鼓動
♢
本当にあっという間というか、驚くほどの早さでオスが眠った。
きっと、相当に疲れていたんだろう。
その無防備な姿が愛しくて、オスの頭を何度か撫でた。
さて、自分もそろそろお風呂に入ろう。
そう思って部屋を出る時、ふと後ろが気になって振り返る。
残念ながら、暗い部屋だからオスの姿はよく見えなかった。
久しぶりに誰かと一緒に居たから、こんなに寂しい気分になるんだろうか。
離れがたいと思う気持ちを頭を振って誤魔化して、一人で階段を降りた
浴室に着くと、普段と雰囲気が違った。
部屋を見渡しても、その違和感の正体はわからない。
不思議に思いつつ浴槽に浸かると、それが匂いのせいだと気が付いた。
お湯から、僅かだけどオスの匂いがする。
その匂いが、寂しい自分を慰めてくれるような気がした。
オスに出会えてよかった。
本当に楽しい一日だった。
特に料理を全部食べてくれたのは、特別嬉しかった。
料理を誰かに食べて貰ったのは初めてだ。
魔女は料理を教えてくれたけど、一度として食べてくれなかった。
魔女はたまに木の実を一粒と少量の水を飲むだけの、
本当に変わった生き物だった。
あのオスは何処から来たんだろう。
丘に痕跡が無かったから、他の場所で見つかるとも思えない。
記憶も戻らなかったし、これ以上は何ができるんだろう。
でも記憶が戻ったら、オスは帰ってしまうんだろうか。
記憶が戻るのはオスにとっては良い事なんだろう。
けど、それを考えると胸が苦しくなる。
無意識に口に触れていた。
枝を交換した時、まぁいいかと一度噛んだオスの枝を使った。
そのせいで、オスの味を知ってしまった。
あの時、それに気づいた時は胸の鼓動が大きくなって、
オスに聞こえたらどうしようと、そう思ったほどうるさかった。
今もそれを思い出すだけで、鼓動が早くなる。
落ち着かせるために胸に触れた。
その瞬間、不吉な事が頭を過る。
「…心臓…」
そういえば、階段を降りた後にオスも自分の胸に触っていた。
かなり苦しそうな表情で、悶え、強く抑えていた。
オスは、かなり弱っているのではないか?
その考えが頭から離れない。
さっきだって、あれだけ昼寝をしたのに、すぐ眠ってしまった。
弱っているからすぐ眠るし、枝を噛み潰す力もなかった。
そう考えれば辻褄が合う。
心当たりがあり過ぎて、一瞬で血の気が引いた。
すぐに浴槽から立ち上がる。
身体を拭くのもそこそこに、急いで部屋を出て、二階に向かう。
一気に階段を上がったけど、部屋に入るのが怖くなった。
もし、もしも死んでいたら…と、最悪の場合が頭に浮かぶ。
けれど、まだ間に合うかもしれないとも思った。
意を決し、祈るような気持ちで寝室に足を踏み入れる。
…。




