第41話「魔法1回分の余白」
リシアの計画には、空白が1つあった。
俺はそこへ、使途未定、と書きかけた。
彼女の指が紙を押さえた。
「そのままでいい」
「用途は分かる。緊急の1回分だろ」
「そう。でもいつ使うかは、まだ書かない」
術式の控えには、外殻を調べる魔法、剣のために割れ目を作る魔法、守りの魔法が順番に並んでいた。
全てを予定の通りに使ったあと、1回分を残す。
それを予定の最後へ書き込むと、最後に使う魔法になってしまう。
リシアは筆を俺へ返した。
「空いていること自体が、仕事なのよ」
俺は紙の下へ、緊急用の余地、とだけ書いた。
今日は野営地を少し前へ移す。
魔王城へ通じる道を確認するため、軍の偵察と連絡を取り、翌朝の護送隊を止める予定だった。
ドロメクは倉庫の一部を失ったあとも、別の荷を城へ集めている。
補給が途切れれば魔王が黙って倒れる、という話ではない。
持っている蓄えを増やさないようにすることと、城の中で戦うことは、別の仕事だ。
俺はその2つを同じ費目へまとめなかった。
今日買うのは、術式に必要な魔石と高級薬。14000ルーン。
昨日までの触媒と、用途を分けて確認する。
名前が似ているからといって、剣の調整に使った材料を、そのまま緊急の魔法へ使うことはできない。
薬屋の台に、2種類の見積もりが並んだ。
安い方は、予定の回数ちょうど使える。
高い方は、誤差が出た時に足せる分と、緊急の1回分がある。
俺は以前なら、ちょうど使える方へ手を伸ばしたはずだ。
今日は計算の根拠から聞いた。
「予定の回数は、何を基準にしてる?」
「偵察で見た外殻の反応と、私が今まで破った魔法の構造。でも相手の中にある触媒の量は分からない」
リシアが答える。
「予想より硬かったら?」
「同じ魔法に追加するか、別の反応へ変える。どちらでも、ちょうどでは足りなくなる」
「弱かったら?」
「余る。未使用品として持って帰る」
彼女は迷わず言った。
俺が予備を提案する前に、余る扱いまで考えていた。
使い切る計画だけが正しいという考えから、彼女も離れている。
薬屋が、大瓶ならもっと安くなると勧めた。
俺たちは同時に首を振った。
城の中で必要な量を分ける手間と、開封した後の保管。ここまで来て、値札だけへ戻るわけにはいかない。
リシアは、使う順番に瓶を分けた。
最初の確認用、攻撃の接続用、緊急用。ラベルの色も変える。
エレナが怪我をした手でも開けられるか確かめ、ガルドが振動で割れない入れ方を試した。
イグナスは、剣を構える時に彼女の手元を邪魔しない位置へ立った。
俺は空瓶をまとめる布袋を置いた。
使用する場所の近くに置くが、瓶を拾うために前へ出る必要がないようにする。
薬の数を確かめる仕事が、治療の手を止める形になってはいけない。
「ナオトの瓶回収も、予定の回数に入れる?」
イグナスが尋ねた。
「回収に魔法は使わない」
「なら、取りこぼした時は?」
「まず人を退かせる。瓶のために戻るな。残数は安全な場所で照合する」
エレナが頷いた。
「帰ってから数えられるなら、それが一番です」
人の帰還を優先する手順を、俺の担当にも書く。
他の4人へだけ安全を守らせて、俺が一人で瓶を拾いに戻ったら、仕事が増えるのは彼らだ。
術式を試す場所は、軍の演習用の空き地だった。
リシアが弱い出力で光を通し、薬が混ざる順番を確認する。
魔石が1つ、想定より強く反応した。
明るいので、俺には良い物に見えた。
彼女は使わず台へ戻した。
「強すぎるのか?」
「同じ袋に入れるには反応が違う。調整を増やすなら使えるけど、今の順番を変える必要がある」
売り手へ知らせ、規格の範囲を確かめる。
欠陥品と決めつける前に、用途との相性を見た。売り手は同じ種類の別の石を持ってきて、比較を受け入れた。
交換の履歴を付けて、14000の明細は変えない。
値段が同じでも、中身が確認した物でなくては困る。
俺は石の印を写した。
初めて薬の値段に驚いた頃の俺なら、この作業を余計な手間と思ったかもしれない。
今は、金を払う前にできる確認が終わるまで、黙って待てた。
演習場の端で、イグナスが剣を抜いた。
一昨日の調整を、リシアの小さな術式で確かめる。
刃の先に光がまとまると、ガルドが盾の位置を変えた。
剣が通る道を空け、リシアを守る。
エレナは後ろへ下がり、彼女の魔力が切れた時に支える位置へ立った。
俺は退路へ置いた荷をどける。
物を買って並べるまでと、人が同時に動くまでには、また一段の差があった。
最初の練習では俺の袋が、イグナスの通る場所へ出た。
「袋が勇者の道を塞いでるぞ」
彼が言う。
「俺の想像では、もう一歩右へ行くはずだった」
「魔王の剣を避けたら、左へも行く」
「そこまで、袋に言ってなかった」
ガルドが笑い、俺の袋を後ろの杭へ寄せた。
俺は自分の立ち位置も変えた。
袋に意思はない。俺の想像に従ってくれるわけでもない。
リシアは3度の確認を終え、術式を止めた。
ここで緊急の1回分まで試してしまったら、城へ持っていく分が減る。
機器の反応と、持ち手の動きの確認だけで済む範囲は、実際に薬を全て開けずに行った。
使用した少量は既存在庫から出す。今日の購入代金とは別に、現金がまた減るわけではない。
俺は使用記録の欄へ書き、買った品の欄へ重ねなかった。
「あなたの余白も、あるの?」
