耐えた先に掴んだもの
夏の休み明けのテストの当日。
佳奈が布団の中で目を覚ます。まだ眠いのはいいが、愕然とする。頭が痛い。頭がズキズキと痛い。頭の中で脈打つ鼓動が聞こえる。
(これじゃせっかくのテストを楽しめない )
頭を抑えながら一階に向かう。
「おはよう」と家族と交わす会話すら頭に響いてつらい。医療従事者の母に助けを求める。
母は優しくもしっかりとした声で答える。
「熱は今のところ問題なさそうね。安静にして、水分しっかり摂って。……でもテストがあるんでしょ。学校休めないなら鎮痛剤に頼るくらいしかできないけど」
「そうしようかな。今日は休めない。大事だし楽しみにしてたテストだから」
佳奈は学校生活で楽しいことの5本の指に入るくらいテストが好きだった。
「なに佳奈ちゃん具合悪いの。無理しないほうがいいんじゃない。テストは後日やることにしてさ」
結菜が佳奈の体調の現状を見て提案する。
「今日行かないと。這ってでも学校に行かなきゃ。テストのあの雰囲気を共有したいから」
母が自分の体の声を聞いて、無理しないでねと、頭痛薬を佳奈に渡す。
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佳奈は頭の痛みを耐えながら、自転車にまたがる。
顔を歪ませる佳奈を見て真奈が言う。
「ちょっと、そんな状態で自転車運転できるの」
「学校まではなんとかなるから、大丈夫」
「パーセントでいくと今、調子どのくらい」
「60……3くらい」
「……嘘、50は割ってるでしょ」
真奈が真剣な面持ちで佳奈を見つめる
「私に構わないで。ゆっくり行くから先行ってて。結菜も」
結菜は佳奈の顔色を見つつも、分かったと小さく言って自転車のハンドルを少し強く握りながら出発する。
真奈は心配だからと、佳奈の後ろについて自転車を漕ぐ。
佳奈は負荷が大きくならないスピードを探しながらゆっくりと自転車を進める。
走り出すと風が体に当たって気持ちいいが、頭の痛みがズキズキと主張してきて一瞬景色が歪んで見える。
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佳奈が教室に入る。
騒がしい。皆今日のテストのことで話題が持ちきりだった。教室の中、声が反響し合って頭に響く。佳奈は机に突っ伏した。友達の声さえ痛みを伴っていた。
「これ貸そうか」と斜め前の席の結菜がヘッドホンを取り出す。
「結菜、学校に持ってくるもんなのそれ。自転車に乗っている時は使えないし。いつ使うの、昼休みに音楽を聴くためとか?」
「まあそんな感じ。先生が来るまで使ってみなってすごいから」
「そう、じゃあちょっとだけ借りるね」
佳奈は結菜からヘッドホンを渡された。操作方法は分かってる。
ノイズキャンセリングをオンにする。周囲の音がガクッと下がる。耳に圧迫感を軽く感じたがそれより静寂の訪れに驚いた。
頭はまだ痛いが、周囲の音が小さくなり、頭に響く音はだいぶマシになった。
担任が教室に入ってきた。手にはテスト用紙であろう紙の束を抱えていた。佳奈はありがとうとヘッドホンを結菜に返す。静寂とはここでお別れだった。
ホームルームが始まった。
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あと10分ほどでテストが始まる。
佳奈は頭痛薬を取り出し持ってきていた水筒の水で飲み込んだ。
右隣の葵がそれを見ていた。そして尋ねる。
「なんですかそれ。ドーピング剤ですか」
葵の声は小さく落ち着いているのであまり頭に響かなくてホッとする。
佳奈は否定して、ただの頭痛薬と答える。
「それどころか副作用で眠くなるみたいだから、ドーピングにはならないよ」
「頭痛持ちなんですか。タイミングが悪かったですね、テストと重なるなんて」
「ここ最近は平気だったんだけどね。テストと重なるなんて本当それ、これじゃ楽しさ半減」
葵が首を傾げる。
「テストが楽しいんですか」
「そう、高校の楽しいイベントの一つだよ」
葵は目を見開く。
「変わってますね」
「自分との勝負みたいな感じかな」
「では今日は万全な体調ではないのは残念ですね」
「ほんと大丈夫なの佳奈ちゃん」
結菜がそう言いながら、佳奈の頭をポンポンと軽く優しく触れる。
少し痛みが遠のく気がする。
「あっ、それいいかも続けて」
結菜は言われた通り、テストが始まる数分間それを続けた。
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テストが始まる。でも頭痛薬はまだ効いていないようだった。とりあえず左手で頭を抑えながら、答案用紙に名前書き、問題に取り組む。
1科目、国語。
佳奈は問題文を読むが、頭痛で集中力が削られている。いつもなら文章全体の構造がぱっと見える。登場人物の心情、作者の意図。そういったものが、今日は霧がかかっているような感覚だった。
回答を埋めていくが、いつもより時間がかかる。手応えは悪くはないが、集中は平常時の6割程度。頭痛薬はまだ効いてくれていない。
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2科目、英語。
