第39話「剣の値段を聞かない」
「必要なら、払います」
俺が先に言うと、イグナスは剣を差し出したまま止まった。
前線の職人も止まった。
リシアだけが、俺の顔を確かめた。
「熱はないのね」
「最終保守を受けに来たんだ。不要だと言いに来たわけじゃない」
「値段を先に聞かないあなたを見たのは、初めてかもしれない」
イグナスは慎重に剣を台へ置いた。
「本当にいいのか?」
「必要な理由を、昨日までに聞いた。作業の内容は今から確かめる。金額もそのあと確認する」
「順番が逆だ」
「最初の俺が、逆だったんだろ」
勇者は頬を掻いた。
何か言いたそうだったが、職人が刀身へ光を当てたので、口を閉じた。
北方の拠点から1日進んだ野営地には、軍の保守工房があった。
城に近づけば、そこで剣を預けて修理を待つ余裕はない。隊が進む前に、剣と杖を点検する。
ハルゼから送られた紹介と仕様の控えは、既に工房へ届いていた。
同じ職人がどこにでもいるわけではない。それでも、誰が作ったかと、どこを触ってよいかを残しておけば、次の職人が仕事を引き継げる。
「保証書と補修履歴を先に確認します。そのあと、今回の相手に合わせた調整を見ます」
職人は控えを読むと、剣の柄を布で持った。
剣を預けた証明を俺が受け取り、代わりにイグナスが普段使う剣を腰へ下げる。
伝説の剣が机にあっても、彼がただの客になるわけではなかった。
入口の警戒を軍の兵へ頼む時も、慣れた声で必要な範囲を伝えている。
刀身の芯には問題がなかった。
前の戦闘で増えた細かな摩耗と、柄の固定を確認する。刃先の無償補修は王都で1回分を使っている。今回の点検と手入れは、保守の見積もりへ入れる。
魔王の外殻へ届かせる術式の調整は、それと分けて確かめる。
リシアが偵察報告の図を並べた。
城に貯められた触媒が、魔王の魔力を支える。補給の流れを止めても、既に入っている蓄えまで消えるわけではない。
外殻の反応を見て隙間を作り、剣を通す。その時の力の向きに合わせ、剣へかかる負荷を逃がす必要があるという。
俺には、剣の中の光の揺れまで読み取れない。
分かったふりをしないまま、誰が確かめるかを聞く。
「調整が必要だと判断するのは、リシアと職人さん。使えるか確かめるのは、イグナス。失敗した場合の戻し方は?」
「元の仕様へ戻せます。芯を削る作業ではありません」
職人が答えた。
「成功したら必ず勝つ、という保証ではないです」
「それも、分かっています」
費用を払う理由は、勝利を買えるからではない。
持っている力を必要な場所へ届けるために、今できる準備をするからだ。
見積もりは、剣の調整と、杖の保守、接続に使う触媒を合わせて16000ルーンだった。
剣だけの修理費ではない。
保証があるから全部無料、と考えるのも、16000の欄を見て剣が壊れたと思うのも違う。
作業ごとに明細を分け、使う触媒の種類と数量をリシアへ確認してもらった。
彼女は1つを指で押さえる。
「この種類は二つも要らない。1つは今ある予備を使える」
「予備を使うと、緊急の魔法が減るか?」
「別の用途のものよ。余らせて荷にするより、ここへ回せる」
職人がそれを確認し、代わりに必要な固定材の費用を見積もりへ加えた。合計は変わらないが、中身が変わる。
俺は、最初の明細を訂正前として残し、変更した内容へ印を付けてもらった。
安くするためだけの指摘ではない。持ち物を使える場所へ回し、現金が必要な物へ使う。
それなら、最後の支払いも説明できる。
昼まで剣を預けるので、イグナスは珍しく腰の辺りを何度も触った。
「落ち着かないのか?」
「軽いんだ。いつもの位置が」
「高かった分の重さではないだろうな」
「そうだったら、ナオトが持った時には俺より重く感じたはずだ」
確かに、最初に値段を知った時の俺には、持てると思えなかった。
今でも振れるわけではない。
イグナスは普段使いの剣を少し抜き、刃を確認した。
「こっちも、狭いところでは役に立つ。大きい剣がいつでも正しいわけじゃない」
城の通路によっては、伝説の剣を振る空間がない。
高い方が強いとしても、持っているだけで仕事が終わるわけではなかった。
俺は小さい剣の手入れも、使っている道具の記録へ残した。
イグナスは、そっちにも値段を書くのかと尋ねた。
「今日払わないなら、今日の支出には書かない。持ち物として書く」
「全部が金の話にならないのは、助かるな」
俺は少し黙った。
初めて剣の値段を聞いた時、そんな返事はできなかった気がした。
待つ間、杖の補強を確認した。
リシアの杖は、傷を見れば戦いの回数が分かるという物ではない。魔力が通る部分の歪みは、外から見てきれいでも増えている。
職人が測定用の石へ杖を近づけ、反応を見た。
目盛りを俺にも示してくれたが、俺はその数値が適切かを判断できない。
リシアに説明してもらい、基準の範囲と、今の結果を別々に控えた。
「この辺りまでなら、私が調整できる。ここを超えると杖自体を直す必要がある」
「今日は?」
「保守で戻せる。交換は必要ない」
職人も同じ結論だった。
新しい杖を買う方が楽に見えるが、慣れた杖を替えると術式の確認が増える。買い物の時間だけで終わらない費用がある。
