第24話「ロッカーは、うつらない」
画面に映らない場所にも、戦わなければいけない相手はいます。
# 第24話「ロッカーは、うつらない」
**【前書き】**
画面に映らない場所にも、戦わなければいけない相手はいます。
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## ——海斗
ゴールを決めてから、
少しだけ、
変わった。
パスが、
回ってくるようになった。
名前を、
呼ばれるようになった。
カイ。
そう呼ばれるたびに、
少しだけ、
胸が熱くなる。
でも。
変わったのは、
それだけじゃなかった。
ルカ。
背番号、九。
チームのエース。
点を取る男。
みんなが頼る。
誰も、
逆らえない。
そのルカが、
ぼくを見るようになった。
嫌な目で。
* * *
試合前のロッカー。
ぼくが入ると、
ルカが笑った。
低い声で、
何かを言う。
速いドイツ語。
でも、
分かった。
三年。
もう、
言葉は分かる。
「アジア人が、点を取った」
「まぐれだろ」
ルカは、
自分の目を、
指で引っぱった。
細く。
つり上げるように。
ぼくの目を、
まねした。
周りの何人かが、
笑った。
誰も、
止めなかった。
ぼくのごはんを、
くさいと言った。
ぼくの発音を、
まねして笑った。
「国へ帰れ」
そう言った。
笑いながら。
ぼくは、
何も言えなかった。
言葉は、
分かるのに。
返す言葉が、
喉の奥で止まった。
出てこない。
うつむく。
スパイクの紐を、
意味もなく、
結び直した。
手が、
少し震えていた。
悔しい。
怖い。
腹が立つ。
でも、
言えない。
その全部が、
胸の中で、
ぐちゃぐちゃになった。
* * *
ロッカーを出た。
トイレの鏡の前に立つ。
そこには、
灰色の顔があった。
三年前の顔。
届かない背中を、
見ていたころの顔。
水を出す。
顔にかける。
冷たい。
ドイツの水は、
やけに冷たかった。
ここには、
菜々子はいない。
そう思った。
画面の外だ。
ロッカーは、
うつらない。
トイレも、
うつらない。
ぼくの、
一番みじめなところは、
誰にも届かない。
ゴールは、
見てもらえる。
でも。
この悔しさは、
見てもらえない。
一人だ。
ここは、
一人だ。
そう思ったら、
胸が、
ぎゅっと痛くなった。
でも。
顔を上げた。
言葉で返せないなら。
ピッチで返せ。
ピッチには、
カメラがある。
あそこだけは、
菜々子が見ている。
だったら、
ぼくの返事は、
一つだけだ。
走る。
見える場所で。
ちゃんと、
走る。
ぼくは、
トイレを出た。
もう、
手は震えていなかった。
* * *
試合が始まった。
その日のルカは、
調子が悪かった。
点が取れない。
相手の守備が、
ルカに二人つく。
ルカは、
一人で抜こうとした。
一人目をかわす。
でも、
二人目に止められる。
取られる。
また、
取られる。
ルカが、
いらつく。
味方のせいにする。
腕を広げて、
何かを怒鳴る。
でも。
点は入らない。
後半。
ぼくの番号が出た。
二七。
ピッチに入る。
寒い空気が、
肺に刺さる。
ぼくは、
走った。
いつも通り。
ボールのないところを、
走る。
誰もいない場所へ、
走る。
ぼくの足は、
速くない。
でも。
走り込む場所は、
見える。
三年かけて、
覚えた。
ボールが、
どこへ落ちるか。
人が、
どこを空けるか。
誰が、
次に困るか。
それが、
少しだけ、
見える。
ルカが、
またボールを持った。
二人に囲まれる。
いつものルカなら、
無理に行く。
そして、
取られる。
でも、
その日。
ぼくがいた。
ルカの、
少し先。
相手がいない場所。
そこへ走り込んで、
手を上げた。
ルカが、
一瞬だけ、
ぼくを見た。
嫌そうな顔。
でも。
出すしかなかった。
ほかに、
道がなかったから。
ボールが来る。
ぼくは、
ワンタッチで戻した。
ルカの走る先へ。
頭で考えるより、
足が先に動いた。
ルカが抜けた。
二人を置き去りにして。
シュート。
ネットが揺れた。
スタンドが、
一気に立ち上がる。
「ルカ!」
「ルカ!」
名前が、
大きく響く。
点は、
ルカのものだ。
記録に残るのも、
ルカの名前。
ぼくのパスは、
すぐ忘れられる。
でも。
ぼくは、
知っている。
あのパスがなかったら、
あのゴールは、
なかった。
* * *
ゴールのあと。
ルカが、
一瞬だけ、
ぼくを見た。
笑わなかった。
目も、
引っぱらなかった。
ただ、
見た。
悔しそうで。
認めたくなさそうで。
でも、
分かっている顔だった。
ルカは、
何も言わずに、
目をそらした。
それで、
十分だった。
ぼくは、
拳を握らなかった。
叫びもしなかった。
点は、
ルカのものだから。
ただ、
息を一つ吐いた。
白い息が、
灰色の空へ溶ける。
言葉では、
勝てなかった。
でも。
ピッチで返した。
ルカが点を取るために、
ぼくを頼るしかなかった。
その一回が、
ぼくの返事だった。
ロッカーは、
うつらない。
でも、
ピッチはうつる。
ここだけは、
菜々子が見ている。
だから。
今のは、
届いたはずだ。
あの子に。
言葉より、
確かに。
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悔しさを言葉にできない日もあります。それでも、走った場所には返事が残ります。




