忘れてしまった眠り方
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フローラという名前は知っている。
魔女と名乗るようになる以前の、ただ純粋な人間だった頃の私の名前だ。
どうして主くんが知っているのかはわからない。
でも久しぶりに名前を呼ばれた瞬間、色鮮やかな感情が蘇った。
「…私でいいの?」
「僕が選んでいいなら、フローラがいい」
「そう。嬉しいよ主くん」
愛しくてもう一度主くんを抱き締める。
だが視線を感じて振り向くと、
口をパクパクと動かしながら私を指差すドラが目に映った。
「な、な、…なにしてるのじゃ!」
「キスだよ。知ってるだろ?」
「どうして魔女がキスするのじゃ!」
「私にしようって言ったのはお前達じゃないか。
願ったり叶ったりだろ?」
「でも主はフローラって言ったのじゃ!」
「ああ、フローラは私の名だ」
「…魔女は、魔女じゃろ…?」
「昔の名前なんだ。説明するからとりあえず座ろうか」
早々に主くんと隣同士で座る。
すると渋々正面に二人が座り、ジトっとした目で見てきた。
それを軽く無視し、まずは主くんに名前の件を問う。
「主くん。どこでその名前を知ったの?」
「えっと、さっき僕が決めていいって言われた時かな?
急に頭に浮かんできた」
「そっか」
主くんが身体の中に居る間に言葉は延々と聞かせていた。
今まで私がしてきた会話を聞かせ続け、言葉を覚えられるように。
でも名前を言った記憶が無い。
一度くらい言っただろうか?
名前という概念を教える際に、例えとして口にしたかもしれないけど、
その程度の事を主くんが覚えてるとは思わなかった。
人間にとって魔女とは異端の存在を呼ぶ蔑称に近い。
それでも、私は魔女と呼ばれる事を気に入っている。
それでも、名前で呼ばれると"私"だけが呼ばれているみたいで、
本当の私を呼んでくれているようで、なんとも感慨深い。
「とにかく、名前を憶えていてくれて嬉しいよ。
…そんなわけで、私も恋人でいいね?」
「なっ!そんなのダメじゃ!」
「でも、定期的にキスをするんだよ?
できれば一日一度くらいした方が安心だ。
そうなったら恋人みたいなものだろう?」
「そんなにする必要があるのじゃ!?」
「正確に言えば、ドーラがした日にした方が良い」
「…むぅ…それなら毎日じゃな…」
その後、私を恋人と位置付けるかどうかで軽く話し合った。
でもドラは恋人だと確定させるのが嫌なようで、
結局、その辺はうやむやになった。
私も主くんとキスをするようになって数日が経過した。
私の事を最初はドラ達もかなり警戒していた様子だけど、
キスの他には何もしないとわかったのか、だんだんと落ち着いてきた。
ただ、私自身に問題が起きた。
朝から立つのも辛くなるほど、体調がかなり悪い。
ここ最近、なんとなく身体に違和感を感じていた。
それが日に日に強くなり、誤魔化せないほどになっていた。
「ドーラ。すまないがベッドを借りていいかな?」
「魔女?かなり顔色が悪いのじゃ。…大丈夫じゃ?」
「多分、寝れば治ると思うから」
「わしが運んであげるのじゃ」
「いや、自分で歩けるよ。
皆は普通に過ごしていなさい」
それだけを告げ、すぐに階段を上った。
無事に寝室に着き、さっそく窓際のベッドに横になってみる。
身体の力を抜くと幾分か楽だ。
久々すぎてこの違和感が眠気かどうか怪しかったが、正しかった。
なら少し寝れば回復してくれるはず。
そう思ったのに、眠り方を忘れてしまったようだ。
どれほどの時を眠ってないんだろう。
どうやって眠っていたか思い出せない。
とりあえず目を閉じて静かに過ごしていると、
誰かが静かに近寄ってくる足音に気が付いた。
「フローラ、大丈夫?
水、持ってきたんだけど…」
「ああ、主くん。ありがとう」
「邪魔だったら水だけ置いてすぐ戻るからね」
「邪魔だなんてとんでもないよ。少し話そう」
足音は主くんで、水を運んできてくれた。
身体を起こしてその水を口に含む。
喉が潤っていく感覚もなんとなく懐かしい。
そこで自分が初めて喉が渇いていた事に気が付いた。
「気が付かなかったけど、喉が渇いてたみたい。
とても助かるよ。ありがとう」
「うん…。…ねぇ、フローラはどこか悪いの?」
「眠いのに、眠れなくてね。
でも、水のおかげでかなり楽になった気がする。
…多分、今度は眠れると思うよ」
半分は嘘。
水で楽にはなったけど、相変わらず眠り方がわからない。
でも正直に話して主くんに心配を掛ける事もないだろう。
「…僕も一緒に眠る」
「…主くん…?」
主くんは私からコップを奪い、ベッドに寝かせた。
その後すぐ、布団に身体を潜り込ませてきた。
突然の事に驚いたけど、主くんなら、いいかなとも思う。
「…フローラ、いいよね…」
「…ああ、いいよ…」
主くんが抱き着いてくる。
初めての事だから多少緊張はするけど、抵抗することなく身を任せる。
主くんの手が私の肩に触れ、いよいよ服を脱がされる。
つもりだったのに、主くんは一向に何もしてこない。
「…主くん…?」
「…。」
「…まさか本当に眠ったのかい?…何もせずに?…ふふ…」
おかしくて自然と笑っていた。
どうやら考えすぎだったみたいだ。
ベッドに入ってくるものだから、何かしたいのかと思った。
ドラに出来ないあれこれを、私にしてもいいと思ったのに、拍子抜けだ。
「…期待外れもいいところだけど、ゆっくりおやすみ…」
でも、抱き着いて眠っている姿は愛おしい。
そっと頭を撫でながら私も目を閉じた。
そのまま、眠る主くんの呼吸に耳を澄ませていると、
いつの間にか私も眠れていた。
…。




