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世界一のストライカー【見て書いてきた少女】  作者: K3/KASANE
7/24最終回です

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53/57

第51話「神社の朝」

時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。

 鏡の中に。


 白無垢を着た私がいた。


 知らない人みたいだった。


 白い着物。


 白い帯。


 髪も。


 いつもとは違う形に結われている。


 少し顔を動かす。


 鏡の中の花嫁も。


 同じように動いた。


「……私なんだ」


 小さく、声が出た。


 まだ。


 自分の姿だという感じがしない。


 でも。


 目だけは。


 いつもの私だった。


 植え込みの奥を。


 初めてのぞいた目。


 空港で。


 遠ざかる背中を見送った目。


 小さな画面の向こうにいる海斗くんを。


 何年も、見続けた目。


 自分を見失って。


 もう一度、自分を見つけた目。


 ずっと。


 見てきた、私の目。


 その目が。


 鏡の中から、こちらを見ていた。


    * * *


 控室は、静かだった。


 窓の外から。


 蝉の声が、遠く聞こえる。


 夏の終わりに残った。


 細い声。


 晩夏の朝。


 障子を通した光が。


 畳の上へ、白く落ちている。


 畳の匂い。


 衣擦れの音。


 着付けをする人の。


 静かな呼吸。


 お母さんが。


 私の後ろに立った。


「少し、直すね」


「うん」


 髪に。


 ゆっくり、櫛を入れる。


 髪の根元から。


 毛先へ。


 引っかからないように。


 ていねいに。


 急がずに。


 何度も。


 その手つきが。


 子どものころと、同じだった。


 六歳の朝。


 寝ぐせのついた私の髪を。


 お母さんが、櫛でとかしてくれた。


 そのあと。


 私は外へ出た。


 公園へ行った。


 植え込みの奥に。


 膝を抱えた男の子を見つけた。


 あの日。


 私の髪をとかした手が。


 いま。


 花嫁になった私の髪へ、触れている。


 あれから。


 十六年。


「菜々子」


「うん」


「きれいよ」


 お母さんの声が。


 少しだけ、にじんでいた。


 鏡を見ると。


 お母さんは、笑っている。


 でも。


 目の端が、濡れていた。


「お母さん」


「なに?」


「ありがとう」


 もっと。


 言いたいことがあった。


 何もできなかったころ。


 ごはんを作ってくれたこと。


 フルートが鳴らない私を。


 急がせなかったこと。


 海斗くんと別れた理由を。


 無理に聞かなかったこと。


 毎日を。


 変えずに続けてくれたこと。


 でも。


 全部は、言葉にできなかった。


「うん」


 お母さんは。


 それだけ答えた。


 櫛を持っていないほうの手で。


 私の肩に、そっと触れた。


    * * *


 帯が締められた。


 体の真ん中に。


 静かな重みが来る。


 苦しい。


 でも。


 嫌な重さではなかった。


 十六年を。


 体の中心で受け止めるような重さ。


 遠かった海も。


 世界のゴールも。


 別れた夜も。


 鳴らなかった拍手も。


 もう一度、手を取った公園も。


 全部。


 ここへ、連れてきた。


 ふすまの向こうで。


 お父さんが、咳払いをした。


 一回。


 少し間があって。


 もう一回。


「お父さん、さっきから落ち着きないね」


 私が言うと。


 お母さんが、小さく笑った。


「朝から、ずっとよ」


「そうなの?」


「店の中を、何回も行ったり来たりしてた」


 ふすまの向こうから。


「聞こえとるぞ」


 お父さんの声がした。


「聞こえるように言ったの」


 お母さんが答える。


 美月お姉ちゃんの笑い声がした。


「お父さん、菜々子より緊張してるもんな」


「してへん」


「ネクタイ、三回やり直してたやん」


「今日は、ネクタイやない」


「だから、朝の話」


「美月」


 お父さんの。


 少し困った声。


 お母さんの、小さな笑い。


 美月お姉ちゃんの、明るい声。


 中野家の朝の音。


 結婚式の日でも。


 いつもと同じ音だった。


 その変わらなさに。


 胸の奥が、温かくなった。


 私は。


 この家を出ていく。


 でも。


 この家で生きてきた時間が。


 なくなるわけではない。


 海斗くんと結婚しても。


 私は、中野菜々子だった私を。


