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世界一のストライカー【見て書いてきた少女】  作者: KASANE
7/24最終回です

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48/51

第46話「自分の、音」

時間ができた時にも随時更新します!


ぜひお楽しみに!


それでは、本編をお楽しみください。

「菜々子。卵焼き、取らないの?」


 ほのかに言われて。


 私は、食堂の小皿を見た。


「あ。食べる」


「さっきから、見てるだけだったけど」


「どれにしようかな、って」


「三分も?」


「そんなに?」


 ほのかが、笑った。


 私も。


 少しだけ、笑った。


 大学の食堂。


 昼休み。


 まわりから、話し声が聞こえる。


 お箸が、お皿に触れる音。


 椅子を引く音。


 窓から差し込む、やわらかい光。


 私は、卵焼きの小皿を取った。


 一口、食べる。


「甘い」


「ここ、いつも甘いよ」


「そうだったっけ」


「三年も食べてるのに?」


 また、ほのかが笑った。


 今度は。


 私も、ちゃんと笑えた。


 あの日から。


 すこしずつ、時間が過ぎた。


 私は、無理じいをやめた。


 鳴らさなきゃ。


 書かなきゃ。


 早く、元の私に戻らなきゃ。


 そうやって、自分を追い立てることをやめた。


 休んだ。


 ただ、生活をした。


 朝、起きる。


 顔を洗う。


 お母さんの作った朝ごはんを食べる。


 学校へ行く。


 授業を受ける。


 ほのかと、お昼を食べる。


 帰って。


 お風呂に入って。


 眠る。


 最初は。


 それだけで、つかれた。


 一日を終えるだけで。


 長い距離を走ったみたいだった。


 フルートのケースを開けない日もあった。


 日記帳を見ない日もあった。


 神棚の前に立たない朝もあった。


 それでも。


 お父さんも、お母さんも。


 何も言わなかった。


 慈恩さんの言葉を、思い出した。


 鳴らないことも。


 書けないことも。


 いまの私の、全部。


 だから。


 できない日を。


 なかったことにしなかった。


 それも、私の一日だと思うことにした。


 海斗くんの影を、追わない毎日。


 海斗くんが、どうしているのか。


 気にならないわけじゃない。


 駅の画面に、試合の映像が流れると。


 足が止まりそうになる。


 街で、海斗くんの名前を聞けば。


 胸の奥が、痛くなる。


 スマートフォンを開いて。


 名前を検索しそうになる夜もあった。


 でも。


 見なかった。


 我慢した、というより。


 いまは、見ないと決めた。


 海斗くんを見る前に。


 まずは。


 私が、私を生きる。


 それだけをした。


    * * *


 ある朝。


 鏡を見た。


 寝ぐせが、右側だけ跳ねていた。


「ひどい」


 思わず、声が出た。


 水をつけても、直らない。


 手で押さえて。


 離す。


 また、跳ねる。


 鏡の中の私が。


 少し困った顔をした。


 それを見て。


 私は、ふと思った。


 ああ。


 私だ。


 鏡の中にいるのが。


 ちゃんと、私に見えた。


 特別なことは、何もなかった。


 音が戻ったわけでもない。


 日記が書けたわけでもない。


 二回目の拍手も、まだ鳴らない。


 ただ。


 寝ぐせに困っている私が、鏡にいる。


 それだけだった。


 それでも。


 久しぶりに、思えた。


 私。


 ここに、いる。


 海の向こうに置いてきた半分が。


 ほんの少しずつ。


 戻ってきていた。


    * * *


 その日の夕方。


 窓から、風が入ってきた。


 カーテンが、ゆっくり持ち上がる。


 外から。


 子どもたちの声が聞こえた。


 自転車のベル。


 遠くを走る電車の音。


 台所からは。


 お母さんが夕食を作る音がする。


 私は。


 机の横に置いてある、フルートのケースを見た。


 吹かなきゃ、とは思わなかった。


 練習しなきゃ、でもない。


 一番になるためでも。


 自分の音を、さがすためでもなかった。


 ただ。


 吹きたい。


 そう思った。


 なんとなく。


 窓から入る風が、気持ちよくて。


 この風の中で。


 一度だけ、音を出してみたくなった。


 それだけだった。


 私は、フルートのケースを開いた。


 銀色の管を、一つずつ取り出す。


 つなげる。


 指で、冷たい表面に触れる。


 久しぶりだった。


 楽器を構える。


 息を吸った。


 一音、吹く。


 音は。


 少し、かすれた。


「……あ」


 私は、いったんフルートを下ろした。


