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とまらない三姉妹の日常。―最新AIとの共作。そこに魂は宿るのか。心は揺れるのか。その目で見届けて。―  作者: 古咲一和


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長かった夏の一日 中編


 午後3時4分。


 理恵が静かにペンを置いた。


「早いけど……休憩する?」


 佳奈も大きく伸びをする。


「そうだね」


 その途端、隣の部屋から一斉に声が上がった。


「休憩!?」

「おやつ!?」

「やった!」


 佳奈が苦笑混じりのため息をつく。


「……聞こえてたんだ」


 理恵はくすくすと笑った。


 家の中に、少しだけ、緩やかな夏の午後の空気が広がっていった。


 リビングに集まると、冷蔵庫からアイスが取り出された。


「これ、あたしの!」と明日香が手を伸ばす。

「私はこれがいい」と由果が言い張る。

「はいはい、仲良くね」と真奈が笑った。


 テーブルには、冷えたジュースと、3人のお土産と理恵のお土産のお菓子が並べられた。


 理恵は輪に加わり、静かにアイスを口に運ぶ。


「理恵、高校はどう?」


 明日香の問いに、理恵は「良い学校ですよ」と丁寧に答えた。


「夏休みの課題とか、やっぱり多い?」


 由果が身を乗り出して聞くと、理恵は少しだけ困ったように微笑んだ。


「多いです。だから今日、ここに来たんです」


 その後ろでは、佳奈と結菜がお菓子の数を数えながら、話し合っている。


「これで足りると思う?」


「大丈夫じゃないの」


「真奈、他にお菓子ある?」


「非常用に隠してるのならあるけど」


 午後3時の休憩時間は、賑やかに、そして穏やかに流れていった。


 ふとした瞬間に訪れた、小さな沈黙。

 明日香が口を開いた。


「……ねえ、佳奈」


「ん?」


「さっきから気になってたんだけどさ」


 明日香が佳奈をじっと見る。


「佳奈って、真奈先輩のこと呼び捨てだよね」


 一瞬、空気が止まった。


「あー」


 佳奈が、何でもなさそうに笑う。


「まあね」


「え、普通なの?」


「真奈先輩、怒らないの?」


「別に真奈は気にしてない」


「優しい……」


 由果が言う。


「弟があたしを呼び捨てにしたら頬つねるけど」


「厳しいですね」


「だって生意気じゃん」


 明日香もうなずく。


「私は呼び捨ては無理だなー」


「無理?」


「うん。姉と大ゲンカでもしない限り、怖くて呼べない」


「明日香、ケンカしたら呼び捨てになるの?」


「なるなる。『ちょっと美咲! いい加減にして!』みたいな」


「一瞬だけ格が上がるやつだ」


 由果が笑い、佳奈も肩を揺らす。


「まあ、うちは昔からこうなんだよね」


「へえ……」


 明日香が感心していると、由果がふと思い出したように言った。


「そういえばさ」


「ん?」


「佳奈は真奈先輩のこと呼び捨てでしょう」


「うん」


「じゃあさ」


「なに」


「結菜は真奈先輩のことなんて呼んでるの?」


 視線が結菜に集まる。


 結菜は一瞬だけ佳奈を見る。


 佳奈がにやっと笑う。


「家では“まー姉”って呼んでるよね」


「ちょっと!!」


 結菜の顔が少し赤みを帯びている。


「やめてよ佳奈ちゃん!」


「違うの?」


「違わないけど!」


「違わないんだ」


