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世界一のストライカー【見て書いてきた少女】  作者: K3/KASANE
7/24最終回です

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52/57

第50話「その日まで、鳴らさない」

時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。

 日記帳を開いた。


『ななちゃんの、しょうにん』


 その下に。


 結婚式で、海斗くんに聞かせたいことを。


 書こうとした。


 鉛筆を持つ。


 最初の一行を、書いた。


『十五年前、植え込みの奥に――』


 そこで、止まった。


 消しゴムで消す。


 もう一度、書く。


『海斗くんと、はじめて会ったのは――』


 違う。


 また、消した。


『私は、ずっと海斗くんを見てきた――』


 これも。


 何かが、違った。


 書いては、消した。


 消しては、書いた。


 白かった紙が。


 すこしずつ、黒く汚れていく。


 消しゴムのかすが。


 机の上に、たまった。


 何度もこすったところは。


 紙が、けばだった。


 鉛筆の先が。


 薄くなった紙へ引っかかる。


 私は、手を止めた。


 十五年。


 植え込みの奥で。


 缶を差し出した日。


 海斗くんを見てきた時間。


 海斗くんに、見てもらった時間。


 離れたこと。


 自分を見失ったこと。


 自分の音を、取り戻したこと。


 もう一度、互いを選んだこと。


 そして。


 あの公園で。


 結婚してくださいと、言われたこと。


 その全部が。


 文字の中に、入りきらなかった。


 書けないわけではない。


 ここまで。


 ずっと、書いてきた。


 日記があったから。


 忘れずにいられた。


 見たものを。


 自分の中へ、残してこられた。


 でも。


 いま、海斗くんへ伝えたいものは。


 文字だけでは、足りなかった。


「これは」


 小さく、声にした。


「音じゃないと、言えない」


 私は、鉛筆を置いた。


 フルートのケースを見る。


 自分で曲を作ろうとは、思わなかった。


 作曲は、できない。


 むかし。


 それを知った。


 私には。


 何もないところから。


 新しい曲を作る才能はない。


 それを。


 もう、恥ずかしいとは思わなかった。


 だれかが作った。


 古い曲がある。


 何十年も。


 何百年も。


 人から人へ演奏されてきた曲。


 みんなが知っている曲。


 同じ楽譜。


 同じ旋律。


 それを。


 私の息で吹く。


 海斗くんと生きてきた十五年を。


 その音の中へ流す。


 曲を作るのではない。


 私の音で。


 もう一度、生かす。


 私は。


 結婚式で吹く曲を選んだ。


    * * *


 譜面は。


 すぐに、さらえた。


 何度も聞いたことのある。


 古い曲。


 指は、よどみなく動く。


 息も。


 最後まで続く。


 音は、丸く整っている。


 音程も。


 大きく外れてはいない。


 先生に聞かせれば。


 きっと。


「よくできています」


 と言われる。


 でも。


 私の耳に。


 その音は、何も残さなかった。


 耳へ入って。


 そのまま、通り過ぎていく。


 つかまるところがない。


 冷たいガラスの表面を。


 指でなでているみたいだった。


 なめらかで。


 きれいで。


 何も残らない。


 私は、フルートを下ろした。


 譜面を見る。


 楽譜に。


 間違いはない。


 指も。


 息も。


 間違っていない。


 それなのに。


 この音では。


 海斗くんに、届かない。


 私は、目を閉じた。


 植え込みの奥にいた。


 小さな背中。


 空港で。


 遠ざかっていったリュック。


 世界の舞台で。


 ゴールを決めた海斗くん。


 別れの夜。


 星も見えなかった、真っ暗な空。


 自分の音を取り戻した日。


 もう一度、手を取った秋。


 冬の手前の公園。


 海斗くんの手の中で。


 震えていた、古い缶。


 見てきたものを。


 一つずつ。


 息の根元へ置いた。


 もう一度。


 フルートを構える。


 吹く。


 音は。


 さっきより、少し揺れた。


 でも。


 まだ、違う。


 丸い音の外側に。


 私の十五年が、立っている。


 音の中へ入りたくても。


 入れないまま。


 こちらを見ている。


 私は。


 途中で演奏を止めた。


「どうして」


 楽譜に向かって、聞いた。


 答えは、返ってこない。


 もう一度、吹いた。


 今度は。


 思い出を込めようと、力んだ。


 植え込み。


 空港。


 海。


 別れ。


 再会。


 全部を。


 音の中へ押しこもうとした。


 すると。


 音が、重くなった。


 息が、進まない。


 曲が。


 思い出の重さに、つぶれていく。


 違う。


