出してしまった言葉
佳奈は課題を済ませ、自分の部屋から一階に降りてきた。リビングに入ると、ソファに寝転びながらスマホを見ている結菜の姿がある。テーブルの上には、自分と同じプリントとペンが置かれていた。
ソファに横になりたい衝動に駆られたが、そこはもう結菜の領土だ。佳奈はダイニングに移動して、椅子に腰掛けた。
「結菜、今なにやってるの」
声をかけるが、結菜はスマホの画面から目を離さない。
「ゲーム」
「ソシャゲ?」
「そう」
短い返答。佳奈は結菜の様子を見ていた。スマホの光が結菜の顔を照らしている。結菜は課題を済ませている。テーブルに置かれたプリントを見れば、それは明らかだ。それでも、佳奈は結菜に何か言いたくなってしまった。
「ゲームばかりしないで勉強したら――あっ……」
口からこぼれてしまった一言だった。
すぐに佳奈は後悔した。
結菜が動く。体を起こし、スマホを握り、佳奈を見た。声色が変わる。
「なにそれ。私、今のカチンときたよ佳奈ちゃん」
反発。それはすぐに来た。
佳奈は自分の言葉の重さに気がついた。ソファに横になれなくてつい言ってしまった。
「ごめん。今のは失言だった」
「私ちゃんと勉強は済ませてたし……」
「分かってる」
結菜がソファから降りて、ダイニングテーブルに座っている佳奈の反対側に立つ。
「お母さんみたいな言い方、やめて。お母さんはそんなこと言わないけど……。とにかくそんな言い方しないでよ」
その言葉は、佳奈の胸に突き刺さった。
自分は結菜の姉だ。それはもう分かってる。同じ学年でも、同じクラスでも、自分は結菜より先に生まれた。その立場を、どう示すか。それは常に佳奈の課題だった。
「……ごめん結菜」
佳奈は立ち上がった。
「結菜がちゃんと勉強してることぐらい、知ってた。なのに、つい」
「つい、ってどういう事」
結菜の目には、まだ反発の色が残っている。
「ソファに横になりたかったから」
正直に言った。
「……場所が取られたから、機嫌が悪くて、結菜に当たった。ごめん」
佳奈は結菜の表情を見ていた。その目はまだ怒っている。言葉で謝るだけでは、足りないんだろう。
沈黙が落ちた。
結菜はソファに戻ると、スマホを手に取った。
「結菜」
「何」
短い返答。背を向けている。
「本当にごめん。結菜の気持ち、聞かせて」
結菜は振り返らない。スマホの光だけが、その顔を照らしている。
「……さっきの言い方、すごく嫌だった」
ようやく、結菜が口を開いた。
「でも、私も……」
結菜が言いかけて、止まった。
「何?」
「いや、さっきね、推しが出る新しいガチャが実装されてね、30連してたんだけど、推しが出なくて。貯めたダイヤが無駄になった感じがして、かなり神経質になっていたんだよ。だから、余計に佳奈ちゃんの言い方が気に触ったのかもしれない」
結菜がようやく振り返った。その目には、申し訳なさと、それでもなお悔しさが混ざっていた。
「でも、それはそれで、私も悪いけど。佳奈ちゃんも悪い」
「うん。悪かった」
佳奈は素直に認めた。
「結菜がガチャが出なくてしてイライラしてるのに、そこに私が追い打ちをかけたって事ね。もう最悪じゃん」
「そう。最悪のタイミングだった。10連、20連、30連と回してたけど、全部外れた。もう、この推し出ないのかなって。本当に悔しかったんだよ。その時に、あんなこと言われたから」
「本当にごめん、結菜」
佳奈は立ち上がった。結菜に近づく。
「私も悪いけど、結菜も感情的になってたんだし。お互い、悪いところがあったってことでいい?」
「……うーん」
結菜は少し考えた。
「佳奈ちゃんが私がガチャで推しを引くまで応援してくれるなら許すよ」
「えっ、そんなの……」
佳奈が困ったような顔をした。
「冗談」
結菜が小さく笑った。
「いいよ分かった。ガチャ、一緒に見守る」
「本当?」
「本当。ここ座っていい」
佳奈は結菜の横に座った。二人の間の空気が、少しずつ変わり始めていた。
結菜がスマホをいじっている。
「ところで、結菜。何のゲームしてるの」
佳奈が尋ねる。結菜は少し考えてから、スマホを佳奈に見せた。
「このソシャゲなんだけど……」