俺は交換品の欄を空けた。
空欄があることを、後から見落としと疑われないよう、交換不要と書き添える。
リシアが、ずいぶん空欄に親切ねと言った。
「説明のない空欄って、後で何でも入れられるからな」
「なら、私の休憩欄も先に埋めておいて」
「その時間に働き始めるなよ」
「あなたにも言いたかったのよ」
俺は机から手を離した。
休憩中に、ガルドが工房の入口の刃物台を見つけた。
安価な短剣が並んでいる。
「こっちでも斬れるぞ」
彼は俺へ1本を示した。
「買い替えの提案か?」
「違う。荷の紐を切る時、イグナスの剣を毎回借りんでいい」
御者の道具に既に1つあることを伝えると、彼は台へ戻した。
「なら要らんな」
俺は笑った。
俺へ話を通すようになったからといって、何でも買う承認を求めるわけではない。
持っているものを確かめるために聞く、という会話もできる。
エレナは剣の柄の包みを見て、血や薬が付いた時に滑らないかを質問した。
職人が濡れた布で試し、イグナスが実際に握る。
光る刀身より、握って離さない部分の確認の方が長かった。
俺にはそちらの方が見える仕事だった。
夕方前、作業の終わった剣が返ってきた。
イグナスはまず、振らずに抜き差しを試した。
柄が収まるか、鞘へ戻るか。魔力を通す前に、持ち運べるかを確かめる。
それからリシアが小さな術式を組み、刃へ光を流した。
俺たちは安全な距離まで下がった。
ガルドが盾を前へ出し、工房の職人が反応を測る。
光は刃の縁に沿って走り、先端で細くまとまった。
俺には美しく見えた。
イグナスは、もう少し握りの方向を変えたいと言った。
「光ってるから成功、じゃないのか」
俺が尋ねると、彼は頷いた。
「敵の前で刃が流れると、力をかけたい場所へ届かない。きれいな剣を見せに行くわけじゃないから」
職人は短く返事をし、もう一度調整した。
俺は受領票をまだ出さず、待った。
使う人が確かめる時間を、金を払う人の都合で縮める必要はない。
二度目の確認で、イグナスは頷いた。
試験のあと、職人が危険な使い方の注意を読み上げた。
刃に触れるな、という話から始まったので、俺は簡単に終わると思った。
次は、術式をつないだまま別の触媒を重ねないこと。続いて、鞘に収める前に光の反応が止まったことを確認すること。
保証書の注意と、今回の調整の注意が2枚になっていた。
俺は保管用の控えを受け取り、イグナスとリシアに、使用する時の順番をもう一度言ってもらった。
「ナオトが最後の光を見て、収めていいと判断するのか?」
イグナスが聞いた。
「いや。光が消えると、俺には終わったように見える。反応を読める人が確かめる」
「なら私ね。私が動けなければ、イグナスが手順で確認する」
リシアは確認用の印の位置を指した。
専門家がいない時の手順も、専門家がいるうちに聞いておく。
俺は1枚を小さく畳もうとして、紙の角を切りかけた。
その角には、冷却を待つ時間が書いてあった。
「小さくするために情報を落とすのは、駄目だな」
「紙を畳むだけで済むでしょう」
彼女は俺の手から紙を取り、角を残して折った。
イグナスがそれを受け取る。
「俺は剣を雑に扱わない。でも扱わないだけでは、使い方まで正しくならないな」
職人は、そう言ってくれる人に渡せると助かります、と答えた。
俺は道具の買い手として、その声を覚えておくことにした。
払ったあとに文句を言わないためではない。困った時に、どこを確かめればいいか分かるまま持っていくためだ。
杖もリシアが確かめた。
使った材料と戻された未使用分を合わせ、作業明細に署名してもらう。
16000を支払い、現金は98420から82420へ減った。
大きな額だった。
俺は支払った金を、剣の値段のせいで旅が苦しくなったという最初の言い方には戻さなかった。
剣のためだけでもない。4人がつなぐ攻撃のために必要な仕事が、ここにある。
支払いが終わったあと、イグナスが俺へ近づいた。
「今なら、剣の値段を聞いていいか?」
「48000の買い物は変わらない。今日の16000は剣と杖と触媒の分」
「高いな」
「高いよ」
「でも、今日の俺には理由が分かる」
俺は頷いた。
高いと感じなくなったわけではない。
高いから役に立たない、と言わなくなっただけだ。
工房を出る時、職人が整備の控えを渡してくれた。
ハルゼへ送る写しも付いている。
帰ってから本人へ、どこを変えたか説明できるようにするためだ。
イグナスはその紙を自分の袋へ入れた。
「今回は俺も持つ」
「濡らすなよ」
「乾かす。俺ごと」
出発の夜と同じ返事をして、彼は歩き出した。
道で兵が勇者の剣を見て声を掛ける。イグナスは鞘から抜かず、魔王を倒すために調整したとだけ答えた。
俺の前を歩く背中は、値段を知っても小さくならない。
その背中が帰ってくるように、今日使わなかった金も持っていく。
野営地へ戻ると、ガルドが明日の鎧の点検場所を地図へ記していた。
「こっちの椅子、丈夫か?」
俺は工房の前にある丸太を指した。
「椅子ではないが、座れるそうだ」
「無料か」
「座るだけならな。持って帰るな」
ガルドは真剣に頷いた。
明日の明細に丸太を増やさずに済みそうだった。




