好ましい匂い
♢
森で彷徨う夢を見た。
真っ暗な森を、目的もわからずに歩き続けている。
長い時間をひらすら歩いたその先で、やっと見覚えのある丘を辿り着く。
もう体力も限界で、その場に倒れこむ。
地面の冷たさや身体が冷えていく感覚が、なんとなく懐かしく感じる。
「…ドーラに…会いたいな…」
自然とそんな言葉が口から零れた。
それと同時に、胸に熱を感じる。
あの日、ドーラがくれた温もりだ。
そのおかげで夢の中で、安心して目を閉じる事ができた。
気が付けば、あの日のようにベッドで目を覚ました。
ただ窓を見れば真っ暗で、今度は夜。
寝てから、あまり時間が経っていないのかもしれない。
大きく息をしようとしたけど、不自然に身体が重い。
でもその代わり、温かい。
不思議に思って布団をそっと捲ると、
深紅の瞳が、暗闇から僕を捉えた。
「…ぬ、主の身体があまりに冷たかったから…、
…わしがお風呂上りで温かいうちに、温めてあげようと思ったのじゃ…」
「そっか。ありがとう」
「…主はひどくうなされてたのじゃ。
…怖い夢でも、見てたのじゃ…?」
「…夢…?。…うん、怖い夢を見ていた気がする…」
夢の内容は覚えてなかった。
ただドーラの温かさが僕を助けてくれたと、そんな気がした。
しばらく無言の時間が流れた。
無言でも気まずさは少しも無くて、ドーラの体温が僕を安心させてくれた。
ふと左手のすぐ近くに尻尾がある事に気が付いた。
最初は我慢していたけど、ついつい手を伸ばして触れてしまう。
「…くふふ…くすぐったいのじゃ…」
ドーラは怒らなかった。
でも触られたくなかったのか、すぐ逃げる。
今度は僕をおちょくるように尻尾から手に触れてきた。
なら今度は軽く掴もうとしたけど、するすると逃げられる。
それを何度も何度も繰り返した。
そしてドーラが見せた小さな隙に、やっと捕まえることに成功した。
ドーラは少し残念そうに捕まってしまったと呟いた。
それ以降、ドーラは抵抗を止めて尻尾を触らせてくれた。
思ったよりも柔らかくて、温かくて弾力がある。
僕はこれが触るのが好きだと思った。
それから、ドーラが布団に入っていた時の状態を詳しく教えてくれた。
ドーラが寝室に来たとき、僕はひどくうなされていたそうだ。
身体を揺すっても起きず、触れた部分は恐ろしく冷たかった。
このままでは死んでしまうと思ったドーラは、
自分の体温で、僕を温めてくれていた。
「だから、身体で温めてあげたのじゃ。
…こうしてるのは、仕方なくなのじゃ」
「…多分だけど、この温かさのおかげで助かった気がするんだ。
だから、また助けてもらったんだね。ありがとう」
「…もし本当にそうなら、布団に入って良かったのじゃ…」
ドーラは身体を起こし、僕の頭を撫でてくれた。
怖い夢を見た後、魔女がよくこうしてくれたらしい。
確かに心地が良く、再び眠気を感じてきた。
それがドーラにも伝わったようで、ベッドから降りる気配がした。
「…もう落ち着いたようじゃな?
…ならわしは向こうのベッドで…」
そう口にするドーラの手を慌てて掴んだ。
ドーラは僕の手を振り払わず、僕をじっと見る。
「…一緒に…居てくれないかな…」
離れたくない。
この温かさを失いたくない。
だから正直に、一緒に居たいと伝える。
最初、ドーラは迷っている様子だった。
けれど、すぐ腕の力を抜いて、再び僕の方に倒れこんできてくれた。
「…くふふ…主は甘えん坊じゃ…。
…なら今日だけ特別じゃ…」
一人で眠れないなんて、まるで子供のようだと笑われた。
少し恥ずかしかったけど、これを失わないで済むなら、
いくら笑われても構わないと思った。
♢
またあっという間にオスは眠ってしまった。
予想通り、身体は弱っているのかもしれない。
でも、今度は寝息も穏やかで、そこまでの心配は必要なさそうだった。
しかし、手を掴まれた時は驚いた。
一緒に居て欲しいなんて、
そんな言葉に頷くのもどうかしてる。
何か間違いが起こったら、自分はどうしていたのだろう。
魔女はよく、簡単にオスと眠ると後悔するって言っていた。
だから本当は拒むべきだった。
せめて今からでも抜け出した方がいい。
そう思う反面、今更離れるのも可哀想だとも思う。
とりあえず、このままで良い。
その後、しばらくはオスの様子を気にして起きていた。
うなされる事も無く、ずっと安定してる。
それに襲われる心配も、きっと要らないだろう。
なら、そろそろ自分も眠ろう。
そうだ、せっかく一緒に寝るんだから、逆に少し甘えても良いだろう。
誰かと一緒に寝る機会なんて、二度とないかもしれないんだから。
抱き着くようにオスの肩に額を当て、深く息を吸い込む。
お風呂でも嗅いだ匂いで、胸がいっぱいになる。
このオスの匂いは本当に好ましい。
寝ているからきっとバレないはずだし、
助けたのだから、これくらいは許されるはずだ。
そんな言い訳を心の中で何度も呟いて、
結局オスと一緒に、匂いに包まれながら眠りにつく。
…。




