第20話「見る者」
く離れた場所でも、誰かを見続けることは、人を強くしてくれます。
ドイツの育成。
ぼくは、
まだトップチームには、
いなかった。
二部のトップチーム、
その下にある、
若い選手だけのチーム。
毎日、
走って。
ぶつかって。
負けて。
また、
走る。
あの日。
U-18の試合から、
ぼくは、
ずっと考えていた。
あの子には、
届かなかった。
半歩、
遅かったから。
だったら。
半歩、
早くいればいい。
ボールが来るより、
先に。
そうすれば、
届く。
* * *
その日。
監督が、
ぼくを呼んだ。
相手には、
止められない選手がいた。
引いて受ける。
運ぶ。
かわす。
そして、
自分で決める。
誰も、
止められなかった。
監督は、
ぼくのゼッケンを、
指で軽くたたいた。
「お前が、あいつにつけ」
マンツーマン。
「ボールを見るな」
「あいつだけを見ろ」
「九十分、
一歩も離れるな」
それだけだった。
戦術の言葉は、
まだ全部は、
分からない。
でも。
やることは、
分かった。
見る。
ただ、
一人だけを。
* * *
笛が鳴る。
試合が始まった。
ぼくは、
ボールを見ない。
相手だけを見る。
目。
肩。
腰。
支え足。
その全部が、
次の動きを、
教えてくれる。
引いて受ける。
ぼくは、
縦のコースを消す。
裏へ走る。
ぼくが、
先に動く。
ボールより、
半歩早く。
右へ行くなら、
右。
左へ行くなら、
左。
相手が、
顔を上げるたびに。
そこには、
ぼくがいた。
* * *
その子は、
何度も、
ぼくから、
消えようとした。
サイドへ流れる。
味方の後ろへ隠れる。
急に向きを変える。
でも。
ぼくは、
ついていく。
……知っているから。
消えたい気持ちを。
ぼくだって、
昔は、
消えたかった。
「消えろ」
そう言われて。
本当に、
消えてしまいたかった。
でも。
今は違う。
ぼくは、
消えない。
どこまでも、
ついていく。
走ることだけは、
負けない。
それだけは、
ずっと前から、
ぼくの武器だった。
* * *
試合が進む。
相手の足が、
少しずつ、
重くなる。
ボールを受けても、
前を向けない。
自由に、
動けない。
止めているのは、
ぼくだ。
相手が、
ふっと、
顔を上げた。
目が合う。
その顔は、
苦しそうだった。
「消えてくれ」
そう言いたそうな、
顔だった。
昔。
ぼくが、
向けられていた顔。
でも。
もう、
逃げない。
* * *
試合終了。
ぼくは、
点を取っていない。
アシストもない。
数字だけ見れば、
何も残っていない。
でも。
相手のエースも、
何もできなかった。
監督が、
ロッカーへ来た。
タブレットを、
机へ置く。
上から撮った、
試合の映像。
ぼくは、
小さな点にしか、
見えない。
監督は、
映像を止めた。
「ここ」
指が、
画面をさす。
「コースを消してる」
また、
映像が戻る。
「ここ」
「半歩、
先に入ってる」
監督の声は、
いつも通り、
静かだった。
ほめるでもなく。
怒るでもなく。
ただ、
事実だけを、
話していた。
「今日は、
点を取っていない」
知ってる。
「アシストもない」
知ってる。
監督は、
もう一度、
映像を止めた。
相手が、
立ち止まっている場面。
「でも」
「あいつを、
九十分、
消した」
その一言が。
胸の奥へ、
まっすぐ届いた。
「これが、
お前の武器だ」
歓声は、
なかった。
拍手も、
ない。
でも。
その言葉が、
何より、
うれしかった。
* * *
ぼくは、
やっと、
分かった。
ななちゃんが、
ぼくを、
見てくれていたように。
ぼくも、
相手を見る。
視線。
肩。
足。
その先まで。
ボールより、
早く。
それが、
ぼくの武器。
点を取る前に、
手に入れた力。
相手を、
消す力。
まだ、
怖い。
あの、
届かなかった背中は。
まだ、
ずっと上にある。
でも。
ぼくは、
前へ進んだ。
次の週。
監督が、
ぼくを呼んだ。
「上で、
ベンチに入れ」
二部、
トップチーム。
まだ、
ピッチじゃない。
でも。
その扉は、
もう、
目の前にあった。
誰かを「見る力」は、それぞれ違う形で未来を切り開いていきます。菜々子は物語に、海斗はピッチに。その一歩は、まだ始まったばかりです。




