懐かしい呼び名
最初は冷静になれたつもりだった。
時間が経つにつれ、怒りで身体中が熱を帯び始める。
それにいち早く気付いたのは、オスの方だった。
「ドーラの身体、いつもより温かいね」
「もしかして熱かったじゃ?…少し離れた方がよいじゃ?」
「このままがいい。すごく安心できる」
「…わしは、主が好きじゃよ…」
「僕もドーラが好きだよ」
抱き着いたまま、触れるだけのキスをした。
オスの気持ちを確認できたからか、少し冷静さを取り戻せた。
あのまま、知らない奴が姿を見せたら、
いつぞやの行商のように襲い掛かっていた。
それがオスの知り合いだったとしたら、きっとよくない結果になった。
深呼吸して、改めて玄関に視線を向ける。
しばらくして、ただ待っているだけでいいのかと思い始めた。
そんな時、外から行商が息を切らせて走って帰ってきた。
「ドーラさん!」
「誰か居たんじゃな?
…どんな奴じゃった…?」
オスなのかメスなのか、若いのか老いているのか。
色んなことを想像し、身構える。
せめて若いメスはやめてくれととっさに願う。
だが、想像したどれとも違う言葉を行商が言い放った。
「魔女さんって知ってますよね?」
「魔女じゃ?」
「亡くなったんですよね?」
「…そうじゃけど、今なんの関係が…」
「その、私は会った事ないから、わからないんですけど…。
…でも、嘘は言ってなかったと思うんです…」
行商には珍しく、的を得ない返答だ。
オスも理解できていないようで首を傾げている。
「魔女の話はどうでもいいんじゃ。
結局、誰か居たのじゃ?」
「…だからその、魔女と名乗る方が…」
「魔女が居たじゃ…?…いや、そんなはず…。
見た目は?見た目はどんな感じ…背はどれくらいじゃ?」
魔女は背が高くて、青白い肌の無表情なメスだった。
行商が口にした特徴と自分が覚えてるそれが完全に一致する。
だから、なおの事混乱した。
「その人、丘にポツンと立ってて、
私は森の中から隠れて見てたんですけど、気づかれたんです。
それで手招きするから話に行ってみれば、魔女だって…」
魔女は死んだ。
なら、丘に居る人物は誰なのか。
もし仮に自分が知っている魔女であるなら、オスと関係はないのか。
色んな事が頭を巡り、動けずにいると玄関の扉が叩かれた。
全員が息を吞んだ。
ずっと行商は慎重なメスだと思っていた。
今、静かにオスを守るように前に立ってくれている。
それがどうしようもなく嬉しい。
そして、再度扉が叩かれた後、ゆっくりと開かれる
「居るなら返事してくれてもいいじゃないか」
「魔女じゃ!」
「おや?森人の子に私の事を聞かなかったのか?」
「信じられなかったのじゃ!
…だって、死んだと思ってたのじゃ…!」
「ハハッ。私ももう一度会えるとは思わなかったよ」
姿を見せた人物は見紛う事なく魔女だった。
急いで駆け寄り、思い切り飛びついた。
魔女は笑いながらも無表情だ。
昔と変わらない、いつもの魔女。
魔女は自分を離した後、頭を撫でてくれた。
懐かしい感触に涙が出そうだ。
「感動の再会だけど、話はもう少し待ってくれ。
此処に来たのはもう一つ理由がある」
「…わしに会いに来ただけじゃないのじゃ?」
「ああ、ちょっとね」
魔女は家に上がり、部屋の中心に向かって行く。
最初は森人に用事があるのかと思ったけど、目的はオスのようだ。
「やぁ。言葉はわかるかな?」
「うん、わかるよ。
魔女さんだよね?初めまして、僕は…」
「会いたかった」
オスが自己紹介を始めようとすると、それを遮って魔女が抱き着いた。
想定外の行動に驚き、慌てて駆け寄る。
自分より大柄な魔女に抱き着かれたオスの表情は隠れて見えない。
もしかして怖がっているかもと不安になる。
「な、何するのじゃ!
主はわしのじゃ!じゃから魔女はダメ、ダメなのじゃ!」
「人を物みたいに言っちゃダメだよ」
「主がそれでいいって言ったのじゃ!」
「主?それがこの子の名前かい?」
「まず離れるのじゃ!」
「はいはい、わかったよ」
名残惜しそうに魔女がオスから離れた。
その隙を見逃さず、今度は自分が守るようにオスに強く抱き着く。
幸い、オスは平気そうにしている。
「二人はそういう関係なのかい?
それは悪かった。ごめんね、ドラ」
懐かしい呼び名だった。
魔女は自分の頭をまた優しく撫でた。
そして次は行商の方に話を聞きに行った。
しばらく会話が続いた後、皆で席に座るように促された。
「さて、ドーラと呼んだ方がいいかな?」
「そっちの方が嬉しいのじゃ」
「ドーラ。まず、主くんを助けてくれてありがとう」
魔女が頭を深く下げた。
こんなことは一度としてなかったから、かなり驚いた。
「…確かに主を助けたのはわしじゃ。
でも、それが魔女と何の関係があるのじゃ?」
「主くんを産んだのは私だ」
「…なんじゃって…?」
「そして、丘に放置したのも私だよ。
それを助けてくれたドーラに感謝を伝えたくてね」
「…魔女が、主をじゃ…?」
どういう事なのか理解できない。
魔女は一緒に暮らしてた時、そんな素振りを見せなかった。
実はだいぶ前に生き返り、何処か遠い場所でオスを産んで育てたのか?
何が何だか、よくわからなくなった。
「まぁとにかく、順を追って話すよ。
その前に水を貰えるかな?」
「あ、それならお茶入れましょうか?」
「お茶?」
「ハーブを使ったお茶なんですけど…」
魔女と行商はそんな話をしながら調理場に向かった。
何を呑気な事を言っているのだと思ったけど、
少しだけ時間が欲しかったから、正直助かった。
…。




