第37話「帰る金を先に取る」
机の上に並べた袋は、どれも中身が金だった。
ガルドが指を折りながら数える。
「飯、剣、薬、帰り、予備。あと、お前が数えるための袋」
「最後はない」
「どれを数えてるか分からなくなるだろ」
「そのために札を付けてる」
俺は最後の空袋へ、帳簿用、と書いた紙を入れた。
金だけを分けて、帳面と受領票を同じ場所へ押し込めば、今度は紙が分からなくなる。
出発の朝、俺は88420ルーンを、用途に応じて分けていた。
袋を移すたびに支出を書いたら、机の上で旅費が尽きる。
支払いはまだ一度もしていない。全部合わせた現金は同じだ。
帰還用の金を先に分けた。
その封を見たイグナスは、少し首を傾げた。
「最初に帰りを取るんだな」
「最後に残った金で帰れると、今から言えないから」
昨日までの計画に、1行ずつ理由を添える。
大きな出費の前に、帰りの交通と救護に使う分を確認する。残りで戦うというより、戦う費用と帰る費用を同時に用意する。
途中で状況が変われば、封を絶対に開けないわけではない。誰が何のために使い、残る帰路をどうするか、もう一度確かめる。
「分けたら、全部が固定されるのではないの?」
リシアは薬の袋を指した。
「緊急時に札を眺めている暇がない日もあるわ」
「そのための範囲と判断役を、今決める。お前の緊急の薬は、使用したあとに報告できる。俺が瓶の蓋を承認するまで待つ契約にはしない」
「蓋を承認」
彼女は声に出してから、少し笑った。
「魔王城で一番邪魔な儀式になりそうね」
エレナも、誰が倒れた時に誰が袋を持つかを確かめた。
俺が動けなければ、俺の財布へ手を付けることを恐れて治療が遅れるのは困る。
分けるだけではなく、開け方を共有しなくてはいけなかった。
前の旅で作った小銭の別袋には、砦で1800を使った残りの200ルーンがあった。通常の財布から1800を足し、救助用を再び2000にした。
砦で使った分は支出として記録済みだ。今日の1800は全現金の中で移しただけで、新たな支出にはならない。
ガルドへ札を読んでもらうと、彼は頷いた。
「人を運ぶ時、ここから出す」
「実際の支払が必要ならな。運んだだけで2000減るわけじゃない」
「運んだ人数も書く」
「そう。ただし運ばれた人に、先に名前を書かせるな」
彼は救助の途中に紙を差し出す姿を想像したのか、眉を寄せた。
「そんな面倒な助け方はしない」
俺は安心した。
記録を残す話を何度もしたせいで、順番まで逆になる危険はある。
エレナが使用する薬の種類と、後で瓶をまとめる場所を説明した。空瓶を返す手が足りなければ、まず人を動かす。瓶を拾う人が怪我をしても、帳面の整合性は上がらない。
俺の仕事について、俺よりはっきり言える人が増えていた。
王都の門を出る前、俺たちは輸送業者の荷を確認した。
今日支払う8000ルーンは、北へ向かう区間の運賃と食料、新しい天幕の代金だ。昨日の1500は出発契約と手配の費用で、同じ区間の運賃を二度払うわけではない。
明細には、それぞれの対象を分けて書いてもらった。
天幕は古いものに追加する1張り。怪我人が出た時、荷の山と同じ屋根に押し込まないためのものだ。
屋根を広げるなら、運ぶ体積も増える。
俺は荷車の位置を確かめた。
箱を積んでから隙間を探すと、帰りに人を寝かせる場所が消えている。荷の置き方を、出発前に決めた。
「ここを空けるのか」
御者が床を叩いた。
「今は携帯の器具を固定します。使う時には外して、横になれる場所にします。上に重い箱を載せないでください」
「途中で誰かが便利だと思って積むぞ」
「なので、札を付けます」
リシアが空間へ線を引いた。
床に描くなら魔法でもできる、と言ったが、御者は洗い流せる墨を選んだ。
魔法の床を掃除する方法までは知らないらしい。
普通の札は、普通の水で消せることまで含めて役に立った。
イグナスが新しい天幕を広げようとして、門の柱へ紐を結んだ。
門衛がこちらを見た。
「勇者様、ここに拠点を?」
「違う。試してるだけだ」
「今日の出発は中止でしょうか」
「出る。試したら出る」
言葉が真剣なので、門衛は旗を持った兵を呼びかけた。
俺は紐をほどいた。
「試す場所を決めよう。勇者が門へ家を作ると、王都の予定が変わる」
「家ではないんだが」
イグナスは天幕を抱え、荷車の裏の空き地へ移った。
ガルドが柱を支え、エレナが内部へ入る。リシアは留め具を上から確かめた。
俺はひざまずいて、入口の幅を測る。
担架を斜めにしないと入らない。
販売員の説明は、二人用だった。人が二人立つ幅と、一人を担いだ二人が入る幅は違う。
入口の留めを1つ外せば広げられると、御者が教えてくれた。
雨の時は、外した布を横へ垂らす。
実際に空の担架を通した。
ガルドは低く頭を下げながら運び、入口で鎧を引っかけずに出入りできた。
帰りに使わなければ、それでいい。使う日に初めて気づくより、今つまずいた方がよかった。
支払いを終えると、現金は80420になった。
5人が受領票を順番に持ち、確認した項目へ小さく印を付けた。
全部の買い物を全員で決める必要はない。でも今日は、帰りに誰が何を使うかが全員に関わっている。
ガルドの印は大きかった。
