第22話「しょうにん」
遠く離れていても、誰かの頑張りを見つづける人はいます。
試合が終わって。
ロッカールームへ戻った。
まだ、
息が整わない。
ユニフォームは、
汗で重かった。
シャワーを浴びても、
さっきまでの歓声が、
耳に残っていた。
「カイ!」
チームメイトが、
肩をたたく。
「ナイスゴール!」
笑いながら、
背中を押してくる。
ぼくも、
少しだけ笑った。
でも。
心の中は、
静かだった。
ゴールは、
うれしい。
でも。
あれは、
終わりじゃない。
やっと、
スタートラインに立っただけ。
* * *
それから、
しばらくして。
初めての給料が、
振り込まれた。
画面を見て、
少しだけ、
息を止める。
今まで、
見たことのない数字だった。
ぼくは、
そのほとんどを、
日本へ送った。
母さんの口座へ。
父さんが残した借金。
母さんは、
一人で働いて。
陽菜と翼を育てて。
ずっと、
家を守ってきた。
ぼくは、
海の向こうで、
ボールを蹴っていただけ。
何も、
できなかった。
でも。
今は、
少しだけ、
力になれる。
まだ、
全部じゃない。
借金も、
まだ残っている。
それでも。
今日が、
最初の一歩だった。
* * *
夜。
母さんへ、
電話をかけた。
何度か呼び出し音が鳴って。
受話器の向こうから、
聞き慣れた声がした。
「海斗?」
「うん」
少しだけ、
沈黙が続く。
それから。
「あんた、お金……入ってたよ」
「うん」
「こんなに送ってきて」
「大丈夫なの?」
ぼくは、
笑った。
「大丈夫」
うそだった。
大丈夫じゃない。
練習は、
苦しい。
試合も、
怖い。
毎日、
自分より大きな相手と戦っている。
それでも。
言わなかった。
心配させたく、
なかったから。
「無理してない?」
母さんが、
もう一度聞いた。
「してないよ」
また、
うそをついた。
ぼくが走る理由は。
ぼくの夢だけじゃない。
母さんのため。
陽菜のため。
翼のため。
家族のため。
だから。
まだ、
止まれない。
「ありがとう」
母さんが、
小さく言った。
その一言だけで、
送ってよかったと、
思えた。
——菜々子
夜中だった。
わたしは、
まだ起きていた。
お母さんには、
ないしょ。
お店が閉まった、
NAKANOの隅。
小さな画面を、
両手で持つ。
ドイツの試合。
その前には、
大きな試合も、
映っていた。
赤いユニフォーム。
速いパス。
何本も決まる、
ゴール。
「すごいなあ」
そう思った。
でも。
わたしが見たいのは、
そこじゃない。
画面が変わる。
海斗くんが、
映った。
* * *
走っていた。
何度も。
何度も。
でも。
うまく、
いかなかった。
ボールを、
取られる。
パスが、
ずれる。
一歩、
遅れる。
苦しそうだった。
画面の向こうでも、
分かった。
海斗くん。
今、
怖いんだ。
三年前。
手紙に書いてくれた。
「こわい」
あの日と、
同じ顔だった。
わたしは、
膝の上の、
フルートケースを、
ぎゅっと抱きしめた。
がんばれ。
がんばれ。
声には、
できない。
夜中だから。
でも。
目は、
そらさなかった。
海斗くん。
怖くても。
走って。
ずっと。
見ていた。
* * *
そのとき。
海斗くんが、
走った。
また、
走った。
相手より、
半歩、
早く。
ボールを奪う。
味方へ、
つなぐ。
ゴール前へ、
走る。
シュート。
キーパーが、
弾く。
ボールが、
転がる。
そこへ。
海斗くんが、
飛び込んだ。
右足が、
振り抜かれる。
ネットが、
揺れた。
「あっ……」
思わず、
声が出た。
あわてて、
口を押さえる。
夜中だから。
ないしょだから。
でも。
胸の奥が、
熱かった。
決めた。
海斗くんが。
ドイツで。
海の向こうで。
決めた。
* * *
試合が終わる。
インタビューが、
始まった。
ドイツ語は、
分からない。
でも。
「カイ」
そう呼ばれたのは、
分かった。
海斗くんは、
少し照れたように、
笑って。
ぺこりと、
頭を下げた。
日本にいたころと、
変わらない。
なんだか、
少しだけ、
安心した。
最後に、
海斗くんが、
カメラを見た。
わたしの方を、
見たわけじゃない。
そんなことは、
分かってる。
でも。
少しだけ、
そう思いたかった。
* * *
前に。
わたしは、
思った。
もう、
しょうにんなんて、
いらないんじゃないかって。
でも。
違った。
世界中の人は、
きっと、
ゴールを見ていた。
でも。
わたしは違う。
ボールを、
取られたところも。
苦しくて、
うつむいたところも。
怖くても、
走り続けたところも。
全部、
見ていた。
だから。
わたしが、
しょうにんだ。
ゴールは一瞬ですが、その一瞬へたどり着くまでの時間を見ていた人が、本当の「証人」なのかもしれません。