 前なら。


 失敗したと思った。


 やっぱり鳴らない、と。


 すぐに、もう一度吹いていた。


 きれいな音が出るまで。


 自分を責めながら、何度でも。


 でも。


 今日は。


 かすれた音が、少しおかしかった。


 長く眠っていた人が。


 起きたばかりで、声を出したみたいだった。


「久しぶり、だもんね」


 私は。


 フルートに向かって言った。


 もう一度、息を吸う。


 今度は。


 上手に吹こうとしなかった。


 正しい音を出そうとも。


 自分の音を見つけようとも、しなかった。


 ただ。


 吹きたいように、吹いた。


 楽譜を開く。


 だれかが作った、古い曲。


 何度も吹いた。


 よく知っている曲。


 指が、最初の音を覚えている。


 私は。


 ゆっくり、吹きはじめた。


    * * *


 植え込みの奥の、暗さ。


 葉のあいだから見えた。


 小さな背中。


 空港で。


 振り返らずに歩いていった、海斗くん。


 画面の向こうに広がっていた。


 世界の芝生の、緑。


 慈恩さんの。


 ほんとうのことを隠す、伸びた語尾。


 葵ちゃんの笑い声。


 NAKANOに流れる。


 だしの匂い。


 お父さんの。


「休めばええ」


 という声。


 お母さんが、毎日置いてくれた。


 温かいごはん。


 別れの夜。


 胸の奥が裂けたような、痛み。


 それでも。


 消えなかった。


 すきだ、という気持ち。


 私は。


 その全部を、思い出していた。


 思い出そうとしたわけではない。


 音を吹くたび。


 一つずつ。


 勝手に、浮かんできた。


 息に、のる。


 指に、のる。


 音の中へ、流れていく。


 きれいな思い出だけじゃない。


 つらかったことも。


 見たくなかったものも。


 忘れたかった夜も。


 全部。


 そのまま、流した。


 すると。


 音が、変わった。


 最初は、かすれていた。


 細く、震えていた。


 それが。


 息を重ねるたびに。


 少しずつ、前へ伸びていく。


 窓から入った風が。


 音を、カーテンの向こうへ運んでいく。


 濁っていない。


 まっすぐだった。


 久しぶりの。


 まっすぐな音。


 でも。


 音大の、上手な子たちの音とは違った。


 太くて。


 強くて。


 ぶれない。


 遠くまで、きれいに届く。


 そんな音ではなかった。


 私の音は。


 少し細い。


 ところどころ、揺れる。


 明るいだけでもない。


 悲しいだけでもない。


 たくさんの色が。


 水に溶けるみたいに。


 一つの音の中に、にじんでいた。


 私は。


 最後まで、吹いた。


 音が、止まる。


 部屋に。


 静けさが戻った。


 フルートを持ったまま。


 動けなかった。


 胸の奥に。


 まだ、音が残っている。


 手が、震えていた。


 でも。


 前みたいな、怖い震えではなかった。


「これだ」


 小さく。


 声が出た。


 これが。


 私の音だ。


    * * *


 自分の音は。


 技術だけではなかった。


 一番になることでも。


 自分で曲を作ることでもない。


 技術が、いらないわけじゃない。


 上手にならなくていいわけでもない。


 でも。


 それだけでは。


 私の音には、ならない。


 私が見てきたもの。


 感じてきたもの。


 好きになった人。


 別れた人。


 助けてくれた人。


 何も聞かずに、そばにいてくれた人。


 痛かったこと。


 うれしかったこと。


 忘れられないもの。


 忘れたくないもの。


 その全部が。


 音に、にじんでいた。


 だれも。


 私が見たものと、まったく同じものは見ていない。


 植え込みの奥にいた海斗くんも。


 空港の別れも。


 十年の時間も。


 私だけが見た。


 私だけが。


 その場所にいた。


 だから。


 だれにも、同じ音は出せない。


 私だけの音。


 しょうにんの、音。


 見ることが。


 音になった。


 書けなかったものが。


 息になって、流れ出した。


 ずっと。


 私は、自分が見えなかった。


 鏡を見ても。


 日記を書こうとしても。


 自分が、だれなのかわからなかった。


 自分を見つめようとするほど。


 私が、遠ざかっていった。


 でも。


 今日。


 すこしだけ、わかった。


 私は。


 私だけを見つめても、見えない。


 私が見てきたもの。


 私の中に残ったもの。


 それを、外へ流したとき。


 そこに。


 私がいた。


 あの夜。


 私は思った。


 どうして。


 しょうにんだったんだろう、と。


 しょうにんであることが。


