第19話「日記の中の名前」
毎日書き続けた日記は、少しずつ、心まで映すようになっていました。
夜に、なった。
わたしは、
神棚の前に、立つ。
二礼。
二拍手。
一礼。
パン。
パン。
小さな手の音が、
部屋に、ひびいた。
海斗おにいさんが。
元気で、ありますように。
それから。
少しだけ、
目を閉じる。
ドイツは、
今も、
試合が続いているらしい。
時差があるから。
夜中に、
こっそり、
小さな画面で見る。
お母さんには、
ないしょ。
走る姿を。
ボールを追う姿を。
ずっと。
見ている。
* * *
机に向かった。
日記帳を開く。
表紙は、
少しくたびれていた。
一番上には、
いつもの文字。
「ななちゃんの、しょうにん」
まだ、
字が上手じゃなかったころの、
ひらがな。
その下には。
今までの、
毎日が並んでいた。
海斗おにいさんが、
「こわい」
って、
教えてくれた日。
ジオンさんが、
いつもと少し、
ちがって見えた日。
うれしかった日。
悲しかった日。
ちゃんと、
見て。
ちゃんと、
書いた日。
全部、
ここにある。
* * *
新しいページを、
開いた。
鉛筆を持つ。
少しだけ、
考えて。
書いた。
かいとくんのことを、書きたい。
書いてから。
わたしは、
手を止めた。
……あれ。
今、
わたし。
「海斗くん」
って、
書いた。
前は。
「海斗おにいさん」
だった。
いつから、
変わったんだろう。
思い出そうとしても、
思い出せない。
いつの間にか。
心の中では、
海斗くんに、
なっていた。
胸が。
少しだけ、
どきっとした。
なんでだろう。
自分でも、
分からない。
でも。
その「どきっ」は。
日記には、
書かなかった。
まだ。
名前を、
つけたくなかったから。
* * *
海斗くんが、
ドイツへ行って。
もう、
ずいぶん、
時間がたった。
あの夏から。
わたしは、
ずっと、
見てきた。
見て。
書いて。
また、
見て。
いつか。
海斗くんのことを。
ちゃんと、
一つのお話に、
書きたい。
でも。
まだ、
その時じゃない。
今は、
見る。
そして、
書く。
それを、
続けるだけ。
日記帳を、
閉じた。
そっと。
「まだ、ないです」
と、
言った口。
「書きたい」
と、
書いた手。
その二つは、
どちらも、
わたしだった。
窓の外は、
春の夜。
風が、
やさしく、
カーテンを揺らした。
わたしは。
少しずつ。
前へ、
進んでいる。
毎日書く一行は、いつか誰かの物語になるのかもしれません。




