第38話「最後の振込は来ない」
前線の拠点には、俺宛ての袋がなかった。
あるのは俺宛ての薬の見積書だった。
「30000の金は?」
「到着の確認が届いたら、中継所からこちらへ運ばれます」
「確認は、昨日の中継所から出しました」
「途中が雪で止まっています」
係員は窓の外を見た。
この建物の前には、まだ雪はない。
だからといって、王都からここまで全部晴れているわけではなかった。
俺の前の世界なら、振込を確認するために画面を開いたところだ。
この世界では、窓を開けても残高は届かない。
北へ出て3日目。俺たちは最終補給の拠点へ着いた。
王都で認められた追加80000のうち、50000は受領済み。残る30000は、王都が指定した南側の中継所で封じて保管されている。到着確認が届くまで、その先へは動かせない。
今ある現金は80420ルーン。
予定の入金を足して、110420と書けば、紙の上では余裕ができる。
俺はその欄を空けたままにした。
王都の承認印は本物だ。金が今日この机にあることの証明ではない。
リシアが、補給の12000なら今の金から払えると言った。
「払える。だが帰りと救護を分けたあとで、今やる必要を確かめたい」
「届いた時に戻せばいいでしょう」
「届くまでに次の支払いが来たら、戻す場所が足りなくなる」
彼女は俺の札の付いた袋を見た。
「だから、実際の日付を聞くのね」
「そう。金が消えたと決める前に、どこで待ってるかも」
以前は支出を減らすことが答えになりやすかった。
今日は、必要な物を買わずに進むのも危ない。遅れを理由に全て止めるのでも、まだない金を使うのでもなく、順番を組み直す。
補給契約の担当者を呼び、今日の約束を確認した。
食料と保管材、戦闘後に使う補充品。最終保守の道具とは別の12000だ。
現金受領後に引き取る条件だったが、王都の30000が遅れた事情は契約の相手にも早く伝える必要がある。
黙って来なければ、別の隊へ物を回すか、こちらのために置き続けるかを決められない。
「夕方まで、荷を押さえられます。明日になると保管の段取りを変えます」
担当者が言った。
「今日の代金を後払いにできますか」
イグナスが聞く。
俺は止めず、答えを待った。
「保証は必要です。期日も」
「俺の名前なら?」
「勇者様の名前で、うちの御者の夕食は買えません」
イグナスは素直に頷いた。
俺はその答えに、少し安心した。
名が知られた人に払うと言われて、断れずに困る人がいる。ここでは、困る理由を言ってもらえた。
後払いの条件を聞き、控えに記す。ただし今は約束しない。
先に、30000の袋がどこにあるかを確かめる。
軍の連絡室には、雪に濡れた外套が3枚掛かっていた。
連絡兵が中継地点を指した。
俺たちの確認書は、峠の南側の宿に留まっている。道が開けば進むが、金を運ぶ便と、確認を運ぶ便は同じではない。
交付金を保管する中継所へは、川沿いの別経路で連絡できる。昼の便なら、午後の出発に間に合うという。
前線の担当者が、到着を確認する補足の証明を作ってくれた。
俺が勝手に王都へ、来ました金をください、と書くのではなく、受け取り責任者が俺たちの在着を確かめる。
「書類が2枚になると、2回分もらえませんか」
ガルドが小声で聞いた。
「もらわないために、同じ交付の照会だと番号を付ける」
「ちゃんと書いとけ。俺が運んだら、袋を2つ持って帰りそうだ」
イグナスは、金の袋が2つ来ても、中身が1つ分に分かれている可能性はあると言った。
俺は二人を見た。
「袋の数より、中身と交付番号を見よう」
話を始める前に少し説明した方が早い仲間は、相変わらずいた。
それでも彼らは、金が増える冗談を本当に支出へ変えようとはしなかった。
待っている間、4人はできる確認を進めた。
リシアは既存の薬の残数を数え、エレナは前線の救護所と交代の人を相談する。ガルドは城へ向かう道で、荷車がどこまで通れるかを聞いた。
イグナスは王国軍の偵察の報告を読み、予定していた城の入口が今も使えるかを確かめた。
俺は補給品の数量を、まだ受領したことにしないまま現物で確認した。
食料を入れた袋の一つが、濡れていた。
担当者へ聞くと、外の袋だけ濡れたのか、内部まで濡れたのか、今朝は確認していないという。
開けてもらう。
中の包みは乾いていた。入れ替える必要はない。ただ、次の移動前に外袋を乾かし、濡れた場所を示す札を外さないことにした。
見た目が悪いから全交換、と言うのも、見積書にあるから全部受け取る、と言うのも早かった。
受領の印を押す前なら、相手と一緒に確かめられる。
昼前に、前線から別の商人が来た。
すぐに支払いを済ませるなら、1割引くという。
品目は、今押さえている補給とよく似ていた。
俺は値段より先に、到着予定を尋ねた。
「明後日までには」
「明日出る予定なんです」
「それなら、こちらの軽い方だけ先に」
軽い方には、食料の半分と保管材が入っていなかった。
安い額の大部分は、足りない物の分だった。
俺は元の見積もりを畳まなかった。
商人は怒らず、では城へ行く軍の別便にも提案すると言った。
使える相手へ売るなら、それでいい。
「値段を聞いて、嬉しそうだったのにね」