 私を半分にしたんじゃないか、と。


 でも。


 違った。


 しょうにんが。


 私を半分にしたんじゃない。


 私は。


 外ばかり見て。


 自分を、海の向こうへ置いてきた。


 見ることは。


 自分を消すことじゃない。


 見てきたものを。


 自分の中へ戻すこと。


 それが。


 私の、しょうにんだった。


    * * *


 私は、フルートを置いた。


 それから。


 神棚の前に立った。


 二礼。


 頭を下げる。


 両手を。


 胸の前に上げた。


 少し、怖かった。


 今日も。


 二回目が鳴らなかったら。


 さっきの音は。


 ただの偶然だったのかもしれない。


 そんな考えが、浮かんだ。


 でも。


 すぐに、首を振った。


 二回目が鳴らなくても。


 さっきの音は、消えない。


 できなくても。


 いまの私の、全部。


 私は、息を吸った。


 パン。


 一回目。


 乾いた音が、部屋に響く。


 手を離す。


 そして。


 もう一度。


 自分の手で、鳴らそうと思った。


 右手を。


 左手へ下ろす。


 今度は。


 途中で、止まらなかった。


 パン。


 二回目が、鳴った。


「あ……」


 鳴った。


 あの夜から。


 ずっと鳴らせなかった。


 二回目の拍手。


 音は、すぐに消えた。


 でも。


 私の中には。


 いつまでも残っていた。


 涙が、一つ。


 頬を流れた。


 悲しい涙ではなかった。


 私が。


 私のところへ。


 やっと戻ってきた。


 手のひらが。


 じん、としている。


 二回、鳴らした手が。


 温かかった。


    * * *


 私は、机に向かった。


 日記帳を開く。


『ななちゃんの、しょうにん』


 ずっと。


 白いままだったページ。


 前につけた。


 小さな黒い点が残っている。


 鉛筆を握った。


 すぐには、書けなかった。


 でも。


 今日は。


 白いページが、怖くなかった。


 鉛筆の先を、紙につける。


 一文字ずつ。


 ゆっくり、書いた。


『今日、私の音が、もどってきた』


 それだけだった。


 上手な文章じゃない。


 あいかわらず。


 私は、書くのが下手だった。


 でも。


 書けた。


 一行だけ。


 それで、よかった。


 窓の外を見る。


 空が。


 夜の色に変わっていく。


 あの向こうに。


 海がある。


 海の向こうに。


 海斗くんがいる。


 海斗くんは。


 私を引き止めなかった。


 ひとりに、してくれた。


 そのおかげで。


 私は。


 海斗くんのいない場所で。


 自分の音を見つけた。


 それが。


 海斗くんの望んだことだったのか。


 本当は、わからない。


 海斗くんは。


 言葉にしなかった。


 私が。


 そう思いたいだけかもしれない。


 でも。


 あのとき。


「わかった」


 と言った海斗くんの声を。


 私は、覚えている。


 苦しそうな声だった。


 自分も痛いのに。


 私を、引き止めなかった声。


「ありがとう」


 私は。


 海の向こうへではなく。


 自分の胸の中へ、言った。


 この音を。


 いつか。


 だれかに聞かせる日が来るだろうか。


 海斗くんに。


 聞かせる日が来るだろうか。


 わからない。


 まだ。


 ずっと先のことだ。


 いまは。


 それを考えなくていい。


 会えるかどうかも。


 もう一度、つながるかどうかも。


 いま、決めなくていい。


 今日。


 私が戻ってきた。


 それだけで、十分だった。


 半分じゃない私。


 だれかの影ではない私。


 うまく吹けない日も。


 何も書けない日も。


 全部を含んだ、私。


 私は。


 ここにいる。


 もう一度。


 フルートを手に取った。


 楽譜は、開かなかった。


 窓を、少し大きく開ける。


 夜の風が。


 部屋へ入ってきた。


 私は、フルートを構えた。


 だれかに聞かせるためではない。


 上手になるためでも。


 自分をさがすためでもない。


 ただ。


 吹きたいから、吹いた。


 私が見てきたもの。


 だれも知らない、私の時間。


 その全部を。


 息にのせる。


 音は。


 夜の風にのって。


 私の外へ。


 まっすぐ、流れていった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


notoやってます。

マガジンお仕事物

https://note.com/happy_duck8972/m/m87f735c2539e


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