第42話「通せない荷車」
最初に見えたのは、敵の旗ではなく麦袋だった。
次に、麦袋の後ろから黒い鎧が見えた。
「全部が敵の荷車じゃない」
イグナスが低く言った。
俺は城門へ続く坂を見た。
民間の御者が3人、荷台の横を歩いている。その後ろに、ドロメクの印が付いた箱を積んだ車が続いていた。
まとめて道を塞げば、まとめて止まる。
まとめて攻撃すれば、同じ場所で人が傷つく。
リシアは杖を上げなかった。
「分けるのが先ね」
昨夜確かめた迂回路を、俺は地図ではなく目で探した。
坂の途中から、軍の確保した川沿いの道へ抜けられる。
荷車が曲がる幅はある。曲がっていいと御者が分かるまでには、まだ誰かが動く必要があった。
後ろの軍の連絡役へ合図した。
事前に相談した迂回輸送の手配を使う。民間の御者を受け入れる場所と、そこまで付く護衛は用意されている。
契約の実施を依頼し、5500ルーンの範囲で護衛と積み替え、迂回の費用を負担することを確認した。
まだその場で硬貨を並べる時ではない。
手配を始める合図が出ると、イグナスが坂の横へ走った。
「民間の荷は、川沿いへ! 前へ行くな!」
御者の一人が彼を見た。
驚いて馬の手綱を引き、荷台の麦袋が揺れる。
敵兵が槍を持ち上げた。
ガルドが盾でその先を弾いた。
硬い音が坂へ響いた。
「先に曲がれ! 俺を見るな!」
イグナスの声で、御者が馬を動かす。
勇者を見るために荷車を止める余裕は、今日はない。
俺は2台目の前へ出ず、道の端から行き先を示した。
正面へ立てば馬を驚かせるし、敵兵にも近すぎる。
御者は荷札を掲げた。
「麦を届けるだけなんだ! 城へ持ってこいと言われた!」
「荷の処分はあとで軍が確認します。今は人と馬をこっちへ」
敵の注文を受けた商人なのか、無理に運ばされている人なのか、俺にはまだ分からない。
分からないまま敵として斬る必要はない。
エレナが1台目へ付いて、転びかけた御者の腕を支えた。
リシアは後ろの戦闘用の箱を見る。
ドロメクの印の下に、封じの術式がある。前に見た空箱の印だけでは、実際の中身を断定できない。
今は箱から漏れる反応も確かめていた。
「後ろの2台は触媒。こっちは通せない」
彼女が言う。
イグナスは普通の剣を抜いた。
荷車と人が密集する場所で、最初から大きな剣を振らない。
刃が槍の柄を弾き、敵兵が車輪の後ろへ退いた。
勇者は追いすぎず、御者が曲がる道を空けた。
後ろから、重い声が来た。
「我の列を、勝手に分けるな」
黒い外套の男が、箱の上からこちらを見下ろしていた。
額に短い角があり、手には旗ではなく、鉄の棒を持っている。
ドロメクだと軍の兵が叫んだ。
補給の司令は、荷車の影で部下へ指示を出した。
護衛の隊列が変わる。民間の荷を止めたまま、触媒の車だけを内側へ寄せようとしていた。
俺の帳面を投げれば気を取られる、などと考える距離ではない。
彼は物資を運ぶ相手をよく知っていた。
御者が馬を止める場所へ、兵を置く。
「荷を捨てて逃げれば、代金は受け取れぬぞ」
彼が叫ぶと、3台目の御者が手綱を引いた。
荷主の支払いが怖くても、戦場で止まれば別の危険が来る。
俺は軍の連絡役を指し示した。
「避難した経過は軍が記録します。今ここで、荷の損を一人で背負う約束はしなくていい!」
全部の代金を俺が払うとは言わなかった。
言えないことを叫んで動かしたら、あとで相手を別の場所に閉じ込める。
御者は軍の旗を見つけ、ようやく曲がった。
ドロメクが棒を振ると、坂の石が跳ねた。
イグナスは刃で受けず、身を引いて避ける。