 置いていくわけではない。


 ここで育った全部を。


 持っていく。


    * * *


 私のすぐ横に。


 フルートのケースがあった。


 黒いケース。


 何度も開いて。


 何度も閉じてきた。


 鳴らなかった日も。


 音を取り戻した日も。


 いつも、そばにあった。


 今日も。


 私のそばにある。


 でも。


 背負わなかった。


 白無垢の横へ。


 静かに置かれている。


 私が。


 音だけの人ではないように。


 フルートも。


 私を支えるものの一つとして。


 そこにあった。


 胸は。


 静かに鳴っていた。


 緊張していないわけではない。


 このあと。


 たくさんの人の前へ出る。


 海斗くんと。


 生涯の誓いを交わす。


 そのあと。


 まだ一度も最後まで鳴らしていない曲を吹く。


 怖くないはずがなかった。


 でも。


 半分だったころの。


 何かにすがるような怖さではない。


 逃げたくなる怖さでもない。


 自分で選んだ場所へ。


 一歩を踏み出す前の緊張。


 全部の私で。


 ここに立っていた。


    ◆◇


――海斗


 紋付きを着た。


 鏡の中の自分を見る。


 似合っているのか。


 よく分からない。


 羽織紐を結ぶ。


 一度。


 指から外れた。


 もう一度、結ぶ。


 今度は。


 左右の長さが違った。


「違うな」


 ほどく。


 また、結ぶ。


 指が。


 思うように動かない。


 試合前なら。


 靴紐を、目を閉じても結べる。


 どれほど大きな試合でも。


 手が止まることはない。


 でも。


 今日は。


 小さな羽織紐が。


 うまく結べなかった。


「貸してください」


 そばにいた人が。


 見かねて、手を伸ばした。


「すみません」


 結んでもらう。


 すぐに。


 きれいな形になった。


「緊張されていますか」


「少し」


 本当は。


 かなり、していた。


 息を吐く。


 懐に、手を当てた。


 硬い感触。


 あの缶がある。


 今日も。


 持ってきた。


 十五年前。


 ななちゃんが。


 植え込みの奥にいた僕へ。


 差し出してくれた、お茶の缶。


 指で。


 へこんだ角を確かめる。


 ここにある。


 一緒に。


 ここまで来た。


『七年、見ててね』


 僕は。


 あの日、そう言った。


 七年あれば。


 何かになれると思っていた。


 強くなって。


 世界へ行って。


 ななちゃんが。


 胸を張って見られる人になろうと思った。


 でも。


 七年では、足りなかった。


 世界の頂点へ立っても。


 僕は。


 ななちゃんを幸せにはできなかった。


 一度。


 手を離した。


 ななちゃんは。


 自分の音を見つけた。


 僕たちは。


 もう一度、互いを選んだ。


 そして。


 あの日から、十六年。


 見ていてほしいという約束は。


 別の形になって。


 今日へ着地する。


 これからは。


 一方が見るだけではない。


 僕も見る。


 ななちゃんも見る。


 それぞれが。


 自分の場所へ立ったまま。


 互いの人生を見ていく。


 懐から、手を離した。


 紋付きを整える。


「行きます」


 自分に言うように。


 声を出した。


    * * *


 境内へ出た。


 玉砂利が。


 足の下で鳴る。


 ざっ。


 ざっ。


 一歩進むたび。


 乾いた音がした。


 朝の光が。


 社殿の屋根に当たっている。


 木々の向こうから。


 蝉の声が聞こえた。


 夏の終わり。


 空は高く。


 風には。


 少しだけ、秋が混じっていた。


 僕は。


 ななちゃんを待つ場所に立った。


 参列する人たちの。


 声が聞こえる。


 知っている顔。


 神宝町の人たち。


 僕を支えてくれた人たち。


 ななちゃんを。


 見守ってきた人たち。


 でも。


 いまは。


 だれの顔も、うまく見られなかった。


 ななちゃんが出てくる場所だけを。


 見ていた。


 待つ。


 僕が。


 ずっと。


 先へ行く側だった僕が。


 今日は。


 立ち止まって。


 ななちゃんを待っている。


 子どものころ。


 植え込みの奥から出た僕は。


 ななちゃんを置いて。


 走りはじめた。


 空港でも。


 振り返らなかった。


 世界でも。


 前だけを見て走った。


 でも。


 今日は。


 先へ行かない。


 ななちゃんが来るまで。


 ここにいる。


 世界の頂点は。


 一人で立つ場所だった。


