第39話「文芸誌、投稿」
好きなことと、才能があることは、必ずしも同じではありません。
高校二年になった。
かいとくんは、もう、ドイツの、もっと先。
五大リーグ、と、いうらしい。
世界の、てっぺんに、近い場所。
わたしは、あいかわらず、夜中に、見ている。
小さな画面で。
かいとくんが、走るのを。
そして、日記に、書いている。
ずっと。
植え込みの日から。
十年ちかく。
日記帳は、もう、何冊にも、なった。
わたしの、見てきた、全部が。
そこに、ある。
ある日、思った。
これを。
ちゃんとした、作品に、できないかな。
日記じゃ、なくて。
だれかが、読める、形に。
かいとくんの、物語。
植え込みから、世界まで。
わたしが、見てきた、十年を。
ちゃんと、残したい。
消えない、形で。
文芸誌の、新人賞。
そこに、出してみよう。
わたしは、決めた。
次の日。
学校で、ほのかちゃんに、話した。
同じ、フルートの、クラスの子。
「わたし、小説、書いてるんだ」
ほのかちゃんが、目を丸くした。
「え、すごい」
「どんなの?」
「ある人の、話。
十年、見てきた人の」
「だれ?」
「……ないしょ」
ほのかちゃんは、くすっと笑った。
「菜々子ちゃんって、昔から」
「人のこと、よく、見てるもんね」
そう、言われて。
わたしは、少し、照れた。
そうかも、しれない。
わたしは、ずっと見てきた。
それを書く。
それが、わたしだ、と、思っていた。
そして、わたしは、書いた。
学校が、終わってから。
フルートの、練習の、あとで。
夜、遅くまで。
何度も、書いた。
何度も、書きなおした。
植え込みの、奥の、暗さ。
お茶の缶の、冷たさ。
空港の、油の匂い。
こわい、と書かれた、手紙。
海の、向こうの、緑の、芝生。
全部、言葉に、しようとした。
原稿用紙の、マス目に。
一字ずつ。
うめていった。
これが、できたら。
わたしの、見てきたものが。
ちゃんと、残る。
そう、思いながら。
* * *
何ヶ月か、して。
結果が、来た。
薄い、封筒。
ひらく、前から。
なんとなく、わかった。
落選。
一次選考も、通らなかった。
選評が、少し、ついていた。
ていねいに、見ている。
心は、伝わる。
でも。
文章に、華が、ない。
作品には、なっていない。
そう、書いてあった。
やさしい、言葉だった。
けなしては、いなかった。
でも。
だからこそ。
こたえた。
わたしは、知った。
わたしには。
書く才能が、ない。
見てきたものは、ある。
たしかに、ある。
だれよりも、見てきた。
愛も、ある。
でも。
それを作品に、する力が。
ない。
見ることは、できる。
書くことも、できる。
でも。
作品には、ならない。
フルートの、壁とは。
ちがった。
音大附属で、ぶつかった、壁。
あのときは。
上手な子に、届かなかった。
でも。
それでも。
わたしには、フルートの、才能が、少しは、ある。
だから。
自分の音を探せる。
探す、方向が、ある。
でも。
書くのは。
探しても。
たぶん。
方向が、ない。
じゃあ、と、思った。
言葉が、だめなら。
曲に、したら。
かいとくんの、物語を。
音楽に。
わたしは、五線紙をひろげた。
真っ白な、五線。
えんぴつをにぎった。
でも。
一音も。
出てこなかった。
作曲なんて。
やったことも、ない。
習ったことも、ない。
わたしには、それも、なかった。
書く才能も。
曲を作る才能も。
わたしが、できるのは。
吹くこと、だけ。
だれかが、作った曲を。
吹くこと、だけ。
わたしは、五線紙を閉じた。
* * *
次の日。
学校で。
ほのかちゃんが、聞いてきた。
「小説、どうだった?」
「……だめだった。
わたし、書く才能、ないみたい。
曲も、作れないし」
ほのかちゃんは、少し、困った顔をした。
それから、言った。
「でもさ」
「菜々子ちゃんの、フルート」
「こないだの、あれ」
「なんか……
景色が、見えた」
「景色?」
「うん。
うまく、言えないけど。
菜々子ちゃんが、吹くと。
なんか、物語が、ある、みたいな」
わたしは、その場では。
うまく、答えられなかった。
でも。
その言葉は。
胸の、奥に、残った。
家に、帰って。
少し、暗い気持ちになった。
わたしには、何も、ないのかな。
見てるだけ。
残せない。
作れない。
でも。
そこで、思いだした。
かいとくんも、壁に、ぶつかった。
届かない、ものが、あった。
それでも、かいとくんは。
自分に、できることを探した。
走ることと、見ること。
じゃあ、わたしは。
立ちどまって、考えた。
そもそも。
わたしは、なんで、書いてきたんだろう。
賞をとるため。
ちがう。
上手く、なるため。
ちがう。
ずっと書いてきたのは。
賞なんて、知らない、ころから。
六歳の、あの日から。
ただ。
見たことを。
忘れないため。
かいとくんを残すため。
消えてしまわないように。
それだけ、だった。
愛、みたいなもの。
だったら。
下手でも、いい。
作品に、ならなくても、いい。
だれにも、見せなくても、いい。
日記は。
日記のまま。
わたしは、これからも、書く。
上手くなるためじゃ、ない。
忘れないために。
でも。
書ききれない、ものが、あった。
胸の、中に。
見てきたもの。
感じてきたもの。
言葉じゃ、足りない。
マス目には、おさまらない。
作品にも、ならない。
曲にも、できない。
じゃあ。
それは、どこへ、いくんだろう。
そのとき。
ほのかちゃんの言葉を思いだした。
菜々子ちゃんが、吹くと、景色が、見える。
物語が、ある、って。
あれは。
きっと。
わたしが、見てきたものだ。
言葉に、ならなかったものが。
吹くと。
にじみ出ていたんだ。
わたしの、知らないうちに。
わたしは、フルートを手にとった。
組み立てて。
息を吸って。
吹いた。
作曲は、できない。
だれかが、作った、曲。
でも。
わたしが、吹くと。
ほのかちゃんが、言ったみたいに。
景色が、にじむ。
植え込みの、暗さ。
空港の、別れ。
世界の、ゴール。
言葉に、ならなかった、全部が。
音に、なって、出ていく。
曲を作れなくても。
吹くことなら、できる。
わたしの、見てきた十年を。
この、同じ曲の、中に、こめて。
それが。
わたしの、一番、なのかもしれない。
書くのは、愛。
見るのは、本質。
そして。
奏でるのが。
わたしの、ほんとう。
夜に、なった。
わたしは、神棚の、前に、立った。
二礼、二拍手、一礼。
パン、パン、と、手をならした。
かいとくんが、世界で、走れますように。
それから、日記帳をひらいた。
ななちゃんの、しょうにん。
その下に、書いた。
落ちた。
でも、書くのは、やめない。
上手くなるためじゃ、ないから。
下手な字で。
でも、まっすぐ。
それから、もう一行。
書けなかったぶんは、いつか、吹いて、残す。
えんぴつを置いた。
窓の、外を見た。
暗い、空。
あの、向こうで。
かいとくんは、まだ、走っている。
わたしは、書く。
下手でも。
そして、吹く。
だれかの、作った曲に。
見てきたものを全部、こめて。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この話は、菜々子が二度目の「才能の壁」と向き合う回でした。




