08.逃亡チャンス
それは突然の話だった。
雲一つ無い青空が広がる昼下がり、庭園のガーデンチェアに座ってメリッサから編み物を習っている私のもとへ、黒騎士の正装をきっちり着込んでいるヴァルがやって来たのだ。
先日、王の警護のために王宮へ行ったばかりだし、どうしたのだろうか。
不思議に思っている私の足元へ、ヴァルは片膝を突いて跪く。
「ラクジット様、少々片付ける案件があるため、数日お側を離れます」
「数日ってどれくらい?」
今までヴァルが私の側を離れるのは精々一日くらいだった。
数日側を離れるということは、何か王の身に変事が起きたのか。
不安が顔に出ていたのだろう、ヴァルはやわらかく微笑んで私の手を取る。
「五日、いや三日で戻ります。ですから、くれぐれも、無茶をされませんようお願いいたします」
くれぐれも、を強調して言うヴァルの笑顔に気圧され、私はコクコク頷いた。
「もし、無茶をして怪我でもしたら......首輪と鎖を用意しましょうかね」
クツリ、喉を鳴らして目を細めるヴァルは愉しそうに笑う。
彼は本気で首輪と鎖を用意する気だと感じ、私の体から血の気が引いた。
「わっ私は愛玩動物ではないよ」
いくら手のかかる娘扱いとはいえ、首輪に鎖をつけられるペット扱いはされたくないし、そんな趣味は無い。
「ああ、ラクジット様は皆に愛される愛玩動物ではありませんでしたね。貴女は、私だけの可愛い姫君です」
“私だけの”ってどういう意味でしょう?
護衛騎士ヴァルは過保護で、黒騎士ヴァルンレッドは冷静沈着キャラだけど、ロリコン変態嗜好では無かった筈だ。
(まさか、手がかかる私のせいでヴァルは新たなる嗜好の扉を開いてしまったの!? )
いくら何でもそれは怖い。護衛騎士がロリコンとか無い無い。
......これ以上は深く考えてはいけない。
そう判断した私は、無理矢理笑顔を作って跪くヴァルに抱き付いた。
「いってらっしゃい、ヴァルンレッド」
ちゅっ、軽いリップ音を立てて整ったヴァルの頬へとキスした。
***
ヴァルンレッドと同様に、黒騎士ダリルも数日側から離れるからと、アレクシスは朝から離宮を訪れていた。
私達は、茂みの奥の秘密の場所に敷布を敷いて、持ち寄ったお菓子を広げる。
「肉体を維持するため?」
アレクシスが持ち寄ったマドレーヌを咀嚼して、飲み込んだ私は何それ?と問い返す。
「今の王の体は不安定なんだよ。王の姿は謁見して見ただろ? 今の王は王家の血筋特有の銀髪じゃなくて黒髪だし、体の持ち主の王子はあまり魔力も強くなかったんだってさ。そのせいで体が竜の力に耐えられなく定期的に寝なきゃなら無かったし、黒騎士達が呼ばれたのは体の崩壊を防ぐための儀式をするからみたいだ。俺はまだ成長しきってない子どもの体から憑依出来ないし。ラクジットもまだ子どもだから子を成せないし、王と側近達としたら苦肉の策じゃないかな」
この世界の成人は18歳。
だから18歳になったゲームのアレクシスは、憑依されるのを恐れて国から逃げたのか。
「それってチャンスだよね」
国王の一大事は側近達しか知らされないだろうが、儀式を行うにあたり王宮の警備は厳重なものとなる。
その分、離宮の警備は手薄になるだろう。
「ああ、王周辺の警備に気をとられてこっちは手薄になるな」
手薄になったお陰で、アレクシスも何時もより警護兵を誤魔化して離宮へ来るのは楽だった。
その分、離宮に張られている結界が強固になっているかと警戒したが、変化は特に無く少々拍子抜けしたのだ。
「ヴァルは三日で戻るって言っていたから、逃げるなら明日しかないか」
こんなチャンスはもう二度と無いかもしれない。
逃亡を決意した私は、紅茶風味のフィナンシェを勢い良く頬張った。
***
朝食を食べ終え、給仕係と侍女が部屋を出たのを確認した私は、フリルの付いたドレスから身軽で機能性を重視したワンピースへ着替えた。
