都合のいい些細な期待
お風呂に入った僕は
ずっとドーラの泣いた理由を考えていた
彼女との会話を何度も思い返してみたけど
結局、よくわからないままだ
扉を叩く音に気が付いた
返事をするとほんの少しだけ扉は開き、
ドーラが声を掛けてきた
「…着替え、もってきたのじゃ…」
「…あっ、そういえば忘れてた…」
洗濯をしたばかりなのだから
自分でも気が付きそうなものだと反省した
持ってきてくれたお礼を伝えたのだけど
扉が少し空いたままで、返事もなかった
しばらく待っても反応がない
何かあったのかと
様子を見に立ち上がろうとした時、
ドーラが驚くことを言ってきた
「…お風呂、一緒にはいっても…よい…?」
良いか悪いか判断に迷い
すぐに返事ができなかった
今は裸だし、隠せるタオルみたいなものも何もない
「…ダメなら、全然よいのじゃ…」
でもドーラの残念そうな声が聞こえた途端、
反射的にいいよと答えていた
返事をするとゆっくりと扉が開いた
ドーラは元から服を着ておらず、
見た目に変化はなかった
ただ、裸で過ごす場所にドーラが居る
そう思うと、少しだけ変な気分になった
「…許してくれて、ありがとうじゃ…」
裸を見られる多少の恥ずかしさは感じる
それでも照れたような
ドーラの明るい声が聞けるなら
僕の恥ずかしさなんて些細な問題だと
そう思う事にした
…。
色んな事を聞くつもりで来た
大樹にいつまで居てくれるのか
この森で暮らしていけそうか
そんな、確かめるのが正直怖いような、
すごく大事な事を聞くつもりで此処に来た
そう、意気込んできたはずなのに
浴室に入って扉を閉めた途端、若干の後悔をした
扉が閉まるとオスの匂いを色濃く感じた
やっぱり裸だし、汗もかいているだろうから
一緒に寝た時の非じゃないほどに強い
すると、魔女のある言葉が頭に浮かぶ
「みだりにオスの近くで水浴びをしてはいけないよ
本能を刺激して、襲われてしまうからね」
もしかして、早まったのかもしれない
仮に襲われたとしても自分が勝つだろう
でも、このオスに身体を求められた場合
ちゃんと拒めるのかは、別の問題な気がした
頭の中が真っ白だ
それでもなんとか身体を流すことができた
オスの様子を伺いながら
ぎこちない動きでオスも浸かっている浴槽に移動した
緊張でどうにかなりそうだ
自分の心臓がこれほど早く脈打てるなんて
初めて知った
「ドーラ」
「…ひゃいっ!」
急に呼ばれて変な声が出てしまった
それを聞いたオスは優しく笑い
それに釣られて自分も笑い、
ゆっくりと緊張が解けていった
まだ胸は高鳴っている
でもオスの笑顔を見ると気持ちは落ち着いた
色々と聞くなら今がいいのかもしれない
でも、その前に名前を呼んだ理由が知りたい
「…それで、なんで名前を呼んだのじゃ?」
「落ち込んでるように見えたから、その…
…大丈夫かなって思ったんだ…」
「…もう、大丈夫じゃ…
…心配してくれて、ありがとうじゃ…」
オスが自分を心配してくれた
そう思うだけで心が満足してしまった
満足してしまったがゆえに
もうこの場で怖い質問をする気が起きなくなる
今はただ、平穏にオスとのお風呂を楽しみたいと
それだけしか考えられなくなった
うろ覚えだったけど
魔女に聞いた、魔女の思い出話をしてあげた
魔女の小さい頃は
お湯を使って身体を拭くのも贅沢だったとか
本来は鍋のように火を使って湯を沸かすのが普通だとか
そんなお風呂にまつわる話を中心にしてあげた
「そっか、これ珍しいんだね」
「魔女曰く…
今こうやってお湯に浸かる種族は居ないそうじゃ」
「こんなに気持ちいいのに?」
「…お風呂、気に入ったのじゃ?」
「すごく気に入ったよ
もうお風呂無しじゃ生きていけないかも」
お風呂があってよかった
魔女の言う事が本当なら
お風呂は大樹にしか存在しないなら
もし、もしオスが古巣に帰ったとしても
たまになら、お風呂に入りに来てくれる
そんな都合のいい期待ができるのが
ただ嬉しかった
…。