 これでもない。


 私は。


 フルートを下ろした。


 思い出さなければ。


 何も残らない。


 思い出を押しこめば。


 曲が動かない。


 十五年を。


 どうやって、一つの曲にするのか。


 その日は。


 答えが見つからなかった。


    * * *


 それから、何日も。


 同じ曲を練習した。


 指づかいを確かめる。


 息を整える。


 小さな音。


 大きな音。


 一つずつ。


 技術として、磨いていく。


 でも。


 十五年の音では。


 最後まで吹かなかった。


 まだ。


 その音の行き先が。


 はっきりしていなかった。


 ある夜。


 同じ場所で。


 また、指が止まった。


 楽譜の途中。


 フルートを構えたまま。


 私は、考えた。


 だれに。


 聞かせる音なんだろう。


 結婚式には。


 たくさんの人が来る。


 家族。


 友達。


 神宝町の人たち。


 音大で出会った人。


 海斗くんを支えてきた人。


 みんなに。


 聞いてもらう。


 でも。


 この曲は。


 大勢の人へ広げるために吹くんだろうか。


 私は。


 首を振った。


 審査員ではない。


 賞をくれる人でもない。


 大勢のお客さんでもない。


 いちばん聞かせたい人は。


 一人だけだった。


 海斗くん。


 遠距離だったころ。


 私は。


 画面越しに、海斗くんを見ていた。


 小さな画面。


 何時間も遅れて届くメッセージ。


 疲れた声。


 海をへだてて。


 何度も、焦がれた。


 画面越しではなく。


 直接、つながりたい。


 同じ場所で。


 同じ空気の中で。


 海斗くんを見たい。


 そう思っていた。


 音も。


 同じだった。


 大勢の人に。


 広く、きれいに届ける音ではない。


 一人に。


 あの人に。


 まっすぐ届く音。


 私の息から生まれて。


 同じ空気を震わせて。


 そのまま。


 海斗くんのところへ行く。


 その一本。


 そう思った瞬間。


 息の行き先が、見えた。


 狭くするのではない。


 細くするのでもない。


 舞台の全部へ広げながら。


 最後には。


 海斗くん一人の胸へ届く。


 そのための息。


 私は。


 最初の音を吹いた。


 音は。


 さっきまでより、まっすぐだった。


 でも。


 部屋の壁に当たって。


 戻ってきた。


 ここではない。


 なぜか。


 そう思った。


    * * *


 私は。


 フルートをケースに入れた。


 上着を着る。


 家を出た。


 向かったのは。


 植え込みのある公園だった。


 すべてが、始まった場所。


 だれもいない。


 冬の夜。


 街灯の光が。


 ベンチの端を照らしている。


 植え込みは。


 暗い影になっていた。


 昔より。


 ずっと小さく見える。


 風が吹いた。


 指先が、かじかむ。


 吐く息が、白い。


 こんな場所で。


 フルートを吹くべきではない。


 冷たい空気は。


 楽器にも、息にもよくない。


 長くは吹けない。


 分かっていた。


 それでも。


 一度だけ。


 ここで、確かめたかった。


 私は。


 植え込みの前に立った。


 十五年前。


 海斗くんがいた場所を見る。


 小さな背中は。


 もう、いない。


 でも。


 私の中には、残っている。


 ケースを開ける。


 フルートを組み立てる。


 冷たい管を。


 両手で包んだ。


 少しだけ、温める。


 楽器を構えた。


 息を吸う。


 だれかが作った。


 古い曲。


 いままで。


 数えきれない人が吹いてきた曲。


 その最初の音を。


 私の息で鳴らした。


 音が。


 冬の公園へ伸びる。


 最初は。


 少し、硬かった。


 冷えた空気に。


 音が震えた。


 私は。


 その震えを、直そうとしなかった。


 震えたまま。


 次の音へ進んだ。


 植え込みの奥へ。


 音が入っていく。


 六歳の私が。


 缶を持って、立っている。


 暗い葉の向こうに。


 海斗くんがいる。


 音を重ねる。


 空港の背中。


 世界のゴール。


 真っ暗な別れの夜。


 星の見えた再会。


 鳴らなかった拍手。


 もう一度、鳴った拍手。


 古い缶を持った。


 震える手。


 思い出を。


 音へ押しこまなかった。


 ただ。


 そこにあるものとして。


 一緒に、息をした。


 すると。


 いつのまにか。


 十五年が。


 音の外側から、消えていた。


 全部。


 曲の中にいた。


 丸い音の中に。


 六歳の私がいる。


 見送った背中がある。


 海がある。


 真っ暗な空も。


 冬の星もある。


 周りの音が。


 遠くなった。


 風。


 道路を走る車。


 枝が触れ合う音。


 何も聞こえなくなる。


 私の音だけが。


 一本の道になって。


 植え込みの前から。


 まっすぐ伸びていく。


 鳴った。


