知らない名前
魔女が現れてから数日が経過した。
あれから魔女はほとんど休まず、ずっと大樹の掃除に勤しんでいる。
昨日なんて階段を上から下まで全て拭いていたから、
そんなところまで掃除するものかと驚いた。
「そこまでする必要あるのじゃ?」
「かなり留守にしてたから気になってね。
ほら、汚れが取れてこんなに綺麗になったよ」
今日も食事が終わってすぐに掃除を始めてしまった。
確かに魔女が持っている布には茶色の汚れがびっしり付いている。
思い返しても棚の側面など、一度も掃除した記憶は無い。
「僕も手伝ってもいい?」
「そう?…なら、そうだね…。
…じゃあ、少し手伝ってもらおうかな?」
「もちろんいいよ。何処をすればいい?」
「なら私の反対側をしてもらおうか」
オスが自ら手伝いを申し出た。
魔女は遠慮し迷っていたけど、受け入れた。
オスが手伝うなら自分も手伝おうと口を開きかけると、
行商に手を取られ、外に誘われる。
「ねぇドーラさん?私達はハーブでも摘みに行きません?」
「いや、主が掃除を手伝うならわしも…」
「いいじゃないですか!ほら、行きましょ!」
行商に少し強引に引っ張られる形で連れ出された。
行商もずいぶん自分に慣れたものだと感心する。
「少し二人きりにしてあげたらどうです?」
「主と魔女じゃ?」
「今まで一度も二人きりになってないからどうかなって」
「あ~…。一応、親子なんじゃな?」
「ん~、まぁ、そうなるんですよね?」
言われてみれば気を利かせるべきだったのかもしれない。
少し前なら絶対にオスから目を離さないつもりだったけど、
魔女の為に、少しだけ貸してあげてもいいかもしれない。
自分の育ての親である事には違いない。
でもオスの親と言われると、そんな感じはあまりしない。
それでも積もる話はあるかもしれない。
「魔女が一緒なら安心じゃし、そうしてみるじゃ?」
「そうですね。それじゃ、行きましょっか?」
行きましょうと言うが、
オスと魔女の様子が気になって大樹を二人して覗いた。
だけど、魔女が視線に気づいて此方に手を振ってきた。
バレてるのに覗くのも気まずくて、仕方なくその場を離れる事にした。
それでも、あまり離れる気は起きない。
大樹からほど近い森の中で適当にハーブを摘む。
あまり集中はできてないのは行商も同じようだった。
「私、少し考えてた事があって…」
「なんじゃ?」
「二人目に、魔女さんならどうかなって」
「なんの話じゃ?」
「ほら、ドーラさんの他にキスする相手ですよ。
最低でも二人、できれば三人って言ってたじゃないですか」
「…嫌すぎて頭から抜けてたのじゃ…」
最低でも行商の他に一人、できれば二人。
それを考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
「ん?でも、魔女じゃ…?」
「ですです。キスだけお願いできたらな~って」
そうか、魔女がキスだけしてくれたらつがいは増えないんだ。
三人目はできればと言っていたから、要らないかもしれない。
そうすればこのまま、ずっと四人で暮らしていける。
「名案じゃな!」
「でしょ!ドーラさんが嫌がるかと思って言うか迷ったんですけど、
やっぱりいいですよね!?」
「さっそく帰ったら言ってみるのじゃ!」
やはり行商は頭が良い。
ハーブ摘みもそこそこにして大樹に帰る事にした。
オス達は休憩中なのか、お茶を飲んでいるところだ。
「おや?早かったね。
二人の分のお茶も淹れようか」
「いや、その前に魔女に話があるのじゃ」
「なんだい?」
「主とキスして欲しいのじゃ」
「…なんだって…?」
「じゃから、主とキスをして欲しいのじゃ」
「聞こえなかったわけじゃない。
どうしてそうなったか教えてくれないか」
行商と共に魔女が都合が良い理由を説明した。
魔女は途中から頭を抱えていたが、最後まで静かだった。
「どうしたのじゃ?良い考えじゃろ?」
「…二人共、座りなさい」
行商と顔を見合わせ、大人しく座った。
すると、魔女は最初に大きくため息を吐いた。
なんだか怒っているような雰囲気がする。
「…なぁ、私は主くんの母親だぞ?
主くんが可哀想だと思わないか?」
「…じゃって…」
「キスをするのは主くんなんだよ?
お前達二人がそんな態度だと断る事もできないし」
「…でも…」
「都合が良いっていうのは、お前達にとってだけだ。
主くんが本当に好きなら…、
相手は主くんに選ばせるべきじゃないのか?」
こんなに怒ってる魔女は初めて見た。
確かにオスがキスするのだから、オスの好みのメスを探すべきだ。
本当はそんな事、最初からわかってる。
「…じゃって、主が本気になったら嫌じゃもん…」
「…はぁ…。…まぁ、気持ちはわかるけどね。
でも少しくらい希望を聞いてあげてもいいんじゃないか?」
「…それくらいなら、よいけど…。
…主は、次にキスする相手は、どんなメスがよい…?」
「僕が決めるの?
ドーラとリーフで決めてくれても…」
「でも主くん?それだと私になってしまうよ?」
そこでオスは何かを考えるように上を向いた。
今、オスが頭の中で理想のメスを想像してるのだとしたら複雑な気分だ。
そしてゆっくりと視線を戻し、
はっきりした口調でメスの名前を言い放った。
「僕が選んでいいなら、フローラがいいな」
「知らないメスの名じゃ!どこのどいつじゃ!」
「いつの間に知り合ったんですか!ひどいです主さん!」
やがて口を開いたオスから出た言葉に、自分も行商もかなり驚かされた。
自分が立ち上がると同時に行商も立ち上がっている。
目が合い、お互いに頷くとオスを囲むように集まる。
「詳しく話すのじゃ!」
「えっと…」
「どんな種族ですか!森人じゃないですよね!」
「いや、フローラって言うのは…」
「やっぱり他のメスの名前なんて聞きたくないのじゃ!」
怒りに任せ、行商と共にオスの肩を掴んで揺らしていた。
自分も行商も興奮し、感情が我慢できない。
「こら、やめないか!」
いつの間にか近づいていた魔女が、オスを守るように抱き締める。
魔女が声を荒げるのは初めてで、驚いて一歩下がってしまう。
「あまり乱暴にするんじゃない。主くんが可哀想だろ?」
「…すまないのじゃ…」
「主くん、大丈夫かい?」
「うん、ちょっとくらくらするけど、大丈夫…」
「顔を見せておくれ」
隣を見れば行商もシュンとして、反省しているようだ。
そして視線をオスに戻すと、
魔女がオスに、キスをしているところだった。
…。




