第8話「保証金は稼ぎじゃない」
4000ルーンを取り戻すために、俺は荷車を洗っていた。
剣の保証書を見つけるより、明らかに身体を使う仕事だ。
「そこは、もう落ちてるぞ」
ガルドに言われ、俺はブラシを止めた。
板の色が濃い部分を、泥だと思っていた。木目だったらしい。
「最初から、その色なんですか」
「たぶんな。力を入れすぎると、木の方が減る」
保証金を返してもらう前に、荷車を削るところだった。
俺は場所を変え、車輪の横へしゃがんだ。
討伐隊が借りていた荷車は、街道の迎撃で物資を運ぶためのものだった。次の遠征では組合の定期便を使う予定なので、いったん返す。
使っていない日にも、預り保証金4000は組合へ置いたままだった。
今日、返却の確認ができれば戻る。
昨日の残高8700に足せば、12700。
頭の中では、すでに戻っている数字がよくない。
「ブラシの順番、替わる?」
リシアが、乾いた布を持ってきた。
俺が首を振ると、彼女は荷台の隅を拭き始める。
イグナスは車輪の回り方を確かめ、エレナは残っていた薬の空箱を分けていた。
5人が動くと、返すための準備にも手順があると分かる。俺一人で全部洗っていたら、返却の窓口が閉まったかもしれない。
商人組合の車庫は、王都の東門に近かった。
荷車が何台も並び、積み終わった車と戻った車を、別の場所へ分けてある。
帳面を持って出てきた人は、俺より少し年上に見えた。
「オルネス・ベッカです。運送の担当をしています。返却するのは、討伐隊の3番車ですね」
「はい。佐倉です。今後、費用の確認を担当します」
「それは助かります。僕も、運ぶ物と支払う人が分かる方が、手配しやすいので」
オルネスは、荷車の側面の番号を見た。
借用書と同じ、3番。
俺は保証金の預り票を出す。4000と書かれた紙の裏に、返却条件が並んでいた。
破損がないこと。付属品が揃っていること。通常の清掃が済んでいること。
無料修理で失敗したばかりなので、今日は最後まで読み直した。
付属品は、紐4本と車輪止め2つ。
エレナが分けてくれた木箱から出して、数を合わせる。
イグナスは紐を巻き、切れていないことを見せた。
オルネスは荷車の下を覗き、車輪を回してから、荷台の内側に手を当てた。
「ここに、深い傷がありますね」
俺の頭の中の12700が、急に遠ざかった。
荷台の端に、長い溝があった。金属の箱を引きずったような跡だ。
洗っている時も見たが、俺は木目だと思って避けた。木目と傷を、今日はよく取り違える。
「この傷は、前からあった」
ガルドが言った。
オルネスは、すぐに否定しなかった。
「出した時の記録を見ます。前の傷なら、今回の負担にはしません」
「記録が、あるんですね」
俺が尋ねると、彼は帳面を開いた。
車番号。出発日。確認した人。簡単な荷台の図。
図の端に、小さな横線がある。
長さの数字も、添えてあった。
「ここです。前回の返却でついた傷を記録しています。今の長さと比べます」
ガルドが腰の紐を借り、オルネスは目盛りのついた棒を持ってきた。
傷の長さは同じだった。
少なくとも、新しく延びてはいない。
俺は息を吐いた。
「では、今回の修理費はありません」
オルネスの言葉に、ガルドが頷く。
自分の覚えていたことが通ったのを喜ぶより、確認が済んだので次へ進むという顔だった。
俺の方が、ずっと大きく安心していた。
「ただ、車輪の内側に泥が残っています。組合で清掃する場合は、250になります」
次の金額が出た。
俺は、さっき安心したばかりの顔を引き締める。
「そこも、洗ったつもりでした」
「表からは見えにくい所です。ここに溜まると、軸の保守が必要になります。清掃のために、車輪を外します」
指された場所は、ブラシを入れられなかった隙間だった。
ガルドが屈み、泥の残り方を見る。
