第36話「高い計画を出す日」
「20000減らせば、もっと印象はよい」
軍の予算担当者は、俺の計画書の端を指した。
帰還輸送と救護の追加枠が並んでいる。
魔王を倒すための剣でも、城壁を破る魔法でもない。報告の見出しにするには、いまひとつ派手でなかった。
「印象は、帰ってから聞けますか」
俺は尋ねた。
「討伐の成功が先だろう」
「成功した人を、帰りの道で置いてくる計画にはできません」
背後でイグナスが息を吸った。
口を挟むと思ったが、彼は何も言わなかった。
今日は勇者の権威で書類を通す日ではない。俺が必要な費用を、自分の言葉で説明する日だった。
出した追加申請は、80000ルーン。
当初の交付120000に、途中の追加60000。今回の80000が認められれば、公費の承認総額は260000になる。
八万全部が、今の袋に入っているわけではない。
現金は39920。これまでに支払ったものと、返金されたものと、活動に伴う収入は別々の欄へ記録した。
既に持っている薬は在庫として数え、新たに買う分だけを今回の費用へ入れる。売るつもりもない盾を時価で評価して、現金が増えたことにするような計画は作らない。
「勇者の剣の価値を担保にすれば、見かけの不足は減るのでは」
別の担当者が言った。
イグナスが剣の柄を見た。
「討伐中に預けるわけにはいかないだろう」
「売却ではなく、価値の計上です」
「魔王がその価値を見て倒れてくれるなら、便利だな」
俺は吹き出しそうになり、紙を見るふりをした。
担当者も、それ以上は剣を現金の欄へ入れなかった。
安い計画も作ってはいた。
いくつかの装備を後回しにし、負傷者の輸送に追加の便を頼まず、帰路の予備日を減らす。
数字だけなら、確かに見栄えがする。
しかし魔王の前で全員が無傷で勝ち、予定の日に必ず城を出ることを前提にしている。
前提が一つ崩れるたび、誰かを歩かせるか、次の担当者へ未払いを押し付ける計画だった。
俺は廉価案へ線を引いた。
「提出するのは、こちらです」
赤い線のない、高い方を机の中央へ置く。
節約のために書いたページを、自分で引っ込めるのは落ち着かない。
前の世界なら、費用を減らす数字を見つけると少し嬉しかった。今もそうだ。
その嬉しさで、帰りの荷車を消してはいけない。
「余裕を持たせる項目が多すぎるように見える」
担当者は戻ってきた。
「同じ不足を二重に備えていないか?」
「そこは確かめました。帰りの輸送は負傷者が出た時のもの。魔法の予備1回分は、戦闘中に敵の外殻を割るものです。片方があれば片方が不要になる関係ではありません」
リシアが術式の段階表を示した。
最初から最大出力で全てを燃やす案ではない。敵の反応を見て、剣が届く部分を作る。相手の形が予想と違えば、もう一回調整する余地を残す。
「予備を確実に使うのですか」
「確実なら予備とは呼ばないわ。でも、使わないことを約束して買う品でもない」
彼女は薬の欄を指した。
「余ったら、未使用品の扱いを報告する。そのための記録もある」
説明の途中で、俺の横へ、彼女が計算した用紙が滑ってきた。
数字の見せ方は俺が直した。魔法1回に何が要るかは、彼女が確かめている。
どちらか一人で80000を説明しているわけではなかった。
エレナは、怪我を治す費用を説明した。
治癒魔法があるなら薬を減らせる、という問いは、何度も受ける。
彼女は相手を責めず、休息と処置に必要な時間を並べた。
「私が倒れた時も、誰かが傷を塞ぐ必要があります。私の魔力は、隊の予定表に合わせて戻るものではありません」
「では神殿の共用薬を持っていけば?」
「村で使う分です。私たちの討伐へ、無断で持ち出す契約ではありません」
箱を作ってから、まだ日が浅い。
彼女はもう、自分の箱ではない薬を守ることができた。
ガルドは撤退の器具を説明した。
自分が歩けなくなった時、鎧ごと運ぶのに何が必要か。
担当者が、鎧を脱げば軽くなると言う。
「敵がまだいるところで脱ぐなら、運ぶ人を余計に守らんといかん」
彼は落ち着いて答えた。
「安全なところへ出てから、外す。それまでは俺の鎧が、周りの盾でもある」
安くする時に省く順番と、戦場で脱ぐ順番は同じではなかった。
イグナスは最後に、退く判断を説明した。
勝つための申請なのに、退く話が出る。
担当者の一人が、士気を損なわないかと聞いた。
勇者は顔を上げた。
「勝てる日まで戦う。今日全員を失って、明日の計画をなくすことはしたくない」
俺は自分の計画の、一番最後の行を見た。
生存者の帰還輸送。
生存者と書くと、数が未定になる。5人とだけ書けば、途中で助けた人を載せられない。
だから人数の見込みと、増えた時の費用を別にしてある。
イグナスは、その紙を何度も読んでいた。
「誰を置いてくるかを考えるのは、城へ入る前にしたくない。載せ方を考えてから行きたい」
担当者は廉価案をもう一度見た。
褒めはしなかった。
ただ、その紙を重ねて脇へ置いた。
審査は、その日のうちに全部終わらなかった。
前線の受け取り責任者を確認し、軍の補給と隊の購入が重ならないかを照会する。
俺は夕方、別の部屋で軍の在庫表を見た。
同じ縄が両方に載っていた。
帰還用に軍が用意する長い縄と、隊が城内で使う短い縄。名前だけを揃えると二重購入に見える。長さと用途を記入し直すと、それぞれ必要だと分かった。
