第46話「勝った日の支払先」
朝、俺の前に宴の見積もりが来た。
昨日使った薬の明細より、字が大きかった。
樽2つ。肉、5人分。祝いの飾り。
「樽2つって、5人の祝いか?」
イグナスが覗き込む。
「周りの兵も喜びますので」
持ってきた商人が胸を張った。
俺は、その下に小さく書かれた会場の使用料を見る。
「まず負傷者の輸送と、今日の宿を決めます。宴の発注はしていません」
「勝った日ですよ」
「だから、勝った人を休ませたいんです」
ガルドが横から頷いた。
肉の絵を見ても、今日は先に手を伸ばさなかった。
魔王が倒れても、城の中の全部が安全になったわけではない。
残った兵の降伏と、武器の管理は軍が担う。
ドロメクがどこへ退いたかも、軍の報告を待つ。俺たちが5人で城中を探し回る仕事ではなかった。
俺たちの隊は、負傷者を運び、使った薬を確かめ、帰る準備をする。
今日の支払は2700ルーン。
城外から救護の拠点への輸送、休む場所の手配、治療に必要な補充品の費用だ。
勝った日の宴より先に、横になれる寝床と、次に怪我をした人が使う薬を用意する。
見積もりを確かめ、支払いを終えると、現金は42820から40120ルーンになった。
祝いを断って増えた金があるわけではない。
買わなかった物は、支出にも収入にもならない。
残った金は、帰りの旅と、まだ必要な仕事のために持つ。
リシアは少し眠ったあと、薬の使用記録を見せてくれた。
空瓶の袋を開け、俺の拾った分と、軍が回収した分を合わせる。
使ったもの、未使用のもの、容器が割れて確認しにくいもの。
全部の瓶が同じ形で戻るわけではない。
俺は不明な1本を、使っていないと勝手に直さなかった。
術式を閉じた時の記録と、彼女が開封した順番を確かめる。軍が部屋の奥で見つけた破片の印が、その1本と合った。
使用は確認できた。瓶の返却は、破損として扱う。
「瓶が足りないと、魔法まで足りなかったことになるの?」
リシアが尋ねる。
「ならない。容器の照合と、使った事実は別に確かめる」
「よかった。あんなに光ったのに、1本分は戦っていないと言われるかと」
俺は笑った。
彼女はまだ疲れている。でも、帳面の前で眠らせないほど長い確認は避けた。
一段終わるたび、紙を分ける。全部を一度に思い出してもらう必要はない。
エレナの記録は、治療した人ごとに詳しく残っていた。
俺が費用へ使うのは、その全てではない。
薬の種類と数量、使用時刻、担当した範囲。神殿や軍が保管する救護の記録は、別に引き継ぐ。
治療した相手には、降伏した敵兵もいた。
軍の救護所が受け入れ、エレナは必要な処置を補助していた。
「その分も、隊の薬から使ったのか」
俺が聞くと、彼女は首を振った。
「軍の共用薬です。私が手伝った範囲は、向こうの担当者が確認しています」
俺は自分の支出へ入れなかった。
助けた相手が増えたからといって、費用も全部こちらへ増やすわけではない。
誰が何を負担するか、昨日までに決めておいたことが、ここでも働く。
「相手が敵だったことで、薬の値段は変わりません」
エレナは静かに言った。
「必要な処置と、その後の扱いは分けてくださいました」
俺は軍の担当者への照会を終え、彼女を休ませた。
捕虜の処遇を、隊の経理が決める役目はない。
ガルドの盾は、修復した固定材が少し歪んでいた。
壊れきってはいない。
ただ、次の戦闘にも同じまま使えると考えるのは危険だ。
職人へ確認を頼み、帰路の警戒に使える範囲を聞く。
昨日急いで替えた部分の使用記録は、残っていた。
俺は新しい固定材を受け取った場所と、支払った額を合わせる。
ガルドは盾の裏へ、短い線を1つ増やした。
救助した運送員の分だという。
「5本は消さないのか」
「王都までだ」
「新しい1本は?」
「あいつが、台車を取りに戻って来ないことを確かめてから考える」
俺はその言い方に笑った。
守った人が自分で危険な場所へ戻るのは、守る仕事の続きを増やす。
運送員には、台車の回収を軍が行うことをもう一度知らせた。
彼は寝台から、待ちます、と答えた。
イグナスの剣は、職人が表面を確かめた。
魔王の核を斬った刃を、記念としてそのまま飾る案も出た。
勇者は首を振った。
「帰るまで持つ。途中で誰かを守るのに要る」
記念品へ変えれば、使う物が1つ減る。
俺は手入れの範囲を確かめ、今回の保守の続きとして確認できる分は別の新規購入にしなかった。
必要な追加があればその時に聞く。勝ったから作業が全て無料になるわけでもない。
剣を鞘へ戻したイグナスは、ようやく自分の食事を受け取った。
椅子へ座る前に、ガルドの方を見た。
ガルドは今朝も丈夫な台を使っている。
「俺も台にしようか」
「お前は椅子でいい。俺の真似で全部の椅子が余ったら、店主が困る」
勇者は大人しく椅子へ座った。
昼には、城内の民間の荷の回収が始まった。
救助した運送員の台車も戻ってきた。
側面の欠けと青い紐、札の番号。軍の回収担当が記録を照合し、本人へ見せる。
彼は毛布を掛けたまま、顔を明るくした。
「俺のです」
車が戻ったから、今すぐ運んでくださいという話にはしない。
組合へ引き継ぐ担当者が、車と本人を別々に扱う。本人は救護の拠点へ移り、車は荷の回収便へ載る。