着替えと換金しやすい装飾品を詰めたリュックサックを背負ってから、アレクシスに教えてもらった姿と気配を薄くする状態変化魔法を唱え、自室から廊下へ出る。
ほぼ無人の離宮内には、私と寄り添って歩く動きやすそうなワンピースへ着替えたメリッサの、二人分の足音しか聞こえない。
「メリッサ、本当にいいの?」
歩きながら私は、頭一つ分高い長身のメリッサを見上げる。
「私には帰る実家はありませんし、此処に居たら罰せらて処刑されますもの。それならば、姫様の側に居て貴女が幸せになるお姿を見ていたいのです」
私が逃亡した後、侍女達の処遇はアレクシスに頼んである。
世継ぎの大事な王子様という立場の彼ならば、軟禁している姫を逃がしてしまった侍女達を守れるし、アレクシスも彼女達の再就職先を王子付きにする、というのを了解してくれた。
昨夜、逃亡計画を打ち明けてアレクシスの保護下へ行くように伝えたメリッサは、頑なに私の側を離れるのを拒んだのだ。
「姫様は、ラクジット様は私の娘同然ですから。私が貴女を守ります」
涙を流して私を抱き締めるメリッサの腕の中は、幼き頃から変わらないやわらかな温もりがあった。
「準備は整ったか?」
「ア、アレクシス様......?」
庭園の端、茂みの奥にある秘密の場所で待っていたアレクシスの姿を目にしたメリッサの瞳は、大きく見開かれてじわじわと涙で潤んでいく。
「アレクシス様、立派に、成られて......」
口元に手を当てたメリッサは、嗚咽混じりの震える声を絞り出す。
母親の産後直ぐ、私とアレクシス二人の乳母をしていたメリッサには感動の再開だろう。しかし、感動の再開に浸る時間は無い。
挨拶もそこそこにして、アレクシスは先日完成させた転移陣を書き込んだ羊皮紙を広げた。
「国境付近に転移するようにしてある。国境警備の砦は通行証が無ければ抜けられない。二人は親子という事にして、上手く切り抜けてくれ」
手渡された二人分の通行証を、ワンピースのポケットへ仕舞う。
「ありがとうアレクシス。貴方は、大丈夫?」
いきなり私がいなくなったら、彼に不利な事が起きないか心配になる。
もしも、国王や黒騎士に私の逃亡を手伝ったと知られたら、アレクシスは責められやしないだろうか。
「大丈夫だよ。俺はそんなに弱くないから。大概の相手はどうにかなる」
ニヤリッ、口の端を上げて不敵に笑うアレクシスは、自分と似ている顔立ちなのに知らない男の子の顔に見えた。
「上手く逃げて落ち着いたら、連絡するね」
「ああ。そうだ、ラクジット手を出して」
言われるままに右手を差し出すと、手のひらに小振りな紫色の石が一つはまった指輪が乗せられる。
「もしヴァルンレッドが追い掛けてきたらこれを使え。光魔法を閉じ込めてあるから、目眩まし程度にはなる。目眩ましに成功したら転移陣を広げて逃げるんだ。絶対に、黒騎士と戦おうなんて考えるなよ」
「うん」
私が頷いたのを確認して、アレクシスは広げた羊皮紙に書き込まれた転移陣へ手をかざし魔力を注いでいく。
魔力に反応した転移陣の文字が朱金色に輝き出す。
パアアァー
息を飲むメリッサとぎゅうっと手を繋いだ私の体を、転移陣から伸びた真っ白な光が絡み付くように包み込んでいく。
何処かへ引っ張られる強い力と強烈な光で、堪えきれずに私は両目を瞑ってしまった。
補足として...王の直系、竜の血を強く継ぐ者は銀髪、青色の瞳となります。今の王は黒髪赤目だったけど、彼が生まれた当時は彼以外に子は生まれなかったためアレクシスが成人するまでの“繋ぎ”として王の器となりました。
ラクジットが王女でありながら“花嫁”とされたのは、現王が繋ぎの王のため、花嫁はより強い竜の血と魔力の持ち主である必要がある、という理由から。