 だれかに譲ることも。


 手を引いて、連れていくこともできない。


 でも。


 ここは違う。


 一人で。


 先へ進む場所ではない。


 二人で。


 同じ一歩を踏み出す場所だった。


    ◆◇


――菜々子


「菜々子」


 ふすまの向こうから。


 お父さんに呼ばれた。


「そろそろや」


「うん」


 立ち上がろうとした。


 白無垢の重さが。


 体へかかる。


 いつもの服とは違う。


 簡単には動けない。


 お母さんが。


 そっと、腕を支えてくれた。


「ゆっくりでいいから」


「うん」


 一歩。


 足を出す。


 また、一歩。


 急がない。


 今日まで。


 十六年かかった。


 ここから先も。


 急がなくていい。


 支度が整った。


 私は。


 フルートのケースの前へ行った。


 手をのせる。


 冷たい、表面。


 留め金へ、指をかける。


 かちり。


 一つ、外した。


 もう一つ。


 蓋を。


 少しだけ開ける。


 中に。


 銀色のフルートがある。


 今日。


 あの曲を。


 初めて、最後まで吹く。


 海斗くんへ。


 同じ場所で。


 同じ空気の中で。


 私の十五年を、渡す。


 まだ。


 そのときではない。


「あとでね」


 フルートに向かって。


 小さく言った。


 蓋を閉じる。


 かちり。


 留め金の音がした。


 その日まで。


 鳴らさないと決めた音。


 その日は。


 もう、すぐそこまで来ている。


 私は。


 ケースから手を離した。


 障子越しに。


 境内の光が差している。


 白無垢を。


 ほんのり温めるくらいの。


 やわらかな光。


 蝉が。


 ひとつ、鳴いた。


 長く。


 細く。


 それから、やんだ。


 部屋に。


 静けさが戻る。


「行こうか」


 お父さんが言った。


 さっきまでの。


 落ち着かない声ではなかった。


 低く。


 静かな声だった。


「うん」


 私は、答えた。


 お母さんを見る。


 美月お姉ちゃんを見る。


 二人とも、笑っていた。


 でも。


 目が、少し濡れている。


「行ってきます」


 そう言って。


 おかしくなった。


 家を出るわけではないのに。


 遠くへ行くわけでもないのに。


 どうしてか。


 その言葉が出た。


「行ってらっしゃい」


 お母さんが、答えた。


 美月お姉ちゃんが。


「転ばないでね」


 と言った。


「そこ?」


「菜々子、緊張すると足元見ないから」


「今日は、見てる」


 私は。


 自分の足元を見た。


 白無垢の裾。


 その先へ。


 一歩、足を出す。


 ふすまが。


 ゆっくり、開いた。


    * * *


 廊下を進む。


 外の光が。


 少しずつ、近づいてくる。


 玉砂利を踏む音が。


 向こうから聞こえた。


 海斗くんが。


 そこにいる。


 ずっと。


 見送る側だった私。


 海斗くんの背中を。


 何度も見送った。


 でも。


 今日は違う。


 今日は。


 自分から。


 みんなの前へ出ていく。


 海斗くんの背中を追うのではない。


 海斗くんが待っている場所へ。


 自分の足で、歩いていく。


 お父さんが。


 私の隣に立った。


「大丈夫か」


「うん」


「重ないか」


「重い」


「そうか」


「でも、大丈夫」


 お父さんが、頷いた。


 外へ出る。


 空が、高かった。


 晩夏の青。


 木々の緑。


 白い光。


 境内にいる人たちが。


 一斉に、こちらを見る。


 少し離れた場所に。


 海斗くんがいた。


 紋付きを着て。


 まっすぐ、こちらを見ている。


 世界の舞台に立つときとも。


 公園でプロポーズしたときとも違う顔。


 緊張して。


 泣きそうで。


 それでも、笑っていた。


 私は。


 初めて見る、その顔を。


 ちゃんと見た。


 海斗くんも。


 白無垢の私を見ている。


 十五年前。


 植え込みの葉のあいだから。


 初めて目が合った。


 あの日と同じように。


 しばらく。


 互いから、目をそらさなかった。


 誓いがある。


 そのあとには。


 まだ。


 だれも最後まで聞いていない音がある。


 私は。


 お父さんと一緒に。


 海斗くんが待つ場所へ。


 最初の一歩を踏み出した。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


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