佳奈は長文問題に向き合う。単語は拾える。文法も分かる。でも頭はまだズキズキしている。その主張は少しずつ小さくなってきているのを感じるが、まだ完全ではない。
葵は相変わらず静かに、ただ淡々と問題を解き進めているみたいだ。その落ち着いた筆跡音が、どこか佳奈を安心させた。
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3科目、数学。
ここが一番、佳奈が不安に思っていたところだった。頭痛がするなか計算するのはかなりキツイ。頭が冴えていてこそ、あの快感が味わえるのに。
最初の問題を読む。解き方は見える。でも頭がまだ重い。
だが、計算を進めていく中で、何かが変わった。
頭痛の波がやがて和らぎ、やがて凪いでいった。
いつもの、感覚が戻ってきた。
脳が高速で回転するような、問題の構造が明確に見える感覚。式を立てる。計算する。答えが出る。その一連の流れが、心地よく、自分のペースで流れていく。
佳奈は気づかずに笑みを浮かべていた。
最後の問題。複雑な図形問題だ。座標、角度、面積。それらが一つの図として頭に浮かぶ。その瞬間、涙が一粒溢れた。
ああ、これだ。これが好きなんだ。
佳奈は自分の嬉し涙に気づき、目元を軽くぬぐった。
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後の科目も頭痛薬が切れる前に終わってくれた。
心の中は静かな喜びで満たされていた。
結菜が後ろを振り返って、佳奈の顔を見る。
「その様子だと薬効いた?」
「1、2科目まで怪しかったけど、数学の時はバッチリ薬が効いてくれたよ」
その言い方は、単なる報告ではなく、ほんのり嬉しそうだった。
答案が回収されると教室は一気に喧騒に包まれていた。
「数学難しかった」
「えー、私は得意だから余裕」
「英語ダメダメだった」
そういった会話が飛び交う中、葵は佳奈に声をかけた。
「朝の頭痛、どうなりましたか」
「あ、うん。薬が効いてくれたおかげで。最後の方はほぼ普通に取り組めた」
「そうですか。よかったですね」
葵が小さく手を叩く。その動作は静かだが、確かな応援の気持ちが込もっていた。
葵の言葉は静かだが、確かに佳奈のことを見ていたのだと分かった。
「葵さんこそ、テストどうだった」
「いつも通りです。特にこれといったこともなく」
そう言って葵は、少し考える素ぶりを見せた。
「そういえば、佳奈はさっきもテストが楽しいと言っていましたが。本当ですか」
葵はテスト前に言った佳奈の言葉をもう一度確認した。
「本当だよ。でも自分でもよく分からない、なんでだろう」
佳奈は少し照れたように笑った。
「数学なんて特に。苦手科目なんだけど。あの問題を解く瞬間が好きなの。自分の頭がちゃんと動いてる感じがして」
「なるほど」
葵はうなずく。その瞳は、佳奈の言葉を素直に受け入れている。
「テストは試験ですから、点数や順位の方が重要だと思っていました。でも、そういう視点もあるんですね」
「葵はテスト、嫌い?」
「別段嫌いではないですが、特に好きでもない。ただやらなければならないものというか」
「そっか。私の感覚とは違うね」
「それでも、今日みたいに朝から体調が悪い中で、ちゃんと試験を受けようとする。その気持ちは分かるような気がします」
葵はそう言って、小さく微笑んだ。
佳奈は葵の言葉に、ほんのり温かみを感じた。
「ありがとう。そう言ってくれるのって嬉しい」
「では、また明日」
葵は教室から出ていく。その静かな背中を見ながら、佳奈は思う。
(葵って、いい子だな)
教室の喧騒は変わらず続いていた。だが佳奈の心には、静かな充足感が満ちていた。
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数日後。テストの答案が戻ってくる。
教室は朝からそわそわしていた。一人また一人と、返された答案を手にしていく。
「数学、何点だった」
「67」
「頑張ったんだけどなあ」
そうした会話が聞こえる中、佳奈も数学の答案を手にした。
点数欄に目をやる。
86と赤文字で書かれている。
自己ベスト更新。佳奈は静かに笑った。頭痛があったにもかかわらず、薬に頼りながらもここまでいけた、頑張ったよね。そう思った。
満点ではない。でも、この点数は嘘をつかない。佳奈がテストの最中に感じたすべてが、ここに記されている。
隣から葵が話しかけてくる。
「どうでしたか」
「86。自分としては上出来」
「そうですね。あの日の朝の状況を考えれば」
佳奈が葵の答案を一瞥する。92点だった。
「すごい」
「いや、これは普通です。佳奈こそ、頑張りましたね」
その言い方は、決して上から目線ではなく、純粋な評価だった。
佳奈は答案をそっと机の上に置く。
テストを受ける人の気持ちなんて、人それぞれなんだろう。点数を取るためという人もいるし、自分の力を試すためという人もいる。
佳奈にとっては、その両方なのかもしれない。
だが今日、答案の点数を見ながら、佳奈が思うのは、あの朝、頭痛と闘いながらも学校に来てよかった。そして、あの数学との向き合い方は、絶対に間違っていない。
そう、確信できたことだった。