「道が悪かったところだな。これは、今回ついた」
旧い傷と、今日の泥。
同じ荷車にあっても、負担する理由が違う。
俺は、返金を減らしたくないだけで両方を拒むつもりはなかった。
「清掃をお願いします。250は、こちらの支出です」
「承りました。保証金を4000返し、清掃代は別の紙にしますね」
4000の返還票と、250の清掃票。
現金を差引だけ受け取ることもできたが、記録は分けてもらった。何が戻り、何に払ったかを、別々に残したい。
受け取った4000のうち、250を渡す。
実際に財布へ増えたのは、3750。
残高は、12450になった。
「3750、稼いだな」
イグナスが、銀貨を入れる俺の手を見て言った。
俺は首を振る。
「これは、稼いだのとは違います。最初に預けた4000が戻り、清掃で250使ったんです」
「財布は、増えたぞ」
「はい。使える金は増えました。ただ、仕事をして新しく受け取った代金とは、分けておきます」
言いながら、俺は説明の長さに気づいた。
ここで戻った金をどう記録するかまで、全員に授業をする必要はない。
イグナスが、返還票を手に取る。
「じゃあ、魔獣を倒した報酬としては、書かない」
「そうです。それなら、短くて分かりやすいですね」
彼は頷き、紙を俺へ返した。
俺の説明より、まとめるのが上手いかもしれない。
オルネスは、次の輸送の相談も受けてくれた。
麦橋町を経由して峠へ向かう荷車の出発日。積める重量。魔石や薬を預かる時の条件。
イグナスの剣について話すと、彼はすぐに別欄へ印をつけた。
「危険な物ですから、積み方を決めます。ただ、高価だから重くなるわけではありません」
「鎧は、重いから高くなりますか」
「輸送費は重量と距離で変わります。身につけて歩くなら、荷としては数えません」
ガルドの方へ、俺の目が向いた。
彼は笑った。
「歩ける道なら、自分で着て歩くぞ。ただし、着たまま長く走れとは言うな」
「言いません。先日、持ってみましたから」
荷物の金額と、運ぶ重さと、使う人の負担。
同じ物にも、3つの数字がある。
俺はそれを一つの安いという言葉へまとめないよう、欄を分けた。
帰り際、オルネスが白い紙を渡した。
出庫時の確認項目だった。次に物を預ける時にも、こちらと一緒に状態を記録するといいという。
「前からあった傷を、お互いに確認できます。僕だけが覚えているより、紙を持っている方が安心でしょう」
「助かります。こちらにも、出発前の欄を作ります」
「紙を増やすためではなく、戻ってきた時に揉めないためですから」
俺は、その言葉を帳面の余白へ書いた。
紙を増やすためではない。
保証書が見つかった時も、薬の交換が済んだ時も、必要だったのは紙そのものではなく、同じ事実を確かめられることだった。
部屋へ戻ると、ガルドが水桶を運んだ。
俺は手を洗い、爪の間に入った泥を落とす。エレナは紐を干し、リシアが空になった箱の中を確認する。
荷車がなくなった分、部屋の前が広くなった。
今日の返却は、金だけを戻す仕事ではなかったらしい。
壁の残高を、12450へ直した。
未精算の欄から、保証金4000を外す。
支払済みの事実は消さず、返還の日と金額を続けて書く。財布の中身を足し、紙の流れを確かめると、2つが同じ場所へ着いた。
夕食の前、イグナスが自分の手を見た。
「今日は、皆で荷車を返したんだな」
「そうですね。俺一人では、傷と泥の区別もつきませんでした」
「なら、これからも分かる人に聞こう」
単純な提案だった。
俺は、単純な仕事ほど最初に忘れるのかもしれないと思った。
帳面の端へ、新しく出発前点検の欄を作った。
そこで、ガルドが俺の袖を指した。
「ナオト。戻る前に、そこも点検しろ」
袖の内側に、まだ泥が残っていた。
俺の清掃には、250を払ってもらえる相手がいない。
もう一度、水桶の方へ戻った。