リシアが笑った。
「1割は嬉しい。明後日までは買えない」
「時間まで含むと、安くならない」
前の世界でもそうだったはずだ。
手元の数字が目立つと、見慣れた常識を忘れる。俺は今朝の自分の顔を思い出して、少し苦く笑った。
午後、御者が次の便の出発を早めたいと知らせてきた。
天候のため、夕方には北の坂を閉じるかもしれないという。
金の袋が来るまで待ち続けると、物があっても運べなくなる。
俺は軍の連絡担当と補給担当を同じ机へ呼んだ。
金を待つ期限と、荷を出す期限。2つを別々に聞いていても、俺の頭だけで予定を結ぶことになる。
今使える現金で、どこまで先に受け取れるか。
品目を半分に分けると、輸送の手配が2回になる。後払いは保証の確認に時間が要る。
軍の便へ載せるなら、軍側の引渡しの規定に従う必要がある。
俺たちの事情で、相手の約束を無かったことにはできない。
担当者は12000の契約を、同じ条件で午後まで押さえると再確認した。
俺は期限を紙に書いた。
「その時刻で、30000が未着なら、今日の経路で運べる分を今ある現金から払うか、明日の便に変えるか決めます。追加の負担が出たら先に相談します」
イグナスが地図を広げた。
「魔王が、俺たちの締切に合わせて待つわけじゃない。今日遅れた場合の入口も聞いておこう」
軍の担当者が偵察班へ確認に向かった。
金の予定と、敵の予定は、同じ紙へ書けば同じになるものではなかった。
期限の1時間前、連絡室の外が騒がしくなった。
王都側の中継から、交付の金を運んだ便が着いたのだ。
中継所には昼の便で補足の確認が届いていた。交付番号を照合した担当者が、保管していた袋の搬送を認めたという。
連絡兵は雪の付いた靴を脱ぎ、先に封筒を渡した。
「ここへ来れば、受領人がいると聞きました」
「います。俺です」
名を確かめてもらい、俺も封と交付番号を見る。
袋を開ける前に、相手が運んできた理由を照合した。
間違いなく残り30000だった。
遅れた日付も記録する。予定通り受け取ったことにしてはいけない。
机の上へ硬貨を並べると、窓の隙間から冷たい風が来た。
リシアが紙の端を押さえ、エレナが灯りを寄せる。
ガルドは窓を閉めるのではなく、すぐ外の隙間へ板を当てた。板の在庫は軍のものなので、終わったら戻すと先に言った。
イグナスは入口に立ち、数え終えるまで机の周りを空けてくれた。
俺は30000を確かめ、受領票へ名を書いた。
ようやく現金の欄に入れられる。
補給担当へ知らせ、確認した品を引き取った。
12000の支払いを終え、現金は98420ルーンになった。
金の入った袋と、品の入った袋。その両方が実際にここへ来たから、俺の帳面の2つの欄を埋められた。
今の仕事は振込確認とは呼べない。
袋を受け取り、中身を数え、受け渡す相手と一緒に確かめる。指が冷たくなっても、画面を更新する代わりはない。
荷を引き渡す時、担当者が空の箱を1つ持ってきた。
見積もりの数量を全部揃えると、同じ外箱が余ったのだという。
「この箱も持っていきますか。運んできたので」
俺は荷車の空き場所を見た。
王都を出る朝に決めた担架の置き場には載せられない。補給の箱は、使う分だけで足りている。
「ここへ置いてください。空箱の返却で代金が変わるなら、今確認したいです」
「代金には含まれていません。運搬用です」
その扱いを受領票へ追記してもらった。
イグナスは、空箱は軽いのに迷うのかと聞いた。
「重くないから載せて、必要な場所を塞ぐのが嫌なんだ」
「なるほど。帰りに人が乗る」
彼は箱を拠点の壁際へ運び、保管場所を担当者へ知らせた。
空箱の中には、今日渡された札の予備が入った。
ここに残る方が役に立つ物まで、俺たちの荷にする必要はない。
御者の便には間に合った。
ただ、偵察班から、明朝の入口に関する新しい注意が届いた。城へ向かう道の東側に、敵の荷車が集まっている。
イグナスは予定の時間を少し変えた。
「今夜、よく寝てから行こう。来た金に急かされて出るのは違う」
俺は頷いた。
金が来なくても困る。来た途端、使うために走り出すのも困る。
夕食のあと、連絡兵へ温かい飲み物が出た。
エレナは、まず座って飲んでくださいと勧めた。
彼は飲みながら、昨日の雪道で馬が進まなくなった話をした。急いでいたが、馬の足元を確認しないまま進ませるわけにはいかなかったという。
俺は礼を言った。
遅れの数字の向こうに、一人と1頭がいた。
催促の手紙へ怒りを足しても、坂道は短くならない。
イグナスが空になった交付の袋を折り畳んだ。
「これ、返すのか?」
「返却指定がある。次の交付で使うらしい」
「次は俺たちじゃないかもしれないな」
「そうだな」
彼は袋へ付いた雪を払った。
ガルドが、俺たちの財布から帰還用の札を見つける。
「こっちはまだある」
「使ってないからな」
「届いた金で膨らんだから、札が隠れてた」
俺は札を外へ出した。
机へ戻ると、連絡兵は俺の受領票を見て、ほっとした顔をしていた。
「今夜は、これだけを運べばいいんですね」
「はい。金より軽いです」
「途中でなくすと重くなるので、内側へ入れます」
彼は大事に紙をしまった。
俺も今日の帳面を、内側の袋へ入れた。




