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とまらない三姉妹の日常。―最新AIとの共作。そこに魂は宿るのか。心は揺れるのか。その目で見届けて。―  作者: 古咲一和


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真奈、夏の最強の盾を失う

真奈、夏の最強の盾を失う


 7月に入った途端、家の空気が変わった。

 気温そのものより、湿気がまとわりついてくる感じがする。


 リビングでは、3人がそれぞれソファに腰を下ろしていた。

 エアコンはついているが、設定温度はまだ高めだ。


「……やっぱ暑いよね」


 結菜が、クッションを抱えたまま言う。


「暑いけど、まだ我慢できる」


 佳奈は扇風機の首を少しだけ動かした。


「7月入ったばっかだし。ここでガンガン冷やしたら負けな気がする」


「佳奈のその理屈、毎年聞いてる気がする」


 真奈が苦笑する。


「でさ」


 結菜が話題を変える。


「3人のうち誰が一番、夏に強いと思う?」


「結菜でしょ」


 佳奈は即答だった。


「運動して汗かいても、全然バテないじゃん」


「えー、そうかな。佳奈ちゃんのほうが強そう」


「私は無理」


 真奈は雑誌をあおぎながら言った。


「夏は集中力落ちるし、暑いと何もしたくなくなる」


「じゃあ最弱はまー姉、決定だね」


「否定しない」


 3人で笑う。

 エアコンの風が、順番に頬を撫でていく。


 しばらくして、真奈は立ち上がった。


「部屋から本取ってくる」


 階段を上がり、ドアを開けた瞬間、目の前の空気が重くなる。

 暑くてむわっとした湿気が、容赦なく体を暑く包む。


「……あれ?」


 エアコンのリモコンを手に取り、電源を入れる。

 リモコンの液晶は点いた。

 けれど、送風音がしない。


 もう一度。

 それでも、静まり返ったまま。


「ちょっと待って……」


 何度か操作してから、嫌な予感が胸に広がる。

 真奈はリビングに戻った。


「佳奈、ちょっと来て」


「どうしたの?」


「エアコン、動かない」


 佳奈はすぐに立ち上がった。


「本当に。見てみよう」


 2人で真奈の部屋に入る。

 むわっと暑さが広がる部屋で2人は確かめていた。

 佳奈はリモコンを確認し、首をかしげた。


「表示は出てるね。電池じゃない」


「だよね……」


「当然コンセントもちゃんと繋がってる」


 佳奈はエアコン本体の下に手を伸ばし、スイッチを押す。

 ――無音。


 もう一度。

 それでも、何も起こらない。


 佳奈は一瞬黙ってから、振り返った。


「……これ、本体だね」


「え」


「完全に修理行き。お父さんに言わなきゃ」


 その言葉を聞いた瞬間、真奈はその場にしゃがみ込んだ。


「えぇ……まだ7月なのに……」


 床に手をつき、力が抜ける。

 これからが夏本番だというのに。


「まあ、しばらくエアコン求めて放浪生活だね」


 佳奈は軽く言う。


「軽く言わないで……」


「まあ、でも7月は夜、窓開ければ寝られると思うけど。8月は厳しいかな」


 廊下から、結菜が顔を覗かせた。


「どうしたの?」


「真奈の部屋、夏終了のお知らせ」


「それはまずいね」


 結菜は目を丸くしてから、少し考える。


「じゃあ、うち来る?」


 真奈は一瞬迷ってから、うなずいた。



 それから数日、真奈はリビングにいない時は結菜の部屋に行くようになった。

 決まった時間でも、決まった理由でもない。


「入るね」


「うん」


 最初のころは、それだけのやり取りだった。


 エアコンの風は弱めだ。結菜が聞く。


「暑くない?」


「平気、ありがとう」


 そう言いながら、真奈は最初のころ、ベッドの端や壁際に座っていた。

 