逆に、運搬用の金具は軍の在庫に余りがあった。
現地で貸し出してもらえる。こちらの購入から外し、返すための番号を記録する。
「高い案を出したあとで、減らしていいの?」
リシアが聞いた。
「要らないものを買う宣言はしてないからな」
「よかった。80000のために80000使う人になったのかと思った」
俺も、少し意地になっていたのかもしれない。
必要だから高いと説明したなら、不要になったものは外す。残る資金は、決めた範囲の予備として扱う。全部を使い切ることを成果にはしない。
王都で待つ間に、ハルゼの店へ寄った。
最終調整を頼むために、本人を魔王城まで連れていくつもりはない。ガルドの鎧の要所を見てもらい、前線の職人が使える指示を書いてもらった。
ハルゼは、鎧の内側へ指を入れて眉を上げた。
「留め具が働いとる。お前の腹より働いとるな」
「俺も働いてるぞ」
「飯の時にな」
ガルドは反論しなかった。否定すると、今日の夕食に響くとでも思ったのだろう。
ハルゼの設計は軍の連絡便で先に北へ送る。俺たちが着いてから、図面が追いかけてくるのでは遅い。
剣についても保証の範囲と、最終保守で別に費用が必要な部分を確かめた。
「壊れたら全部無料、ではないんだな」
イグナスが尋ねる。
「買った剣を、何度でも新品に生やす契約なら、わしは神になっとる」
ハルゼは紙へ線を引いた。
握りの点検と、敵の外殻に対応した調整は別。保証の約束は守るが、討伐のたびに増える必要は都度確かめる。
俺はその区別を写した。
最初に剣の値段を見た時より、同じ48000の意味が多くなっていた。
2日後、申請の承認が下りた。
80000のうち、まず50000が交付される。
残る30000は、北方の拠点へ着いて受領確認が届いたあと、前線へ運ばれる。
承認額と、受け取った額を分けて記入した。
80000認められたからといって、今の財布へ80000足さない。
50000を確かめて受け取り、出発の輸送契約へ1500を支払う。
39920に50000を足して、1500を引く。
現金は88420ルーン。
財布は、数字より分かりやすく重くなった。
ガルドが持ってみるかと言った。
「重さを確認するために、わざわざ任せる必要はない」
「信用してないのか?」
「お前が持ったら、軽いと言うだろ」
ガルドは、その通りだと笑った。
受領した袋の封を切る前には、もう一つ仕事があった。
交付係の数えた50000を、そのまま俺の数えた50000にしてはいけない。
種類ごとに分け、枚数を記し、交付係ともう一度突き合わせた。大きな貨幣だけでは、北へ行ってから小さな宿代を払いにくい。事前に頼んだ小銭の組み合わせも確かめる。
1000の貨幣の列を見て、ガルドが目を輝かせた。
「盾の留め具みたいだな」
「留めるなよ。全部別々に払うための金だ」
「知ってる。こうして並ぶと丈夫そうだ」
リシアは数え終えた列へ布をかけた。風で紙が飛んでも、どこまで済んだか分かるようにする。
エレナは窓を閉め、イグナスは入口から来た人に少し待ってもらった。
俺の指が止まっても、誰も続きを勝手に足さない。
50000を数えた証拠に、勇者の力は要らなかった。集中できる数分を4人が作ってくれたことは、確かに役に立った。
最後の列が一致すると、交付係が肩を下ろした。
「お互い、明日数え直す必要がありませんね」
俺は印を押した。明日の俺より、今日のこの人が先に楽になった。
交付窓口では、計画の控えと残り30000の条件を受け取った。
係員が、前線へ送る宛先の綴りを読み上げる。
俺は返事をし、リシアにも確認してもらった。
俺の名前が読みづらければ、金の袋が届かなくなるかもしれない。
イグナスの名前へ変えれば有名だから大丈夫、という案も浮かんだが、担当者が混乱するだけなのでやめた。
「ナオトの名で届く金なんだな」
イグナスが言った。
「隊の金だ。受け取り担当が俺」
「じゃあ俺たちも、届くようにしないとな」
彼は前線の連絡役へ、自分たちの到着予定を説明した。
名の知られた人が、知られた名でできることを使う。俺の責任を奪うのではなく、俺の受け取りまでの道を守ってくれる。
エレナは救護担当へ出発日を知らせ、リシアは保管する薬の箱を確かめた。
ガルドは店で借りた鎧の調整具を返した。
返却の印を忘れずにもらってきたので、俺は少し驚いた。
「これがないと、帰ってからお前が困るんだろ」
彼は短く言った。
夕食の机に、5人分の計画の写しを置いた。
イグナスには進路。リシアには術式と資材。エレナには救護と交代。ガルドには装備と運搬。俺には支払と受領。
それぞれの紙は違うが、退く時の合図と、集合場所は同じにした。
ガルドが俺の紙を覗いた。
「節約係が、一番高い計画を出したな」
「経理係だ」
「なら、今日は必要な重さを増やした係だ」
彼は財布に手を伸ばさず、俺の肩を一度叩いた。
俺は袋を膝に置いたまま、パンを食べた。
隣でイグナスが、旅先で買う靴紐にも受領票が要るかと聞いた。
「公費で買うなら。私物なら自分で」
「まだ切れてない。先に聞いただけだ」
俺は頷いた。
彼の剣より安いものを、先に確かめる会話ができた。
明日は、帰るための金を分けてから出発する。




