隣でいいの?
隣でいいの?
9月の上旬。
新学期が始まって間もない教室は、まだ夏休みの余韻が抜けきらない緩さと、新しい学期への少しの緊張感が混ざり合った、独特の空気に包まれていた。
今日の終わりのホームルームの議題は、クラス全員が心待ちにしていた、そして恐れてもいたイベント——「席替え」だった。
「よし、全員くじは引いたな。じゃあ黒板に書かれた座席表の番号の通りに、速やかに移動しろ」
担任の先生がチョークをパチリと置き、教壇から指示を出す。一斉にガタガタと机や椅子を引く音が教室中に響き渡る。
私は、自分の引いたくじの番号と黒板の座席表を見比べ、小さくため息をついた。
私の新しい席は、教室のいちばん後ろ、窓側から2列目の「最後尾」だった。いつもなら「後ろの席だ、ラッキー!」とはしゃぐところだが、今回はそうもいかない。
「あーあ、離れちゃったね、結菜」
「私、一番前の廊下側だよ。最悪……」
「私はちょうど真ん中あたりです」
それまで近くの席でいつも一緒に騒いでいた友人たちが、次々と遠く離れた席へと移動していく。教室のあちこちから歓声や落胆の声が上がる中、最後尾の席に取り残された私は、机の上にぽつんと両手を置き、少しだけ寂しさを感じていた。周りはあまり話したことのない男子や、別のグループの女子ばかりだ。
(新学期早々、ちょっと退屈な席になっちゃったなぁ……)
私は心細そうに教室の移動風景を眺めていた、その時だった。
「……あれ? 結菜?」
聞き覚えのある、凛とした声がすぐ横から聞こえた。
見上げると、そこには自分のくじと黒板の文字を何度も見比べながら突っ立っている佳奈ちゃんの姿があった。
「佳奈ちゃん? どうしたの」
「どうしたのも何も……私のくじの番号、ここなんだけど」
佳奈ちゃんが指さしたのは、私のすぐ左隣の机だった。
「えっ! 隣?」
私は思わず椅子から跳び上がりそうな気分になった。
学校で同じクラスというだけでも珍しいことなのに、まさかくじ引きで席まで隣り合わせになるなんて。
佳奈ちゃんが隣の席で机にリュックを置き、ちょこんと椅子に腰かける。その姿を横目で見た私は、なんだか急に教室の空気が変わったような錯覚を覚えた。
学校の教室のはずなのに、視界の端にいつもの佳奈ちゃんがいるだけで、まるで家のリビングにいるような妙な安心感が心をホッとさせる。
しかし、佳奈ちゃんを見ていると嬉しさ半分、戸惑い半分といった様子で、眉を八の字に曲げていた。
「……なんか、変な感じ」
「何が?」
「だって、朝『行ってきます』って一緒に家を出て、学校でもずっと隣に座るなんて、ちょっと近すぎない?」
佳奈ちゃんはしばらく黒板と私の顔を交互に見ていたが、意を決したようにすっと右手を挙げた。
「先生」
「ん? どうした森北姉」
机で大体の席替えが完了した教室の様子を見ていた先生が顔を上げる。
「あの、私の移動した後の席の位置、隣が結菜なんですが……これでいいんですか?」
佳奈の生真面目な質問に、教室内が少しざわついた。「森北姉妹が隣同士になったぞ」と、周りの生徒たちも興味津々でこちらを見ている。
先生は「う~ん」と声を漏らしながら、メガネの奥の目を細めて黒板に貼られた座席表を真剣に確認し始めた。不正がないか、あるいは座席の配置として不都合がないかを考えているようだった。しかし、すぐに緊張感のない顔に戻り、ポンと手を叩いた。
「別に、問題ないんじゃないか? くじ引きの結果だしな。……2人とも、後ろの席だけど黒板はちゃんと見えているか?」
