第36話「わたしの、舞台」
海斗が世界へ進んだ日。
それは、菜々子にとっても、新しい始まりでした。
夜中だった。
わたしは、起きていた。
お母さんには、ないしょ。
ふとんの、なかで。
小さな画面を見ていた。
ヨーロッパの、大きな大会。
かいとくんが、いる。
このあいだ、空港で、見送った。
あの、背中の、向かった先。
ここだったんだ。
世界の、舞台。
画面の、なかの、かいとくんを。
わたしは、じっと見ていた。
そして。
気づいた。
かいとくん。
首をふってる。
ボールが、来る前に。
まわりを見てる。
あれ。
これ。
わたしと、おなじだ。
わたしも、ずっとそうしてきた。
教室でも。
お店でも。
人の、ことを。
ボールじゃ、なくて、人を。
来る前に、見て。
つぎに、なにが、おきるか。
感じてきた。
しょうにんの、目。
かいとくんも。
それをもってる。
ううん。
身につけた。
見えてる。
かいとくんにも、見えてる。
画面の、なかで。
わたしの「見る」と。
かいとくんの「見る」が。
重なった。
画面から、実況の、声。
低く、静かに。
「彼は、ボールを、見ていない」
「だれもいない場所を、見ている」
わたしは、息を、止めた。
ほんとうだ。
かいとくんは、そこを、見てる。
そして。
かいとくんが、走った。
だれも、いない場所へ。
半歩、はやく。
ボールが、来た。
けった。
入った。
その瞬間。
実況の声が、はじけた。
「ゴール! カイ!」
「見えていたのは、彼だけだ。彼だけが、あの場所を、見ていた!」
わたしは。
息をのんだ。
胸の、奥が、熱くなって。
目が、すこし、にじんだ。
わかった。
あれは。
わたしへの、返事だ。
だれも、そんなこと、言わない。
かいとくんも、言わない。
でも。
わたしには、わかる。
七年。
ううん。
もう、七年より、ながく。
見てきたから。
言葉が、なくても。
わかる。
でも。
わたしは、泣かなかった。
しょうにんは、ただ、見る。
だから、最後まで、見ていた。
画面の、なかの、かいとくんを。
しあいが、おわっても。
画面に、かいとくんが、うつっていた。
マイクの、人に、聞かれてる。
ことばは、すこし。
でも、さいごに。
かいとくんが、レンズを、見た。
まっすぐ。
二部のとき。
わたしは、思った。
きっと、ちがう、って。
むこうには、たくさん、人がいるから。
わたしだけじゃ、ない、って。
でも。
今度は。
わかる。
これは、わたしに、言ってる。
つくえに、向かった。
日記帳をひらいた。
ななちゃんの、しょうにん。
その下に、書いた。
かいとくんが、世界で、決めた。
見る力で、決めた。
これも。
かいとくんの、物語の、ひとつの章だ。
わたしが、見て。
わたしが、書く。
* * *
それから。
季節が、いくつも、めぐった。
わたしは、中三に、なった。
受験生だ。
かいとくんは、いまも。
世界で、走りつづけている。
わたしは、夜中に。
ずっと見てきた。
そして、思った。
かいとくんが、世界へ、行ったなら。
わたしも。
わたしも、のぼりたい。
フルートを。
坂田先生のところで、もっと深く。
わたしは、決めた。
音大附属の、高校を受ける。
家の人にも、言おう。
坂田先生にも、言おう。
「いきます」って。
ちゃんと、口に、出して。
そして。
書くのも、つづける。
フルートも。
書くことも。
どっちも、やる。
どっちも、わたしだ。
だれかの、ためじゃ、ない。
わたしが、えらんだ。
神棚の、まえに、立った。
二礼、二拍手、一礼。
パン、パン、と、手をならした。
かいとくんが、世界で、走れますように。
それから。
わたしも、わたしの舞台で、ふけますように。
海をはさんで。
べつべつの、場所で。
わたしたちは、上をめざす。
かいとくんは、てっぺんへ。
わたしは、わたしの、音へ。
わたしは、ここで。
見て。
書いて。
そして、わたしの音も、さがす。
◇◆
ぼくは、十階で。
同じゴールを見た。
画面のなかで、海斗くんが、決めた。
とうとう、ここまで。
あの灰色だった色が。
いまは、世界の、舞台で、光っている。
「とうとう、ですねー」
誰も、いないのに。
語尾が、伸びた。
心の、なかだけで。
AAの、手前。
その先の、いちばん上まで。
この子は、行くかもしれない。
でも。
それは、言わないようにした。
ぼくは、煙を吐いた。
匂いは、しなかった。
植え込みで、拾った子と。
その子を見つけた子。
二人とも。
ちゃんと、のぼっている。
ぼくの、仕事は。
種をまいただけ。
あとは。
あの子たちが。
じぶんで。
あー。
めんどくせぇ。
ぼくは、目を閉じた。
でも。
少しだけ。
笑っていた。
海斗はサッカーで世界を目指します。
菜々子は、音楽と書くことで、自分だけの舞台を目指します。




