第6話「公園の、おじちゃん」
植え込みの奥にいた海斗が、相談屋の慈恩に見つけられ、心の奥に残っていた本音に触れられる物語です。
その人は、ある日、植え込みの前に立っていた。
黒いジャケット。
細い体。
だらしなく開いた、糸みたいな目。
手に、たばこ。
「やあ」
のんびりした声だった。
ぼくは、答えなかった。
膝を抱えたまま、植え込みの奥で、体を小さくした。
知らない大人は、危ない。
それは、もう知っていた。
「ぼく、相談屋です」
大人は、そう言った。
何の相談屋なのか、ぼくにはわからなかった。
「座っても、いいですか」
返事を待たずに、その人は、植え込みのそばのベンチに座った。
ぼくのことを見ない。
見ないようにしている、という感じだった。
ただ、たばこに火をつけて、煙を吐いた。
煙は、まっすぐ上にのぼっていった。
なんだ、この人。
ぼくは、警戒したまま、その人を見ていた。
大人は、何もしなかった。
ぼくに近づかない。
質問もしない。
ただ、座って、たばこを吸っている。
その何もしない感じが、少しだけ、楽だった。
夏の、昼すぎ。
蝉が、鳴いている。
その人のたばこの煙が、青い空に、すうっと消えていく。
あれ。
ぼくは、ふと思った。
たばこの匂いがしない。
あんなに、煙が出ているのに。
風は、ない。
なのに、匂いがこっちに来ない。
ぼくは、すこし鼻を動かした。
絵の具とも、汗とも違う、夏の草の匂いしかしない。
変なの。
でも、その「変」は、なぜか怖くなかった。
◆◇
——慈恩
ぼくは、目を開けた。
いつもは、閉じている。
開ければ、いらないものまで見えてしまうから。
今は、ほんの少しだけ開けた。
植え込みの奥の、子どもが見えた。
いや。
子どもの、奥が、見えた。
ぼくの目は、人を二つの色で見る。
赤と、青。
悪い気持ちは、赤。
よい気持ちは、青。
たいていの人は、その二つがまだらに混じっている。
この子は、青かった。
深くて、まっすぐな、青。
でも、その青の上に、薄く灰色がかかっていた。
誰かに踏まれて、汚された色だ。
もったいない。
ぼくは、心の中でつぶやいた。
この子の青の奥に、別の光が見えた。
才能の、光だ。
ぼくの目は、その人がどの道でどこまで行けるかを色で教える。
この子には、海の色があった。
船に乗れば、きっと食べるのに困らない。
いい漁師になる。
でも、その隣に。
もっと遠くまで伸びる色があった。
芝の上を、どこまでも走っていく色。
ぼくの目で見ても、めったに出ない色だった。
ぼくは、煙を吐いた。
百万人に、一人。
この国でも、ひとつの世代に、数えるほどしか出ない色だ。
世界の真ん中で、戦える子。
漁師でも、成功する子が。
その上の道を持っている。
その子が、今、植え込みの奥で、膝を抱えて、だめになりかけている。
めんどくせぇ。
ぼくは、目を閉じた。
関わらない方が、楽だ。
子どものけんかに、大人が口を出すものじゃない。
でも。
あの、菜々子ちゃんの顔が、浮かんだ。
六歳の子が、ぼくのところまで、一人で来た。
背伸びして、エレベーターのボタンを押して。
あの子は、ぼくに頼んだ。
あの子を助けて、と。
あー、もう。
ぼくは、もう一度、目を開けた。
見つけたのは、あの子だ。
だったら、ぼくは。
その先を、少しだけ照らせばいい。
◆◇
——海斗
「お兄さん、サッカー、やってるんですか」
その人が、急に言った。
ぼくは、びくっとした。
なんで、知ってる。
「いや。なんとなく」
その人は、こっちを見ないまま、たばこを吸っている。
「もう、やめる」
気づいたら、ぼくは、そう言っていた。
「もう、やめるんだ。サッカーなんて」
声が、震えた。
だって。
学校に行けば、あいつらがいる。
ボールを蹴れば、笑われる。
うまくなればなるほど、目をつけられる。
だから、もう、やめる。
やめれば、楽になる。
「ふーん」
その人は、それだけ言った。
責めない。
なぐさめない。
ただ、煙を吐いた。
しばらく、沈黙があった。
蝉が、鳴いている。
それから、その人は、言った。
「ね、お兄さん」
「……」
「まだ、本気で、やってないでしょう」
え。
ぼくの、心臓が。
ぱくっ、と動いた。
「本気でやって、だめだったなら。やめてもいい」
「でも、お兄さんは、まだ本気でやってない」
「逃げてるだけです」
その声は、のんびりしていなかった。
まっすぐ、ぼくのいちばん奥に、届いた。
怒鳴られたわけじゃない。
責められたわけでもない。
でも、隠していた場所を、指でそっと押されたみたいだった。
なんで。
なんで、この人、わかるんだ。
ぼくが、ずっと自分にも隠してたこと。
本当は、まだ、やりたい、って。
その、いちばん奥の声を。
ぼくは、膝を抱えたまま。
顔を上げられなかった。
でも、心臓だけが、ずっとうるさく鳴っていた。
やめたい、より先に。
やりたい、が鳴っていた。
夏の、蝉の声の奥で。
ぼくの中の、何かが、まだ、生きていた。
慈恩の言葉で、海斗の中にまだ消えていなかった「やりたい」という気持ちが静かに動き出しました。
彼が主役を張る本編『燃えカスの守り人』も、よければ覗いてみてください。
煙草くさいおじさんですが、悪人ではありません。……多分 ( ´ー`)y-~~