 由果が笑う。


「かわいいじゃん」


「かわいい!」


「やめて!」


 結菜は顔を隠す。


「結菜さんは佳奈さんのこと呼び捨てにはしないですよね、どうしてです」


 疑問をぶつける葵。


「んー、姉ではあるけど、お姉ちゃん呼びだとなんか遠くて、佳奈って呼び捨ては近すぎる気がして。だから間の“佳奈ちゃん”がちょっどいいかなって」


「へぇー」と全員がしっくりきた様子を見せる。


 葵は腕を組んで観察。


「なるほど」


「なにが」


「姉妹の呼び方って色々あって面白いと思いましたから」


 ⸻


 午後4時8分。


 ひと息ついたあと、階段を上がればまた、課題と向き合う時間が始まる。


 佳奈の部屋。

 理恵は無言でテーブルに課題を積み上げ、終わった分をバッグに入れる。

 佳奈も自分の椅子に深く腰掛け、課題を開いた。


 隣の結菜の部屋。

 結菜、明日香、由果、葵の4人が、それぞれの課題に向き合う。

 結菜は机に伏せていた問題集を開く。

 葵がシャープペンの芯を出す「カチ、カチ」という乾いた音が、開始の合図だった。


 午後5時17分。


 西日が部屋の奥まで差し込み、影が長く伸び始める。

 佳奈の部屋では、参考書を閉じる小さな音すら(はばか)れるほどの集中が続いていた。


 理恵のペン先が、数学の難解な数式をなぞっていく。

 佳奈は頬杖をつきながら、英語の長文を睨みつけていた。

 ふとした瞬間に、カーテン越しに隣の部屋から微かな声が漏れる。


「……ここ、どうしてこうなるの?」


「それは、ここの公式を当てはめます……そうするとこの解につながるでしょ」


 葵の低いトーンが、迷走しかけた空気を引き戻す。

 理恵はその声を聞き、自分が一人ではないことを再確認する。

 その微かな繋がりが、孤独な自習にはない、不思議な安心感を与えていた。


 午後6時18分。


 外の景色は群青色に染まり、部屋の照明が一段と白く際立つ。

 疲れが見え始める時間帯。

 由果が小さくあくびをし、葵が凝り固まった肩を回す。

 それでも、誰一人として席を立とうとはしなかった。


 佳奈の部屋。

 理恵は集中が極限に達し、周囲の音が完全に消えていた。

 ただ、目の前の白紙が論理で埋まっていく感覚。

 佳奈もまた、ペンを止めることなく、単語を書き連ねている。

 二人の間には言葉こそないが、互いの呼吸と、一定のリズムで刻まれる筆記音が、見えない共鳴を生んでいた。


 午後7時2分。


 理恵が最後の一行を書き終え、深く息を吐き出した。

 同時に、佳奈もペンを置いて背伸びをする。


「……終わった?」


 佳奈の問いに、理恵は静かにうなずいた。


「はい。予定していたところまでは、すべて」


 隣の部屋からも、椅子を引く音や、重い溜息が聞こえてくる。


「死んだ……脳みそ溶けた……」


 由果の情けない声に、明日香の笑い声が重なる。

 濃密な3時間が、ようやく幕を閉じた。

 窓の外はすっかり夜の(とばり)が下り、エアコンが夏の夜風のようにカーテンを僅かに揺らしていた。


 午後7時20分。


 家が食欲をそそるスパイシーな香りに満たされる。それは、ただの日常的なカレーではなく、特別な夕食を予感をさせていた。

  今夜は、時間のかからない普通のカレー——のはずだった。しかし、真奈が黙々と刻んだ大量の野菜を、佳奈が手際よく炒めてじっくりと煮込み、隠し味にスパイスを加えたそれは、市販のルーを使った家庭の味には収まらない仕上がりになっていた。