 結菜から少し距離を取った場所。


 まだ、ふたりきりになることに慣れていなかったのだ。


 バドミントンで繋いだ時間は特別だった。ネットなしで見える表情。

 運動という名目のもとで、自然と相手を見ることができた。


 でも、日常の中でのふたりの関係は、まだ整理がついていなかった。

 間には、いつも佳奈がいた。そのリズムがあれば、真奈もどこに立てばいいか分かっていた。


 だからこの静寂は、新しかった。

 怖くもあり、心地よくもあり。


「今日、何してるの?」


 ある日、結菜が聞いた。


「参考書読んでる」


「ふーん」


 それで会話は終わる。

 前ならそこで不安になっていただろう。もっと話さなきゃ、繋がなきゃいけないんじゃないかって。


 でも、学んだ。

 相手と同じ呼吸をすることが、いつも言葉を必要とするわけではないということを。


 結菜は机に向かい、何かを考えているのが分かる。

 ペン先が紙を擦る音。

 ページをめくる音。

 時々、結菜がため息をつく。

 真奈もそれを聞いているし、結菜も真奈がそこにいることを感じている。


 言葉がなくても、空気は通い合っていた。

 シャトルを介してではなく、ただこの部屋の温度を共有することで。



 ある日、真奈がページをめくる音に混じって、ベッドが小さく軋む音がした。


 顔を上げると、結菜がベッドにごろんと横になっている。

 枕に頬を預け、文庫本を持っている。


「……それ、面白い?」


 真奈が聞く。


「うん、まあまあ」


 短い返事。

 でも、声はゆるい。


 結菜は真奈のほうを見ない。視線は本の上。

 けれど、身体の向きは少しだけこちら側を向いている。


 無防備だ、と真奈は思う。


 横になって、本を読んで、足をぶらぶらさせている。

 誰かに見られていることを、まるで気にしていない。


――緊張していない。


 それが、真奈にははっきりと伝わった。

 自分とふたりきりでいることを、特別な状況にしていない。

 ただの、いつもの時間として扱っている。


 そのことに、胸の奥がすこしだけ軽くなる。


 真奈も本に視線を戻す。

 部屋にはページをめくる音だけがある。


 でも、沈黙はもう怖くなかった。



 ある夕方、佳奈は廊下を通りかかり、結菜の部屋の前で足を止めた。


 ドアは少しだけ開いている。


 中では、結菜がベッドに横になって本を読み、真奈は床に座っている。

 2人とも、同じ方向を向いているわけでもない。

 それでも空気は、よどみなく流れていた。


 佳奈は一瞬で察する。


 もう大丈夫だ、と。


 自分が間にいなくても、ふたりはちゃんと呼吸を合わせられる。


 佳奈はそのまま、音を立てずに立ち去った。



 夜、3人で夕飯を食べながら、佳奈が何気なく聞く。


「真奈、今日はどこで涼んでたの?」


「結菜の部屋」


 その答え方が、前と違っていた。

 躊躇がない。気負いがない。

 ただ、当たり前のことを言うように。


「ふーん」


「居心地はどうだった」

 

「佳奈ちゃん、私の部屋にいても落ち着かないって言いたいわけ」


 そうじゃないけど、と佳奈は微かに笑った。

 

「別に普通、快適だった。勉強も捗る」


 よかったねと言いながら続ける。


「熱帯夜はどうするの、結菜の部屋に行くの?」


「結奈……迷惑だろうけど布団敷かせてもらってもいいかな」


「全然、構わないよ。遠慮しなくていいから」


 3人の会話は、いつも通り続く。

 でも、真奈と結菜の間には、確かに新しい繋がりが見えた。



 数日後

 

 真奈は参考書を開いたまま、同じ行を何度も目でなぞっていた。


 文字が、頭に入ってこない。


 ページの端が、少しずつ傾く。


 まぶたが重い。


 ふ、と指の力が抜け、本がももの上に落ちた。


 その小さな音に、結菜が顔を上げる。


 真奈は慌てて本を持ち直そうとするが、動きが鈍い。


「……眠いの?」


「ちょっとだけ」


 声が、いつもより柔らかい。


 結菜は本を閉じる。

 しおりを挟み、ベッドの端に体を起こす。


 少しだけ距離が縮まる。


「まー姉、昼寝したかったらベッド使っていいから」


 軽い口調。

 けれど視線は、ちゃんと真奈を見ている。


「いいよ、床でも平気」


「体が痛くなるでしょ、遠慮しないでベッドで寝なよ」


 真奈は笑おうとするが、あくびが先に出る。


 結菜は小さく息をつく。


「ほら、頭ふらふらしてるじゃん」


 ベッドの上のクッションを端に寄せる。

 スペースができる。


 真奈は少し迷う。


 ベッドは、結菜の場所だ。

 自分はいつも床。


 けれど今日は、まぶたが限界に近い。


「……ちょっとだけ」


「うん」


 真奈が立ち上がる。結菜が腕を引っ張る。

 距離が一気に近くなる。


 ベッドに腰を下ろすと、マットレスがわずかに沈む。

 その振動が、結菜の膝に伝わる。


 近い。


 横になると、天井の見え方が変わる。


 結菜はそのまま端に座っている。


「寒くない?」


「平気……」


 声がもう、半分眠っている。


 結菜は迷ってから、足元のブランケットをそっとかける。


 指先が、ほんの一瞬だけ真奈の腕に触れる。


 真奈は目を閉じたまま、小さく息を吐く。


 その呼吸が、すぐそばにある。


 結菜は視線を落とす。


 寝顔は、思っていたより無防備だった。


 しばらく、そのまま動かない。


 やがて、結菜は静かに本を開き直す。


 ページをめくる音、呼吸の音、エアコンの音しかこの部屋には流れていなかった。


 部屋の温度は変わらない。


 けれど、空気は確実に変わっていた。

 


 夜、窓を開けるとカーテンが揺れる。

 風が抜ける。暑かった部屋は徐々にやわらぐ。


 盾は失った。

 けれどもっといいものを徐々に得ている確信があった。


 昼間の、あの短いやり取り。

 言葉は少なかったのに、

 ちゃんと返ってきた。


 真奈は目を閉じる。


 明日も、少しだけ話しに行こう。

 ちゃんとノックをして、

 それから、いつもみたいに入ればいい。


 それだけのことだ。

 

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