第6話「盾は重さで選ばない」
鎧職人の店には、『脱いでから座れ』と書いてあった。
ガルドは文字を見るなり、素直に立ち止まった。
「前に、椅子をやったんだ」
「壊したんですね」
「直せると言われた。椅子の方が、鎧より安かった」
比較して安心する話ではない。
俺は店の入口で、ガルドが革の留め具を外すのを手伝った。背中の板を持った瞬間、腕が下へ引っ張られる。
落としそうになった板を、彼が片手で受け止めた。
「無理に持つな。下から、両手で」
「これを着て、走るんですか」
「走る。だが、着方が合ってなければ、遠くへは行けない」
盾だけでなく、鎧も重い。
これなら荷車へ載せる時に、料金が増えるだろう。
俺の頭に、軽い物を選ぶという言葉が浮かんだ。まだ口にはしなかった。昨日も一昨日も、早く考えた答えがあまり役に立たなかったからだ。
奥から出てきた職人は、ガルドより年上だった。
短い白髪と、革の前掛け。手には、先の細い工具を持っている。
「ハルゼ・ノーティだ。金の話をする若いのが来ると聞いたが、思ったより細いな」
「佐倉です。戦う方ではなく、経理を担当します」
「細いのは、そのせいか。では、背中の板は台へ置け。足へ落とすなよ。治療は、わしの仕事ではない」
言われた台は、椅子より頑丈だった。
俺は板を置いて、ようやく息を吐いた。ガルドは袖だけになり、首を軽く回している。
鎧を脱いでも、大きな人だった。
「先日の12000の整備について、内容を確認したいんです」
俺が紙を出すと、ハルゼは首を振った。
「紙を見せる前に、物を見ろ。そこに金を使った」
職人が鎧を裏返す。
内側には、表から見えなかった継ぎ目があった。新しい革の帯と、丸い留め金。肩の辺りだけ、金属の色が違う。
「肩板の交換、腰の継ぎ直し、背板の歪みを戻す。内張りも替えた。金属だけ丈夫でも、着る人間の皮が先に剥ける」
「内張りも、戦うための部分なんですね」
「痛いから動けんとなれば、同じことだ。お前の靴の中へ、小石が入ったことはあるか」
「あります」
「その小石を、背中に入れて走ると思え」
理解しやすかった。
背中へ手を当てる俺を見て、ガルドが笑う。
彼の笑いには、自分が経験したことを相手が想像し始めた時の、少し困ったような温かさがあった。
整備記録の12000は、項目に分かれていた。
交換した部分と、残した部分。その両方に理由が書いてある。
ハルゼは俺の持つ紙へ店の印を押し、最後にガルドの盾を引き寄せた。
「こっちは、今日見つかった。留め具が、1本浮いている」
盾の裏にある革帯を引くと、小さな金具が動いた。
他の金具は動かない。
ガルドの顔から笑いが消えた。
「昨日、強く受けたところだな」
「まだ落ちていない。今替えれば、800。落ちてから替えると、話が変わる」
俺は壁の残高を思い出した。
10700から、800。残りは9900。
支出の必要性は理解した。だが、重い鎧と盾の運搬費は、まだ先にある。
「軽い盾を使う選択肢は、ありますか。輸送の時に、負担が減るかもしれません」
ガルドは、俺を責めるようには見なかった。
ハルゼも、工具を机へ置いただけだった。
相談として尋ねたからかもしれない。安い物へ替えろと決めてきたわけではない。
「あるぞ。軽い物も、仕事はある」
職人は壁から、小さな盾を外した。
ガルドの盾より、ずっと薄い。
俺に渡されると、片腕で持てた。これなら、荷車の上へ自分で載せられる。
「それは、剣を受け流すための盾だ。ガルドの役目とは違う」
「違う仕事」
「受け流せば、その向こうへ行く物がある。後ろに誰もおらん時ならいいが」
ガルドが自分の盾を立てた。
上端は、俺の胸より高い。地面に届く下端には、丸くなった傷があった。
「昨日、神殿に行った時の話を聞いた。足を傷めた人の台を運んだんだろ」
「はい」
「その人が後ろにいる時、俺は横へ受け流せない。動けない人の場所は、変わらんからな」
俺は薄い盾の縁を見た。
ガルドが動くかどうかではなく、後ろの人が動けるかどうかで、選ぶ物が変わる。
運搬の負担だけを考えた俺の提案には、その人が入っていなかった。