「そこは欄の中に収めてくれ」
「俺の名前が小さいと、心配になるだろ」
「名前の大きさで鎧の頑丈さは変わらない」
彼は小さく書き直した。リシアが隣で、字も鍛錬できると言った。
俺たちは門衛に出発を告げた。
今度は天幕を畳んであったので、拠点移転と間違われずに済んだ。
北へ向かう道は、以前の旅より軍の荷が多かった。
すれ違う便に乗せられた修復材の箱を見て、俺はつい値段を考える。
俺が払う荷ではない。
自分の担当範囲を越えて、全部を整頓しようとすると、今日の自分の荷を忘れる。
昼の休憩で、リシアが軍の連絡便へ前線の到着予定を伝えた。俺は残る30000の受領条件の控えを示し、同じ宛先へ向かう便があることを確かめる。
まだ届いていない金は、現金の欄には入らない。
雨に濡れたらどうするかと聞くと、連絡兵は封を二重にしていると答えた。
俺は自分の防水袋の口を見た。
外側の袋が丈夫でも、閉じ忘れたら同じだ。
イグナスが横から手を伸ばし、口の折り返しを整えた。
「お前、財布を分ける時は慎重なのに、自分の袋を閉める時に早いな」
「次のことを考えてるからだと思う」
「今の袋が濡れたら、次の仕事も増えるだろ」
彼は正しかった。
俺は手を止め、留めを確かめた。
日が傾く前に、一行は軍の中継所へ着いた。
ここから先は野営が増える。最後の屋根のある場所で、集合の合図を試した。
俺は笛を持つ。
通常の集合、退路の確保、誰かが動けない時。それぞれの短い音を全員で聞き分ける。
最初の試しで、ガルドが俺の荷を背負った。
「まだ倒れてない」
「音は動けない時だろ」
「試し吹きだ」
「それを先に言え」
俺は袋を返してもらい、試験を始めると宣言した。
戦場で経理が笛を吹いてから、今のは練習だと説明するのは無理だ。
手順の始まりまで揃えておかなければならない。
リシアは、笛が吹けない時の手信号を二つに絞った。複雑な指の形は、怪我と暗がりに弱い。
エレナは誰かが受け取った合図を、次の人へ伝える順番を確かめた。
イグナスは剣を抜いた状態で、盾の後ろを通る距離を測った。
俺が道を空ける場所も、足で印を付ける。
紙に帰還と書くには、こういう準備が要った。
練習のあと、俺だけが遅れた。
荷を片付けて集合地点へ走ると、靴の先が縄に引っかかった。倒れはしなかったが、笛を落とした。
ガルドが地面の笛を拾い、俺へ渡す。
「その紐、短くできんか」
「首へかけたら、引っかけると思って袋に入れてた」
「袋から出す間に、こっちが待つ」
リシアが短い留め紐を出した。首ではなく衣の内側へ固定し、必要な時だけ取り出す。身体ごと持っていかれる長さにはしない。
俺は走ってもう一度試した。
紙の袋は揺れた。笛は落ちなかった。
今度は足を止めずに手信号を出そうとして、違う方の手を上げた。
「あなたは、片手に袋を持っているのね」
エレナが指摘した。
両手を空けた机で決めた形を、そのまま使えると思っていた。実際に持つものを持って試さなければ、試験にならない。
俺は袋を置く場所を決めた。手信号に移る時は、まず自分がどこで止まるかを明らかにする。
イグナスがもう一度合図を受け取り、俺のいる場所へ来た。
「今日は何も襲ってこないから、失敗をいっぱいできる」
「いっぱいしたくはない」
「なら今日、少しだけ余分に」
俺はもう一度走った。人に金を使う理由を説明するための練習より、息が切れた。
最後にガルドが、俺の普段の歩幅に合わせて退路を歩いてくれた。
彼にはゆっくりのつもりでも、俺には速すぎることがある。
「お前の速度を知らんと、置いていかないつもりで置いていく」
言いながら、彼は一歩を短くした。
俺は財布の札へ書くことを、ひとつ減らした。全員の動きを数字だけで決めるつもりは、もうなかった。
夜の食卓では、御者が今日の予定より早く着いたことを報告した。
余った時間で明日の積み替え場所を確かめられる。
ガルドは、もっと先まで進めると言いかけた。エレナが休息の時間を示すと、すぐに口を閉じた。
「帰りを削らず、眠りを削るのも違うな」
「分かっていただけて助かります」
俺は食事のあと、袋をもう一度合わせて数えた。
金は一つの目的から別の目的へ勝手に歩かない。歩くのは俺たちだ。
目的ごとの札を見て、今日増えた紙をそれぞれへ入れる。
帰還用の札が一番見える場所にある。
イグナスはそれを眺めてから、俺の紙の袋を持ち上げた。
「帳面と帰りの切符を同じ袋に入れない方がいい」
「この世界、切符がある区間ばかりじゃないけどな」
「じゃあ、帰りの約束」
受領票と契約の控えの、どれを指したのかは分からなかった。
ただ、なくしたら俺が一人で困るものではないと、彼は分かっていた。
別の袋へ控えを1枚分け、持ってもらう。
「俺が濡れたら?」
「乾かせ。お前ごと」
イグナスは笑って、自分の袋を閉じた。
ガルドは先に寝床へ横になっている。
眠る前に、俺たちの人数を数えたらしい。
「5人。明日も同じだな」
「途中で誰かを助けたら、増えるかもしれない」
エレナが言った。
「減らす予定はありません」
俺は灯りを消す前に、帰還の札が付いた袋を手元へ寄せた。
朝に分けた時より重く感じたが、もう一度数える必要はなかった。




