第23話「十階の、しょうにん」
画面の向こうで走る少年を、十階から見ている人がいました。
ぼくは、十階で。
同じ試合を、見ていた。
ソファに、深く沈んで。
煙草を、指に挟んで。
画面の中で。
海斗くんが、ボールを失った。
一度。
また、一度。
あの子の色は、
もう、知っている。
灰色。
植え込みの奥で、
腐りかけていた色。
ミスをして。
ベンチを気にする。
その動きに、
あの灰色が、
少しだけ、にじむ。
ぼくは、
息をつめた。
けれど。
次の瞬間。
また、
上がってきた。
誰かに引っぱられたんじゃない。
誰かに助けられたんじゃない。
自分で。
持ち直した。
あの、
植え込みで灰色だった子が。
いま。
少しずつ、
上へ。
「まだ、B級ですねー」
ぼくは、
そうつぶやいた。
語尾が、
少し伸びた。
誰もいないのに。
伸びた。
言ったら、
こぼれそうだったから。
ぼくは、
新しい煙草に、
火をつけた。
画面の中で。
海斗くんが、
走った。
怖がっている。
まだ、
怖がっている。
でも、
止まらない。
半歩、遅れていた子が。
半歩、早く動いた。
転がったボールに、
一番先に届いた。
ネットが、揺れた。
スタジアムが、
大きく揺れた。
ぼくは、
煙草をくわえたまま、
少しだけ、
目を閉じた。
「あー」
めんどくさいですねぇ。
まったく。
こんなの。
胸に悪い。
* * *
ぼくは、
電話をかけた。
NAKANOの、
菜々子ちゃんに。
夜中だった。
でも。
あの子は、
起きているはずだ。
見ているはずだ。
ぼくには、
分かる。
呼び出し音が、
一つ。
二つ。
三つ。
「……はい」
小さな声。
やっぱり、
起きていた。
「あー、菜々子ちゃん」
「……ジオンさん」
「見てました?」
少しだけ、
間があった。
それから。
「うん」
短い返事。
でも。
その一音に、
ぜんぶ入っていた。
怖かったところも。
取られたところも。
走ったところも。
決めたところも。
ちゃんと、
見ていた声だった。
「そうですか」
ぼくは、
言った。
「よかった、です」
その語尾は。
伸びなかった。
菜々子ちゃんも、
何も言わなかった。
言わなくても、
分かった。
しょうにんは。
ちゃんと、
見ていた。
ゴールだけじゃない。
苦しいところも。
ぜんぶ。
ぼくは、
電話を切った。
煙草の煙が、
ゆらゆらと昇る。
白くて。
細くて。
匂いは、
しない。
ぼくの仕事は。
間違って、
いなかった。
あの子を、
植え込みの奥から、
引っぱり出したこと。
菜々子ちゃんに、
見ていてもらったこと。
それは。
間違いじゃ、
なかった。
「あー」
ぼくは、
ソファに沈んだ。
「めんどくせぇ」
誰もいない十階で。
ぼくは、
目を閉じた。
見届ける人がいるだけで、人はもう一度走れることがあります。




