第14話「フルートの先生、坂田」
菜々子がフルートを通して、自分の道に気づきはじめるお話です。
あれから、わたしは、毎日、フルートを吹いた。
漢字の練習と、おなじくらい。
ううん。
それより、もっと。
海斗おにいさんに、手紙で、書きたかったから。
「きょうも、ふえ、ふいたよ」って。
うまくなった、って、言いたかったから。
ある日。
教室の先生が、お母さんに、言った。
「この子、才能、あります」
「もっときちんとした先生に、見てもらったほうがいい」
その先生の名前は、坂田先生。
むかし、プロのオーケストラに、いた人なんだって。
でも、坂田先生は、こわい、って言われていた。
子どもは、めったに、教えない。
お母さんは、こまった顔をした。
お店が、いそがしい。
坂田先生のところまで、つれていく時間がない。
だから、わたしは、決めた。
ひとりで、行く。
坂田先生のおうちは、坂の、上だった。
バスに乗って、バス停をひとつ、ふたつ、かぞえて。
はじめての、ひとりの、遠くへのお出かけ。
むねが、どきどきした。
でも、空港まで、ひとりで行った海斗おにいさんに、くらべたら。
こんなの、ぜんぜん、平気。
坂田先生は、白い髪の、おじいさんだった。
目つきが、するどい。
「お母さんは?」
「来られません。わたし、ひとりで来ました」
坂田先生は、すこし、おどろいた顔をした。
「……ふうん。吹いてみなさい」
わたしは、フルートを出した。
いつもの、相棒。
息をすいこむ。
吹いた。
いつも、海斗おにいさんに聞かせるつもりで、吹いてる曲。
吹きおわると。
坂田先生は、しばらく、だまっていた。
それから、言った。
「……才能、あるな。この子」
ひとりごとみたいに。
「だれかに、聞かせたくて、吹いてる音だ」
どきっとした。
わかるんだ、この先生。
わたしが、だれかのために、吹いてるって。
「教えてやる。ただし、本気の子だけだ」
「本気です」
わたしは、すぐ、こたえた。
坂田先生は、ちょっとわらった。
その帰り。
わたしは、ジオンさんのオフィスに、よった。
海斗おにいさんのことを聞きたかったから。
ドアをあける。
ジオンさんは、いつもみたいに、ふらふらしていた。
「お、ちびっこ。……じゃない、もう、すこし、おっきいか」
わたしが、坂田先生のことを話すと。
ジオンさんは、細い目をほんのすこし、あけた。
わたしの、なにかを見るみたいに。
それから、ちいさく、つぶやいた。
「……フルート、A」
「血統、B」
「最終、AからAA」
なんのこと?
わたしには、わからなかった。
「なに、それ」
「いや。こっちの話」
ジオンさんは、すぐ、ごまかした。
でも、その目は、すこしだけ、うれしそうだった。
「いい音、出すんだろうね。きみは」
そう、言った。
家に、帰る道。
わたしは、考えた。
海斗おにいさんは、ドイツで、サッカーをがんばってる。
手紙には、いつも、「練習してる」「逃げてない」って、書いてある。
遠くで、ちゃんと、走ってる。
わたしには、フルートが、できた。
坂田先生も、才能がある、って言ってくれた。
……あれ。
わたし、いつのまにか。
自分の、やりたいことが、できてる。
じゃあ。
「しょうにん」は。
海斗おにいさんを見ててあげる人は。
もう、いらないんじゃ、ないかな。
海斗おにいさんは、ひとりで、ちゃんと、走れてる。
わたしが、見てなくても。
わたしは、立ちどまった。
夕やけが、まぶしい。
むねの中で、なにかが、すこし、ゆれた。
その「ゆれ」が、なんなのか。
まだ、八つの、わたしには、よく、わからなかった。
坂田先生との出会いが、菜々子の小さな決意を大きく動かしていきます。