「実際に、後ろへ入ってみろ」
ガルドに呼ばれ、俺は先日の訓練場と同じように盾の裏へ立った。
ハルゼは店の中央の台を、少し離れた場所へ移す。試す場所に、品物がないことを確認した。
職人が、長い棒を持つ。
「叩くのは、軽く一度だけだ。外へ顔を出すなよ」
「分かりました」
ガルドは俺の足元を見て、右へ一歩寄せた。
自分の脚も、同じ方向へずらす。俺が立つ場所が、盾の幅に収まった。
「ここなら、二人とも入る。音に驚いて、飛び出すな」
棒が盾へ当たった。
軽く、と言われていたのに、胸まで響く音がした。ガルドの肩がわずかに動き、そこで止まる。
俺の足には、力が入らなかった。反射的に前へ伸ばした手を、彼の背中へつけてしまう。
「すみません」
「いい。後ろの奴を守るために持ってる。掴むなら、革帯の外側を掴め。肘の動くところは避けてくれ」
盾は壁のように立っているが、その裏では、人が細かく位置を変えていた。
重さと厚さだけを買っているわけではない。
それを使って止まる人と、その後ろへ入る人を含む道具だった。
ガルドが盾を台へ寝かせると、裏の傷が見えた。
横に、小さな刻みが並んでいる。最初は、所有者の印かと思った。
「これは、名前ですか」
「数だ。こいつの後ろで、動けるまで待った人数」
刻みは1本ずつで、綺麗な模様にはなっていない。
ハルゼが留め具を外しながら、横から言った。
「正確に全部ではないぞ。戻ってくるたび、数え忘れたと言う」
「戦ってる時に、数える暇はない」
「この若いのに、頼むか」
ガルドが、俺を見た。
経理の仕事が一つ増える空気を、俺は察した。
「後ろへ入った人の数ですか。戦場で、俺が数えるのは難しいです」
「だろうな。帰ってから思い出せばいい。数のために、前へ出るなよ」
その条件には、すぐ賛成した。
刻みが正確でないことを、俺は直したくならなかった。装備の点検と、人を守ってきた時間は、同じ記録にする必要がない。
800で留め具を交換してもらった。
ハルゼは外した金具を見せ、同じ形の新しい物と比べた。古い方には、俺の目にも分かる裂け目があった。
「残りも点検した。今日替えるのは、ここだけでいい」
「全部交換した方が、安全ではないんですか」
「傷んだところを確かめるために、点検しておる。何でも替えたら、残した物の状態が分からんようになる」
必要な物を高く買うことと、何でも高く買うことは違う。
俺は、その説明を帳面へ短く残した。
盾留め具1か所交換。その他点検済。
節約という字は、書かなかった。
ガルドが鎧を着直す間、俺は机の横の椅子へ座った。
今朝から歩き、重い板を持ち、盾の音に驚いた身体が、ようやく休む。
ふと、椅子の脚が1本だけ違う色なのに気づいた。
「この椅子ですか」
ハルゼは、俺の目の先を見た。
「そうだ。直した。まだ使える」
俺は慎重に腰の位置を変えた。
ガルドが、鎧の留め具を締めながら笑う。
「その座り方なら、壊れんよ」
「念のためです。修理費を増やしたくありませんから」
「それなら、帰りは俺の背板を持たなくていい。落としたら、足も板も直すことになる」
着る人が持った方が、運びやすい物もある。
俺は鞄を肩へ戻し、盾の留め具の領収書を自分で持った。それが、今日の分担だった。
店を出る前、ハルゼが俺を呼び止めた。
「勇者の剣の保証書が見つかったそうだな」
「はい。店の印も、番号も確認しました」
「なら、ここへ持ってこい。わしも、その剣の製造に関わった。刃先を見るくらいはできる」
「保証の範囲で、ですか」
「範囲は紙を見て決める。先に無料と書くなよ」
俺はまだ書いていなかったので、ぎりぎり助かった。
部屋へ戻り、残高を9900へ直す。
ガルドは鎧を脱いでから、椅子へ座った。今日は、椅子が鳴らない。
イグナスに職人からの伝言を届けると、彼は保証書の置き場所へ迷わず手を伸ばした。
必要な紙は、必要なところにあった。
盾は重いまま、留め具は新しくなった。
ガルドは新しい留め具を一度引き、盾を壁へ立てた。椅子が鳴らないうちに、俺も隣へ座った。




