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世界一のストライカー【見て書いてきた少女】  作者: K3


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第16話「慈恩の、ちょっと違う」

見えるものより、見えない「ちょっと違う」が、心に残る日もある。

第15話「慈恩の、ちょっと違う」


――菜々子


学校の帰り。


わたしは、お店に寄った。


NAKANO。


お父さんのお店。


朝も、昼も、夜も開いている。


だから、


「なかの、あさひるよるしゃ」


へんな名前。


でも、わたしは好きだった。


ドアを開ける。


だしの匂いがした。


ごはんの匂いもした。


いつもの匂い。


奥のソファには、


ジオンさん。


いつもの場所。


いつもの糸目。


いつもの煙草。


「あー、菜々子ちゃん、おかえりー」


「ただいま」


ぺこっと頭を下げる。


いつも通り。


……のはずだった。


でも。


なんだか、違う。


何が違うの。


そう聞かれても、


うまく言えない。


でも。


やっぱり違う。


ジオンさんは、


いつもより深くソファにもたれていた。


体の力が、


ぜんぶ抜けているみたいだった。


目を開けるのも、


少しだけ遅い。


煙草に火をつける手も、


ゆっくり。


マッチをする音だけが、


静かなお店に長く残った。


「あー、はい、はい」


ジオンさんは、


よくそう言う。


でも今日は、


その言葉が何度も出てきた。


しかも。


「あー、はい、はいー」


「ですよー」


語尾が、


いつもより長かった。


わたしは、


その伸びた声が、


なんだか気になった。


どうしてだろう。


海斗おにいさんを見るときは、


違う。


おにいさんは、


見れば見るほど、


分かる。


約束したから。


ちゃんと見ているから。


でも、


ジオンさんは違う。


見ても。


見ても。


分からない。


違うことだけは分かる。


でも、


どこが違うのか、


そこだけ見えない。


同じ「見る」なのに。


手ざわりが違った。


そのとき、


お母さんがお茶を持ってきた。


「ジョンちゃん」


お母さんは、


ジオンさんをそう呼ぶ。


「今日は、ゆっくりしてってね」


いつもより、


やさしい声だった。


「あー、すいませんねー」


ジオンさんは笑う。


でも。


お父さんは何も言わなかった。


いつもなら、


「また来たのか」


とか、


「茶ばっか飲みやがって」


とか、


笑いながら言うのに。


今日は、


レジの向こうから、


一度だけ、


ジオンさんを見ただけだった。


その空気が、


少しだけ重かった。


(*)


美月おねえちゃんが走ってきた。


「ジオンお兄ちゃん!」


うれしそうに、


となりへ座る。


「トランプしようよ!」


「あー、いいですねー」


いつもの笑顔。


少なくとも、


おねえちゃんには、


そう見えた。


誰も気づいていない。


でも、


わたしの中の"しょうにん"が、


小さく教えてくる。


――ちょっと違う。


(*)


わたしは、


ジオンさんの前まで歩いた。


聞きたくなった。


「大丈夫?」


その言葉が、


のどまで出た。


でも。


子どもが聞いていいことなのかな。


そう思った。


それでも。


「ジオンさん」


「はい」


「だいじょうぶ?」


少しだけ、


間があいた。


それから。


「あー、大丈夫ですよー」


また、


語尾が伸びた。


さっきより、


もっと長く。


わたしは、


その声を、


耳の奥にしまった。


忘れちゃいけない。


そんな気がした。


煙草の煙が、


細く立ちのぼる。


白い。


でも。


匂いがしない。


いつもそう。


目には見えるのに、


鼻には届かない。


ふしぎな煙。


糸目の奥も、


今日も見えない。


笑っているのか。


困っているのか。


それも分からなかった。


それ以上は聞けなかった。


大人には、


子どもに言えないことがある。


それくらいは、


わたしにも分かる。


だから、


もやもやしたまま、


家へ帰った。


(*)


夜。


神棚の前に立つ。


二礼。


二拍手。


一礼。


パン。


パン。


小さな音が部屋に響いた。


海斗おにいさんが、


元気でありますように。


それから。


今日はもう一つ。


ジオンさんも、


元気になりますように。


何が違うのかは、


分からない。


でも。


早く、


いつものジオンさんに戻りますように。


机に向かう。


日記帳を開く。


一番上には、


「ななちゃんの、しょうにん」


今日のことを書こう。


えんぴつを持つ。


少し考えて、


書いた。


今日、じおんさん、ちょっとつかれてた。


たった一行。


「今日」は漢字。


「じおんさん」は、


まだひらがな。


知らない字は、


まだ書けない。


それでいい。


書いてから、


気づいた。


この一行は、


ちゃんと見ていたから、


書けたんだ。


ソファに深く座っていたこと。


目を開けるのが遅かったこと。


語尾が伸びていたこと。


ちゃんと見たから、


覚えていた。


そうか。


書くって、


見るってことなんだ。


ちゃんと見ないと、


一行も書けない。


これからも、


わたしは見ていこう。


海斗おにいさんも。


ジオンさんも。


見たことを、


ちゃんと書いていこう。


いつか。


今日の「ちょっと違う」が、


分かる日が来るかもしれない。


その日まで。


わたしは、


見つづける。


えんぴつを置く。


日記帳を閉じる。


窓の外は、


もう真っ暗だった。


でも。


わたしの心は、


少しだけ、


明るくなっていた。

菜々子が少しずつ「見る人」から「書き残す人」へと歩き始める、大切な一話です。

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