 佳奈が仕上げに振りかけたのは、ガラムマサラ、クミン、コリアンダー。

 その少量のスパイスが、いつもの家庭の味に奥深い輪郭を与え、ただの夕食を「特別な時間」へと変えていく。


「よし、できた。運んで」


 佳奈の合図で、バケツリレーのように皿が運ばれていく。


 リビングの奥にある書斎のドアは、固く閉ざされたままだ。


「結菜、お父さん大丈夫ですか。こんなに騒がしくて」


 理恵が小声で尋ねると、結菜が自分の耳を指差して笑った。


「大丈夫。私のノイズキャンセリングヘッドホン貸しといたから。たぶん今、無音の世界で仕事に頭がいってるよ」


「お母さんも今日は病院の夜勤でいないしね。今夜は女だらけでやりたい放題ってわけ」


 佳奈がそう言いながら、最後に生春巻きを乗せた大皿をテーブルに置いた。


 ダイニングテーブルには、真奈、佳奈、理恵、そして葵の4人が。少し離れたリビングのローテーブルには、結菜、明日香、由果の3人が陣取った。


「いただきます!」


 一斉にスプーンが動く。


「……すごい美味しい」


 理恵は、口の中に広がる本格的なスパイスの香りに驚いた。


「やっぱり佳奈はすごいよ。さすがね」


 真奈が褒めると、佳奈は「ふふん」と得意げに鼻を鳴らす。リビング側からは、テレビの音に負けないくらい賑やかな声が聞こえてくる。


「結菜、その福神漬け取って!」

「明日香、それ私の生春巻き!」

「ジャガイモ多そうだからもらうね」

「おい!」


 そんな喧騒を遠くに聞きながら、ダイニングの4人は少し落ち着いた会話を楽しんでいた。 


 書斎で孤独に仕事をする父や、病院で働く母の存在を心のどこかで感じながら、今、この空間だけが突出して熱を帯びている。


 理恵は、自分の皿に盛られたカレーを見つめた。

 この少し騒がしすぎるほどの隠し味を、忘れたくないと思った。


「おかわり、まだあるからね」


 佳奈が、誇らしげにお玉を掲げた。


 ⸻


午後7時50分。


 スパイシーな香りが微かに残るリビングには、食後のゆったりとした時間が流れていた。


 お腹を満たした由果と明日香は、ソファーに深く沈み込み、もはや立ち上がる気配すらない。結菜もその横で、半分夢心地でクッションを抱きしめている。


 ダイニング側では、真奈が淹れてくれた温かい麦茶を飲みながら、理恵、葵、佳奈がふぅと一息ついていた。


 家中が穏やかな満足感に包まれ、このまま夜の闇に溶けてしまいそうな、心地よい停滞感。


「ねえ、理恵さん」


 葵がソファから身を乗り出した。


「さっきの話なんですけど」


「さっき?」


 理恵が葵の方に顔を向ける。


「姉妹の呼び方のやつです」


「あー、佳奈が真奈先輩を呼び捨てにしてる話?」


「それです」


 葵が静かに尋ねた。


「ちょっと気になって、理恵さんは兄弟とかいらっしゃいますか?」


「姉と妹が1人ずついます」


「じゃあ、ウチと一緒の三姉妹。……私と同じ次女か……」


 佳奈がお茶を飲みながら言う。


「なんて呼び合ってるの」


 と尋ねる由果。

 興味深そうに理恵を見る葵。


 理恵は少し考えた。

 遠くを見つめつつ、静かに答えた。


「姉上」


 由果が吹き出した。


「えっ」


 明日香が言う。


「武家?」


 葵が言う。


「時代劇?」


 結菜がテーブルを叩く。


「絶対うそ!」


 理恵は少しだけ笑った。


「うん、冗談」


 部屋に笑いが広がる。


 そして理恵は改めて言った。


「私は……“姉さん” 姉は私たち妹に対しては呼び捨てです」


「意外と珍しいところ!」


 由果が即座にツッコむ。


「まあ、そうかもね」


「じゃあ、妹のことなんて呼んでるの?」


 明日香が聞くと、理恵はあっさりと答えた。


「……“チビ”」


 一瞬の沈黙。


「ひっど!」


 明日香と由果が爆笑した。


 葵が笑うべきかわからず複雑な表情で言った。


「妹さん、かわいそう!」


「今のも冗談?」と聞く佳奈。


「これは、本当」と答える理恵。


「そんなに小さいの?」


 結菜が不思議そうに聞く。


「中一だけど、まだ小さいかな」


「それでチビ? 名前じゃないんだ」


 葵が面白そうに目を細める。


「名前で呼んでたんだけど、小さい頃、ずっと私の後ろをついてくるから……『チビ、ついてくんな』って言ってたら、そのまま定着した」


「ひどい姉だ」


 明日香が笑う。


「妹さん、怒らない?」と葵。


「怒る。……でも、外ではちゃんと“鈴香(すずか)”って名前で呼ぶから」


「家限定なんだ。なんか独特でいいね」


 由果が感心したように言う。


「呼び方一つとっても、家族の距離感が出るっていうか」


 由果が打ち明ける。


「わかる。あたしなんて今、弟のこと名前で呼べないお年頃で、お互い“おい”、“ちょっと”、“それ”、とか主語が使えない」


「それは雑すぎ!」


 と突っ込む佳奈。


 リビングに、また新しい笑い声が広がった。


 ⸻


後8時45分。


 佳奈が湯呑みをテーブルに置くと、少しだけ背筋を伸ばした。


「よし。……それじゃあ、もうひと頑張りしようか」


 その声は、静かだがはっきりとしていた。佳奈は、隣に座る理恵をちらりと見る。


 (せっかく遠くから来てくれたんだし……。あんなに騒がしかったら、理恵、自分のペースで進められてないんじゃないかな)


 そんな佳奈の気遣いに気づき、理恵は少し驚いたあと、嬉しそうに頷いた。


「うん、やろう。私も、もう少しやりたい」


 その瞬間。リビングの「脱力組」から、一斉に声が上がった。


「えっ、まだやるの!?」


「勉強はもう結構! 私の脳みそ、さっきのカレーと一緒に消化されちゃったよ……」


「佳奈、鬼……」


 非難を浴びせる3人。しかし、その横で葵だけが、すっと手を上げた。


「私も賛成です。今日はいつになくやる気と集中力が切れません。このまま朝までいけそうなくらい調子がいいんです。……もう少し、やりましょう」


 葵の放つ異様なまでのやる気に、由果と明日香は「うげぇ……」と声を揃えてうなだれた。


「よし、決まり。午後9時半から再開ね。それまで各自、お風呂とか済ませちゃおう」


 佳奈の号令に、理恵は頼もしさを感じながら、プリントを何枚かリビングにもってきて置く。そしてお風呂の順番が来るまでの間に問題を解いていく。


 夜もふけてきた家の中に、再び、静かな闘志が灯り始めていた。

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