第9話「領収書を食べないで」
領収書に、胡椒の匂いがした。
俺は紙を広げ、金額より先に、油の跡を見た。
「これで、肉を包みましたか」
「包んだ。店の奴も、それでいいと言ってたぞ」
ガルドは、まだ何が問題か分からない顔だった。
紙の表には、日付と品目。裏には、塩と胡椒の粒が貼りついている。
肉の値段は、かろうじて読めた。
「紙まで食べてはいませんよね」
「そこまで腹は減ってなかった」
「それなら、助かりました」
俺は紙を、乾いた板の上へ置いた。
支出一覧では、この食費はすでに確認済みだった。消えた金を探す話ではない。今後も同じ保存方法を続けたら、確認前の紙が読めなくなるかもしれないという話だ。
今から、全部を書き直す必要はない。
必要なのは、次の肉と次の紙を別にすることだった。
荷車を返した日の午後、出発用の食材を買う。
予算は900ルーン。数日分の乾燥豆、塩、硬いパン、保存肉。残りは道中の町で補充する予定だ。
最初から何週間分も背負うと、荷物が重くなるし、傷む物もある。
食べる量は、俺一人で決めなかった。
「ガルドの分は、俺より多くしてあります」
「俺だけ増やすのか?」
「鎧を着て歩く人と、紙を持つ人は、同じではないと思いまして」
「紙を持つ方も歩くぞ。途中で食う物を減らしすぎるな」
彼は俺の分の欄を指した。
俺は、数字を少し増やした。自分だけ安く済ませれば責任を果たしたような気になる癖が、ここでも出そうだった。
エレナが干した果物の名前を加える。
「長く歩いた日に、少し食べられる物も欲しいです。体調が悪い時、硬いパンだけでは辛いので」
リシアは塩の横へ印をつけた。
「料理用と、保管用を一緒にしない方がいいわ。使ってから足りないと気づくと困るもの」
イグナスは紙を見て、最後に尋ねた。
「温かい物を食べる日は、あるか」
俺は顔を上げた。
900に収めることと、傷まないことばかりを考えていた。ずっと同じ硬い食事を続けるつもりはなかったが、その日も表にはなかった。
「野営で、豆を煮る予定です。時間を入れておきます」
「助かる。食べながら話せる方が、道の相談もしやすい」
食事は、栄養と代金だけではないらしい。
5人の追加を受け、俺は品目を整理した。
900で足りるか、まず店へ聞く。足りなければ、いらない物ではなく、後で買える物を外す。
市場の食料店は、忙しかった。
干した豆の袋が、台の上へ積んである。保存肉は、日陰の棚。パンは入口に近い。
俺が一覧を渡すと、店主は品目を一つずつ確認し、果物の欄で首を傾げた。
「それは、今日は少し高い。代わりに、こっちの薄切りなら入れられる」
小皿へ出された果物を、エレナが確かめる。
俺は1枚もらい、口に入れた。思ったより甘い。薄いので、噛むのにも力がいらなかった。
「こちらで、お願いします」
エレナの判断に、俺も頷いた。
食べる人の具合を知る人が、種類を選ぶ。俺は、その結果が900へ収まるかを確かめる。
店主は計算の板を動かし、合計を示した。
900ちょうどだった。
代金を渡す時、俺は紙のことを頼んだ。
「品目と金額を、肉を包む紙とは別にいただけますか」
「包みの上に書いた方が、何を買ったか分かるだろう」
「包みには品目を書いてください。支払った金額の紙は、別に保管したいんです」
店主は、少し面倒そうに紙を2枚重ねた。
1枚へ品目と代金を書き、もう1枚へ写す。印も2つ。
その手を見て、俺は思った。
毎回店主に同じ字を書いてもらうのか。こちらの都合だけで、手間を増やすことになる。
「1枚は、こちらが用意してもいいですか。店の方に、金額と受領の印だけ確認してもらう形で」
「組合の紙がある。あれを使うなら、皆が分かる」
店主は横の箱を指した。
共通の欄がある紙だった。店名、日付、品目、数量、合計。右上に、小さな番号。
俺は1枚受け取り、書き方を聞いた。
店が控えを残し、購入者が1枚持つ。必要な時は、番号で同じ取引を照会できるという。