振り下ろされた鉄は、道を割った。
荷を運ぶための道を傷つけることを、彼はためらわない。もう城の目前だから、今の1便が入ればよいのだろう。
ガルドが盾を立て、俺の前へ来た。
「下がれ。帳面の場所じゃない」
俺は一歩下がった。
リシアの杖から光が伸び、車輪の外側へ細い壁を作る。
荷車そのものを吹き飛ばさず、向きを変える余地をなくす術式だ。
ドロメクは壁を叩いた。
光が揺れる。
強い相手だ。輸送の遅れを作ったくらいで、この腕の力は消えていない。
イグナスが短い剣を収め、空いた道へ一歩出た。
伝説の剣を抜く。
リシアが彼の刃へ光をつなぐと、ガルドは盾を半歩引き、振る空間を空けた。
昨日までの動きが、今ここでつながる。
俺は川沿いの入口を見た。
3台目の車輪が、道の段差に引っかかっている。
御者は馬を叱っていたが、強く引けば車輪が割れる。
軍の荷役を呼ぶ。荷を全部下ろすには時間がないので、後ろの重い袋だけを一時的に外す。
持つ場所を決め、人の通る道を塞がないようにする。
エレナが御者の肩を押さえた。
「馬を叱る前に、車輪を見てください。止まっている理由があります」
荷役二人が袋を下ろす。俺は転がらない場所へ置き、数を控えた。
帳面へ綺麗に書く時間はない。
借りた板へ、3袋、と大きく記す。
避難が終わってから、荷主が何をどこへ移したか分かるようにする。
ガルドの盾に鉄の棒が当たり、また音がした。
俺は振り返りかけたが、車輪を持ち上げる合図が来た。
今、俺が見なければならないのは、この1台が通る瞬間だった。
車輪が段差を越え、馬が進んだ。
荷役が下ろした3袋を別の車へ積み、御者へ行き先の控えを渡す。
軍の護衛が付いた。
俺は笛で、民間の荷が通った合図を送った。
イグナスが短く返事をし、ドロメクへ正面から向き直る。
剣が鉄の棒を受け止めた。
受け止めたままではなく、力を横へ流す。
ドロメクの足が車輪の脇へ滑った。
リシアは壁を一度解き、空いた場所へ別の光を通した。箱の封じから力を引き出そうとした敵の術式が、そこで止まる。
触媒をこちらへ奪う魔法ではない。今そこから力を使わせないための干渉だ。
ガルドが前へ出て、ドロメクの棒を盾で押さえた。
イグナスの刃が、その武器の継ぎ目を斬る。
鉄の先が道へ落ちた。
勝った、と思うより早く、ドロメクは車の向こうへ下がっていた。
「荷を切り離せ!」
彼の声で、敵の御者が連結の金具を外す。
前の車だけ城へ向かおうとする。
そこには戦闘用の触媒が載っている。
リシアが息を整え、車輪の前へ低い壁を置いた。
完全に塞ぐ強い術式ではない。馬が止まり、御者が方向を変える短い時間を作る。
イグナスはその間に車の横へ走り、敵兵の刃を払った。
ガルドは前を追わず、残った護衛を近づけない。
役目を分けたから、4人のうち一人が抜けた場所を、俺が剣で埋める必要はなかった。
軍の兵が道へ入り、止まった荷車を包囲した。
ドロメクは城へ続く別の斜面へ退いた。部下の一部も後に続いた。
追えば捕らえられるかもしれない。
イグナスは追わなかった。
「荷と人を先に確保する。城で待ってる相手は、一人じゃない」
彼は剣を下げ、反応が止まったことをリシアと確かめてから収めた。
敵の荷車は軍が管理する。
中身を確認し、戦闘用の物資か、民間の物が混ざっていないかを調べる。俺たちの戦利品として、値段を付けて現金へ足す話ではない。
ドロメクの印だけを剥がせば味方の荷になる、というものでもなかった。
俺は自分たちの仕事の記録へ、触媒の車の進入を止めたことを書いた。