その言い方は、まだ少し警戒を含んでいた。けれど、徐々に柔らかくなっていく。
「あ、このゲーム私もやってるよ。ほら」
佳奈は自分のゲーム画面を見せた。
結菜がぱっと顔を上げた。
「無課金だけど推してるキャラがいる」
「えっ、佳奈ちゃんも?」
結菜の目が輝いた。さっきの怒りは、どこかへ消えていた。
「推しのために、ダイヤを貯めてる。ほら。これが推しキャラ」
画面に映るキャラクター。結菜も身を乗り出して見た。
「あ、このキャラ、かわいい。佳奈ちゃんの推し、いいセンスしてる」
「ありがとう。結菜の推しも見せてよ」
結菜がスマホを向けた。
「このキャラが推しなんだよ。もう、このホーム画面にいるこのキャラのために毎日ログインしてる感じで」
佳奈は見つめた。確かに、素敵なキャラクターだ。
「でも、課金はしてないから、ダイヤが全然足りなくて」
結菜が画面を操作した。ダイヤの残高が表示される。
「もうこんだけしかない。無課金勢は辛いんだよ」
佳奈は頷いた。その返答は自然だった。
「そっか。無課金だと大変だよね」
「うん。課金勢はいいなあ。何度も回したりできるし」
「そだね」
二人の会話は、少しずつ日常を取り戻していた。
「いいね。で、どのくらい貯めてんの、ダイヤ」
「えっと、さっき30連したから残りもう30連分くらい。最初は60連分はあったんだけど」
佳奈は自分のダイヤ残高を確認した。他のキャラに誘惑されずに100連分くらい貯めていた。
「私も同じ。推しが出るときのために、貯めてる。課金勢みたいに何度も回すわけにはいかないから」
「そうそう。ここぞという時が来るまで、ずっと貯めておくしかないんだよね、無課金勢は。だから、推しが実装されたときに、全部使うつもりでガチャを引く」
「そういう気持ち、分かる」
佳奈は結菜の目を見た。
「結菜はガチャはちゃんと考えてから回すんだ。そういうところは私と同じだね」
結菜は照れたように笑った。
「そうかも。それで今がここぞという時なんだよ。貯めてたダイヤ、全部使うつもりで挑んでる」
結菜の手がスマホを握る。その手は、少し震えていた。
「佳奈ちゃん、一緒に見てて」
「うん」
結菜のスマホを一緒に見守る。
結菜が画面をタップした。
ガチャ画面が開く。
「いくね」
結菜が深呼吸をする。
「10連、40連目いくね」
ダイヤが消費される。キャラクターが出現する。その中に、推しはいなかった。
結菜の肩が落ちた。でも、まだダイヤは残っている。
「次、20連」
ガチャが回る。
虹色に光ってレア確定、キャクターが出現する。でも、推しではない。
佳奈も画面を見つめていた。その表情は、結菜と同じくらい緊張していた。佳奈は結菜の横顔を見た。その目には、諦めがなかった。
「60連目か」
結菜が呟いた。
「これで最後!」
結菜の両手がスマホを握っている。爪が白くなっているほど、力が入っていた。
その時、結菜がスマホを握る手を、佳奈が優しく覆った。
「大丈夫。推しはきっと来る」
結菜は佳奈を見た。その目には、涙が溜まっていた。
「本当に?」
「本当。結菜のその気持ち、伝わってると思う。ほら、いこう」
結菜がうなずいた。
もう一度、画面をタップする。
60連目。もう最後の1回。
キャラクターが出現する。
画面が光った。
推しのキャラクターが、虹色の光と共に現れた。
「あ」
結菜の声が出た。次の瞬間、悲鳴に近い喜びの声が出た。
「出たああああ! 推し出たよ!」
結菜が立ち上がった。スマホを掲げる。
「やった。やったあ!」
佳奈も立ち上がった。結菜を抱き寄せた。
「よかったじゃん」
その言葉は、単純だった。でも、その中には、全てが詰まっていた。
結菜の頭が佳奈の肩に乗った。その体が、小さく震えていた。歓喜の震え。
「佳奈ちゃん、ありがとう。一緒に見ていてくれて」
「いいよ。結菜のためなら」
その言葉が、佳奈の本当の気持ちだった。
結菜は推しのキャラクターを眺めていた。その顔は、幸福で満ちていた。
佳奈はそれを見ながら、思った。見守りたいというこの姉としての気持ち。結菜を信頼し、結菜に信頼される。その関係が、大事だと胸に刻む。