俺は2つの行き先が書かれた紙を見た。
車が先に帰っても、置いていかれたわけではない。
本人が動けるようになる日と、物を運べる日は別だった。
オルネスへ送る報告へ、返却の見通しを追記した。
運送員は、組合で説明することが減りました、と礼を言った。
魔王を倒した礼より、俺には実感のある言い方だった。
午後、俺たちは城外の救護拠点へ移った。
輸送費に含まれる範囲を確認し、追加の荷役がないことを確かめる。
軍の金具を借りた分は、返せる物から番号を合わせて返した。
使って歪んだ1つは、修復が必要な状態として引き渡す。綺麗に拭けば傷がなくなるわけではない。
担当者は、使用した場所が分かるので職人へ伝えられると答えた。
俺は返却の控えを受け取った。
まだ隊が帰路で使う金具は、引き続き借用する欄へ残す。
全部が戻るまでは、全部返却済みの印を押さない。
勝利の日の勢いで、紙の上の仕事まで一気に終わらせないようにした。
午後の引き継ぎには、軍の会計担当も来た。
隊が先に払った迂回の費用と、軍が払った城外の護衛。範囲が重なっていないかを確かめる。
双方の領収書を並べると、同じ川沿いという地名が二度出た。
場所が同じでも、日付と役目は違う。
俺たちは民間の荷を迂回させる時の費用を負担し、軍はそこを継続して守っていた。
同じ人が一部の仕事を手伝っていても、全てが同じ請求とはならない。
俺は実施した時間帯を書き足した。
担当者は自分の表にも同じ区分を入れる。
「これで、王都の人が1枚だけ見ても困りにくくなります」
俺もそう思った。
自分たちが分かっていることを、次の人へ同じ速度で分かってもらえるとは限らない。
最終の報告に要るのは、勝ったという大きな見出しだけではなかった。
軍の担当者は、商人の宴の案が複数の部署にも来ていると教えてくれた。
誰かが発注したと思って話が進むと、最後には請求先だけが残る。
俺は隊から発注していないことを明確に伝えた。
祝うことを禁止する必要はない。ただ、誰が何を負担するかが決まらないまま、大きな樽を開けないでほしい。
担当者は、注文を出す部署が決まったら、それぞれで確認することにした。
ガルドは、肉の包みが届く前からその話を聞いていた。
「俺が欲しいと言うだけで、隊の注文にするなよ」
「分かってる」
「前に俺が椅子を見ただけで、弁償の話をしたからな」
「見たあと、壊したからだろ」
彼は頷き、今回は見るだけでなく座らない、と言った。
軍の担当者は笑いかけて、ガルドの鎧を見て真顔へ戻った。
小さい椅子を1つ、道から外しておいてくれた。
救護拠点の部屋は、5人が同じ広さを使う造りではなかった。
横になった方がよいリシアとエレナを先に入れる。
俺とイグナスは隣の部屋、ガルドは床の丈夫な所に寝床を置く。
5人部屋という札より、5人が休めるかを見た。
最初の宿で部屋の間取りを確かめた時を、俺は思い出した。
広いという説明をそのまま信じて、荷の置き場を探した。
今は人を置く場所が先だ。
ガルドが荷を壁際へ寄せ、出入りの道を空ける。
「通路、これでいいか」
「いい。夜に踏む物もない」
「お前の帳面は?」
「俺の袋」
「よし。紙が床にあると、食べ物より見つけにくい」
俺は袋の口を閉めた。
夕方、最初の商人がまた来た。
今度は樽二つではなく、小さな肉の包みを持っている。
「祝いをしないのも寂しいでしょう」
俺は代金を尋ねた。
食事の契約に加える話なら、内容と負担を決めなくてはならない。
商人は個人で買うなら、と値段を言った。
イグナスが自分の財布を出した。
「それなら、俺が少し買う。隊の宴ではなく、俺が食べたい」
俺は止めなかった。
公費の予算と、本人の小さな買い物は別だ。
ガルドが一切れを受け取り、今日は肉も静かだなと言う。
リシアが、肉が騒いだ日があるのかと聞いた。
「勇者が叫ぶ横で食った時は、味が分からんかった」
イグナスは今日は叫ばないと約束した。
俺はその約束を帳面に書かなかった。
飲み物は水だった。
ガルドが最初に器を持ち上げる。
「これでいい。喉が渇いてる」
エレナも頷いた。
大きな酒樽がなければ祝えないわけではない。
5つの器が机に載り、誰も立って飲み始めなかった。座って休めるなら、座って祝う。
イグナスが、5人で帰ろうと言った。
乾杯の言葉としては、まだ途中だった。
俺たちにはそれが合っていた。
器を合わせる音は、昨日の剣と盾よりずっと小さい。
俺は水を飲んだ。
まだ生きていて、喉の渇きが分かる。
夜、帳面を防水袋から出すと、薬の匂いがした。
紙に薬をこぼしたわけではない。空瓶の布袋と近くに置いたせいらしい。
数字は変わらない。
今日の2700を記入し、40120の現金を確かめる。
初めてこの世界で残高を数えた時には、剣と薬と鎧が俺の敵のように見えた。
今、薬の匂いのする紙を、俺は嫌だと思わなかった。
ただ、布袋は少し離して置く。匂いまで保存する必要はない。
隣のイグナスが、俺の閉じた帳面を見た。
「今日は終わりか?」
「今日は」
「なら、寝よう。勝った人が寝坊する日も、あっていいだろ」
俺は翌朝の出発時刻を確かめた。
寝坊しても間に合う余裕がある。
「その範囲ならな」
彼は笑い、灯りを落とした。