 私には。


 それだけで分かった。


 これだ。


 この音を。


 海斗くんに、聞かせる。


 曲は。


 まだ、途中だった。


 このままなら。


 最後まで吹ける。


 いま。


 ここで。


 十五年の音を、完成させられる。


 でも。


 私は。


 次の音を、吹かなかった。


 息を止める。


 フルートを、ゆっくり下ろした。


 静けさが。


 公園へ戻ってきた。


 最後まで、吹けなかったんじゃない。


 吹かなかった。


 ここで終わらせるのではなく。


 あの日のために。


 最後の音を残した。


「ここまで」


 私は、自分に言った。


 技術の練習は、続ける。


 指も。


 息も。


 毎日、磨く。


 曲を忘れないように。


 何度でも、練習する。


 でも。


 海斗くん一人へ向けた。


 十五年の音だけは。


 その日まで。


 最後まで通して、鳴らさない。


 我慢ではない。


 私が、選んだ。


 いちばん聞かせたい人に。


 いちばん、いい音で。


 同じ場所で。


 初めて、最後まで聞いてもらう。


 その日まで。


 この音を。


 私の中で、育てる。


 海斗くんは。


 まだ知らない。


 知らないままでいい。


 その日。


 初めて聞く。


 私と。


 海斗くんの。


 十五年を。


    ◆◇


――慈恩


 菜々子ちゃんが。


 NAKANOへ入ってきた。


 フルートのケースを背負っている。


 外は。


 ずいぶん、寒いらしい。


 頬が、赤くなっていた。


 指先も。


 冷えている。


「こんばんは」


「はい。こんばんはー」


 ぼくは。


 カウンターの端に座っていた。


 中野さんが。


 温かい飲み物を。


 菜々子ちゃんの前に置く。


「こんな時間まで、練習か?」


「少しだけ」


「外で吹いたんか?」


 菜々子ちゃんが。


 少し、目をそらした。


「少しだけ」


「楽器、冷やしたらあかんぞ」


「分かってる」


「分かっとる顔やないな」


 中野さんは。


 あきれたように言った。


 でも。


 それ以上は聞かなかった。


 菜々子ちゃんは。


 両手で、温かいカップを包んだ。


 ぼくも。


 何があったのか、聞かなかった。


 曲は決まったのか。


 完成したのか。


 だれに聞かせるのか。


 何も、聞かない。


 フルートを吹いてとも。


 言わなかった。


 ただ。


 菜々子ちゃんの顔を見た。


「あー」


 煙草の煙を吐く。


「いい音に、なりそうですねー」


 菜々子ちゃんが。


 驚いた顔をした。


「まだ、聞いてないのに」


「はい」


「どうして、分かるんですか」


 ぼくは。


 答えなかった。


 答えたら。


 つまらない。


 菜々子ちゃんは。


 しばらく、ぼくを見ていた。


 それから。


 自分で、何かに気づいたように。


 小さく、頷いた。


「そうですね」


 カップから。


 湯気が上がっている。


 あの植え込みにいた子が。


 ここまで来た。


 見ているだけだった子が。


 自分の音で。


 だれかに届こうとしている。


 ぼくは。


 それを、言葉にはしなかった。


 ただ。


 温かいものを飲む。


 菜々子ちゃんを見ていた。


    ◆◇


――菜々子


 家に帰った。


 日記帳を開く。


『ななちゃんの、しょうにん』


 その文字が。


 紙の上で。


 何かを待っているように見えた。


 私は、書けなかったわけではない。


 書いてきたから。


 ここまで来られた。


 海斗くんを見た日。


 空港で別れた日。


 もう一度、会った日。


 離れた夜。


 自分の音を取り戻した日。


 日記は。


 私が見たものを。


 ずっと、ここに残してくれた。


 書くことは。


 終わりではない。


 そこにいたことを。


 忘れないための始まりだった。


 でも。


 十五年の。


 最後の一行だけは。


 文字ではなく。


 音で、書く。


 私は。


 けばだったページを開いた。


 鉛筆を持つ。


 短く。


 一行だけ書いた。


『曲は、決まった』


 その下に。


『でも、最後までは、まだ鳴らさない』


 鉛筆を置いた。


 神棚の前に立つ。


 二礼。


 両手を上げる。


 パン。


 パン。


 二拍手。


 手を合わせる。


 その日まで。


 練習します。


 磨きます。


 育てます。


 でも。


 あの人へ向けた音だけは。


 その日まで。


 最後まで、鳴らしません。


 一礼。


 顔を上げる。


 窓の外には。


 冬の星が見えた。


 結婚式で奏でる曲を。


 海斗くんは、まだ知らない。


 その日。


 世界で、いちばん近い場所で。


 初めて。


 最後の音まで聞く。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


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