私は話を振られたすぐに答える。
「はい! 私はバッチリ見えます!」
「……私も、見えますけど」
佳奈ちゃんは少し不満そうに唇を尖らせた。先生はそんな佳奈ちゃんの様子を見て、悪戯っぽく笑いながら尋ねる。
「なんだ、森北姉。妹の隣の席は嫌か?」
「いえ、嫌っていうわけじゃないんですけど……」
佳奈ちゃんは、すぐ隣で「えー、佳奈ちゃん私の隣嫌なの!?」と膨れている私の視線をはぐらかすように、少し声を潜めて言った。
「家でもずっと一緒なのに、学校にいる時までも妹の隣にいるのは、なんていうか……教育上どうなのかと思いまして」
「教育上って、お前は親か」
先生が吹き出し、教室からもドッと笑いが起きた。
「いいじゃないか、仲良くやりなさい。ただし授業中に晩御飯のおかずの相談とかはするなよ」
先生がそう締めくくると、席替えの時間は終了し、そのまま放課後の挨拶へと移った。
私は左に体を向けて、口を開いて文句を言う。
「もう、佳奈ちゃん、先生にわざわざ言わなくてもいいじゃん! もしかしたら離されていたかもしれない」
「まあ、あの担任授業以外は適当なところあるからね。他の先生だったら離される確率70%くらいあるかも、……もっとあるか」
放課後、夕焼けが廊下に長い影を落とす中、今日は2人で下校の途についていた。私はカバンの紐をぎゅっと握り締めながら、まだ少し頬を膨らませている。
私は苦笑する佳奈ちゃんの歩幅に合わせてゆっくり歩いた。
「――だって、本当に驚いた。クラスで名前を呼ばれるだけでも毎回ちょっと恥ずかしいのに、席まで隣になったら、授業中にうっかり家みたいな口調で言っちゃいそうでしょ」
「いいじゃん、別に。佳奈ちゃんが隣なら、教科書忘れても遠慮なく見せてもらえるし!」
「こら、忘れる前提にしないの」
佳奈がパシッと私の肩にツッコむ。そのやり取りは、学校の制服を着ていようが、完全に森北家の日常そのものだった。
「でも……」と、私は少し声をトーンダウンさせ、嬉しそうに足元の影を見つめた。「友達と離れて最初はちょっと寂しかったから、佳奈ちゃんが隣にきてくれて、私は本当はすごく嬉しかったんだよ」
私は素直な気持ちを言葉にした。佳奈は一瞬虚を突かれたように目を丸くした。それから、少し照れくさそうに視線を斜め上に向け、制服の襟元をいじる。
「……まあ、私も、知らない男子に囲まれるよりは、結菜が隣にいる方が、授業は受けやすいかもね」
「でしょ!」
私は満足そうに笑い、佳奈の腕にきゅっと抱きついた。「外ではベタベタしないで」と言いつつも、佳奈はそれを振り払おうとはしなかった。
家のドアを開けると、いつものように書斎からお父さんのパソコンを叩く静かな音が聞こえてくる。
「ただいまー!」
「お帰り」
私はカバンを放り出すなり、書斎から顔を出したお父さんに、今日の一大ニュースを報告した。
「お父さん、聞いて! 今日学校で席替えがあったんだけど、なんと、佳奈ちゃんと隣の席になったんだよ!」
「ほう、それはまた奇妙な偶然だな」
お父さんは驚いたように目をみはり、それから2人の顔を見て、ふっと優しい笑みを浮かべた。
「家でも学校でも一緒か。佳奈、結菜の授業中の居眠りをしっかり監視しておいてくれよ」
「ちょっと、お父さんひどい! 私、居眠りしたことなんかないよ」
私の抗議の声と、佳奈の小さく笑う声がリビングに響く。
9月の新しい席。森北家の三姉妹のうちの私と佳奈ちゃんは、少しだけ形を変えた「我が家の日常」を、明日から学校の教室でも過ごすことになりそうだった。