休憩の時、彼女が尋ねた。
「帰還用と救助用がある。何が起きるか分からない分を、全部先に配らない」
「そういう金の余白じゃなくて」
彼女は俺の筆を見た。
「全部をその場で書こうとしたら、手が足りない日が来るでしょう」
俺は答えを探した。
そういう日は、もう何度も来ている。
人を助けるために帳面を置いた。後で聞き取った。仲間の控えへ頼った。
なのに最終戦になると、全部を漏らさず自分が見ようとしていた。
「一度で書けないことは、後で4人へ聞く」
「なら、聞く時間も残しておいて」
彼女は計画の空白を指した。
「私も、予定を全部の魔法で埋めるのをやめたから」
午後、城の外へ近づく道の報告が来た。
東の門が、予想より早く開いている。
明朝の荷車を待つのではなく、今夜から小さな便が通る可能性があるという。
イグナスはすぐに地図へ向かった。
買い終えたから予定通り進む、とは言わなかった。
「全部を今日やる必要はない。軍に道を見てもらい、民間の荷が混じる場所を確認しよう」
ガルドが外套を着た。
リシアは緊急用の袋を開けず、確認用の道具を持った。
エレナは前線の救護所へ、自分たちの移動時刻を伝えに行く。
俺は購入の支払いを済ませた。
現金は72420から、58420ルーンへ減った。
紙に数字を置き、布袋の金を数える。
帰る金の札はまだ見える。救助用の小銭も残っている。
これから何が起きるかは、帳面に書けない。
書けないことのために、今日は空けてある。
進路の確認に同行する前、軍の担当者が高級薬を数えた。
全部を今夜の警戒で使ってほしいと頼まれたわけではない。軍の守りと、明日の隊の役目が重ならないようにするためだった。
リシアは、今夜使える範囲と残す範囲を説明した。
担当者は、なら魔法の数が少ない方の任務を依頼すると言った。
俺はそこで、予備があることを隠しておけば全部使わずに済む、と一瞬思った。
でも相手が誤った前提で計画を立てれば、別の誰かへ足りなさが行く。
用途を説明して残すのと、存在を隠して残すのは違う。
リシアはきちんと、城内の緊急用だと伝えた。
担当者は理解した。
無駄な消耗を避けるのは、誰かを欺く技術ではなかった。
道の先で、俺たちは遠くの門を見た。
大きな扉が開き、灯りが地面へ伸びている。
荷車はまだ、形が分かるほど近くない。
軍の偵察兵は、積み荷の種類を断定せず、見えた車輪の数だけを報告した。
イグナスも遠くの灯りを見ている。
剣を抜く距離ではない。
先に何を守り、どこへ人を逃がすかを相談する。
俺は荷車の迂回路へ、軍の確かめた通行可能な地点を記した。
地図の線は細い。
そこを明日、本当の荷車が通るには、護衛と荷役の人を用意する必要がある。
費用が掛かる。必要な相手と、支払いの範囲を聞いた。
予定の空白へ入ってくるのは、強い魔法だけではない。
逃げる道を作る小さな仕事もある。
地図を畳む前に、俺は城の門と民間の倉庫を結ぶ線を、1本消した。
古い報告では通れた道だが、今の確認では石材が積まれている。
「消したら、道がなかったみたいになるな」
イグナスが言った。
俺は線を消す代わりに、閉塞の印を付け直した。
「変更の日も書く。帰りに開いてると決めつけないために」
彼は先へ進む地図と、退く地図を同じように見た。
俺は地図の余白へ、明日の連絡先を記す。
担当者の交代時刻も聞いた。名前だけを知っていても、その人が眠っている間は返事が来ない。
帰りの連絡を軍に頼む時、俺が持つ笛の音では遠くへ届かない。城外では軍の伝令に引き継ぐ。
自分たちの合図で全部の人が動く想像を、ここでも捨てる必要があった。
寝床へ向かう前、イグナスが薬のラベルを読んだ。
順番を確認し、緊急用の色を言い当てる。
次に俺が同じ確認をすると、最初の1つで詰まった。
薬の名前は覚えているのに、色だけだと暗がりで区別できない。
「色を見れば分かる人ばかりじゃないな」
俺は灯りを近づけた。
リシアは袋の口へ、短い結び目を一つずつ増やした。
初動、接続、緊急。最後の袋だけ、口の結び方も変える。
「触っても分かる。でも勝手に開けるためじゃない」
「お前に渡す時、取り違えないためだな」
彼女は頷いた。
俺はもう一度手を伸ばし、最後の結び目で止めた。
袋を開けないまま正しいものを選べた。
それだけの作業が、明日、彼女の手を一度空けるかもしれない。
エレナも試し、ガルドには指が太くても区別できるか確かめてもらった。
「3つとも、ちゃんと違う」
彼が答える。
「字を小さくするより、こっちの方が俺にはいい」
リシアは、王都で薬の箱を作った時の話を覚えていたらしい。
「あなたの名前は普通に書いたままよ」
ガルドは安心して横になった。
確認を終えると、リシアが緊急用の袋を枕元へ置いた。
「これを開ける時は、説明を長くしないわ」
「分かってる。使ったあとで聞く」
「使わなかったら?」
「戻して、残った分を照合する」
彼女は頷いて、袋から手を離した。
俺は空いている欄を眺めた。
予算を綺麗に使い切る話なら、ここに何かを先に書ける。
俺たちは、明日何が起きるかまだ知らない。
だから、筆の先を紙から離した。
隣ではガルドが、空瓶を入れる袋を自分の足で踏まない位置へ移している。
「ここなら邪魔にならん」
彼は満足そうに言った。
俺はその場所を覚え、今夜の灯りを落とした。




