけど。どこの子なのかは知らないけれど。