司令を倒したとは書かない。彼は退いた。
軍の報告と、俺たちの記録の両方へ、見た範囲を残す。
勝ったという言葉より、次に何が来るかを知らせるためだった。
川沿いでは、御者たちが荷を照合していた。
俺の3袋という板を見て、麦袋の持ち主が頷く。
「3つ、こっちへ来てる」
行き先の控えと突き合わせ、再び同じ荷車へ戻す。
治療を受ける御者は、エレナへ礼を言った。膝を擦った程度でも、馬を制御するには痛みが邪魔になる。
彼女は休ませ、軍の救護担当へ引き継いだ。
俺は迂回の費用を確かめる。
実施した護衛、荷役と保管、別の車への一時輸送。相談した5500の内訳と合っている。
支払いを終えると、現金は58420から52920ルーンへ減った。
今日の魔法に使った既存の薬の減りは、使用記録へ載せる。買った代金をもう一度現金から引かない。
リシアは緊急用の袋を示した。
「これは開けていない」
俺は頷き、結び目を確かめた。
最後に避難した御者が、荷札を俺へ差し出した。
札には、城で受け取る相手の名がある。彼は、その人が門の中から戻っていないと言った。
民間の運送員だ。昨夜、空の荷車を受け取りに入ったらしい。
「まだいるのか?」
イグナスが尋ねた。
「出てきたところを、誰も見ていません。奥の保管所へ行けと言われたと聞きました」
生きていると断定はできない。いないと決める根拠もない。
俺は最後に見た場所と時刻を聞き、軍へ知らせた。
荷の行き先と、人の行き先は別だった。
ドロメクの荷を止めて、その紙だけを回収していたら、札を持つ人の声を聞くのが遅れたかもしれない。
エレナは負傷した御者を長く話させず、後で詳しく確かめる担当を軍へ頼んだ。
俺たちは、明日の城内の確認へ、その保管所を加えた。
夕方になる前、ガルドが俺の手を見つけた。
荷袋を引いた時の擦り傷が、指の間にある。
戦った4人の傷ばかり確かめて、自分の手は水で洗って終わらせるつもりだった。
「エレナに見せろ」
「軽い傷だ」
「軽いかどうかを見てもらえ。金を数える手だろ」
俺はエレナの前へ座った。
彼女は傷を洗い、薬を少し使って布を巻いた。魔法を大きく使う必要はないという。
俺は治療を受けてから、使用した薬の分を聞いた。
先に価格を確かめないことに、自分の時だけ抵抗があった。
「あなたの手も、予定に含まれています」
エレナは布の端を留めながら言った。
俺は礼を言い、次に瓶を持った時は、乾いた指を使った。
ガルドが横で、俺の治療も記録したかと聞く。
「する。名前を省く理由はない」
「よし。経理が一人、ちゃんと残る」
盾の裏へ線を増やすか聞くと、彼は首を振った。
「もう5人に入れてる」
夜、城門の外の拠点で軍から知らせが来た。
止めた荷は、実際に戦闘用の触媒だった。今夜城へ入る予定だった便が減ったという。
それでも城の灯りは消えていない。
ラグゼオンが中で何を用意しているか、まだ分からない。
イグナスは地図の先を見た。
エレナは軍の救護所へ返す布を分け、ガルドは盾の傷を確認している。
俺は板へ書いた3袋の文字を、正式な引継ぎの控えへ移した。
板そのものは荷役へ返す。
「勇者様の署名は?」
受け取った男が聞いた。
「今日は麦粉の数だけで」
俺が答えると、イグナスは隣で笑った。
「帰ったら道案内をする約束がある。これ以上、板を増やすと行き先が増える」
男も笑い、板を荷台へ積んだ。
俺たちは城門をもう一度見た。
今日は荷車を通さなかった。
明日は、その門の向こうへ入る準備をする。