帰りに、商人組合へ寄った。
午前に会ったオルネスが、入口に近い机で荷物の出発日を確認していた。食料の紙を見せると、彼は番号の部分を指す。
「それなら、写しを探せます。紙がなくても、誰の買物だったか分かるようにしておくのが先ですが」
「討伐隊の買物に、統一して使えますか」
「組合の店なら。神殿や役所とは別です。同じ紙でなければ証明にならない、とまでは言わないでくださいね」
俺は頷いた。
共通の形式が便利だからといって、それを使わない相手の仕事を否定する理由にはならない。
神殿では神殿の記録があった。職人には整備の記録がある。
俺がそろえるべきなのは紙の見た目ではなく、必要な事実だった。
「今ある紙を、全部書き直す必要はありませんか」
「読めて、誰が払ったか確かめられるなら、そのままの方がいいと思います。書き直すと、後から作った物になりますから」
胡椒の匂いがする領収書は、紙としては不格好だ。
それでも、取引の時に作った物なら、そのまま残す意味がある。
俺は古い紙を、今日のきれいな紙へ移すのをやめた。
組合から戻ると、ガルドが荷物を分け始めた。
俺は食料の紙を棚ではなく、机の箱へ入れる。
食品の包みには品目だけ。支払の記録は別。
その線引きを、全員へ伝えた。
「これから、代金の紙はこっちへお願いします。すぐ渡せなければ、この箱へ。肉の包みは、食料棚へ」
「食べ終わった包みは?」
ガルドの質問には、用意していた答えがある。
「文字があれば、捨てる前に俺へ見せてください」
「お前が肉を包み直すのか」
「紙を確認するんです」
リシアが、自分の小冊子の隣へ共通伝票を置いた。
薬の残量の記録と、購入の記録は並べるが、混ぜない。
エレナは食品へ、開封する順の札をつける。
イグナスは空箱を片付け、通路を空けた。
俺の机へ物が集まっても、仕事が俺だけに集まるわけではなかった。
900を払った後の残高は、11550。
壁の紙を直してから、俺は出発用の品目をもう一度見た。
豆、塩、パン、保存肉、干した果物。
何があるか分かる。どれを先に使うか分かる。代金をどこで確認できるかも分かる。
初日に同じ紙束を渡された時より、机の上に頼れる物が増えた。
そこで、ガルドが小さな皿を持ってきた。
「味を見ておけ。歩いたあとで、初めて食うよりいい」
保存肉の切れ端だった。
俺は1つ取り、噛んだ。
硬い。塩が強い。胡椒が鼻に抜ける。
あの紙の匂いの理由が、よく分かった。
「これだけで食べるには、濃いですね」
「豆へ入れる。水を使う分も、考えておけよ」
俺は予定表へ、煮炊きの水、と加えた。
物資の見積は、買うところで終わらない。
使う人と、使い方があって、初めて量を決められる。
ガルドは皿を空にし、包み紙を俺の方へ差し出した。
品目だけ書いてある、今日の紙だった。
「これは、どうする」
「もう捨てて大丈夫です」
「よし。仕事が一つ終わったな」
彼は紙を丸めたが、捨てる前にもう一度開く。
少し迷い、俺を見た。
「この匂い、鼠が寄るか?」
領収書を守る箱と、食べ物の匂いがする紙を捨てる場所。
必要なのは、2つだった。
俺は帳面を開かず、空いた木箱を指した。
「蓋のある方へお願いします」
帳簿の外でも、紙の行き先を決める仕事は続くらしい。
最後に、今日の伝票の番号を控えた。読める紙が2枚あっても、同じ取引なら支出は1件。写しの枚数を、買物の回数にはしない。
「そっちの箱に入れると、払ったことになるのか?」
イグナスが机を指した。
「箱へ入れるだけでは、なりません。払った日と相手を確認して、記録します」
「なら、俺も渡す時にそれを言う。紙だけでは、分からない時があるんだな」
ありがたい提案だった。
俺は箱の前に、日付と相手も教えてください、と小さく書く。書き終える前に、ガルドが食料店の伝票を机へ置いた。
「今日。市場の食料店。これでいいか」
俺は頷き、買物の記録と照らしてから箱へ戻した。




