第30話「凍るのは財布だけ」
交付保留、という4文字を見て、俺は財布を掴んだ。
閉じる必要は、なかった。
机へ届いた通知は、手元の現金を没収する命令ではない。
俺は最初の1行で、残りを読まずに動いていた。
「ナオト。続きを、読もう」
イグナスが、紙の下半分を指した。
俺は財布を、紙の脇へ置いた。
王国会計監査院の印。その下に、ゼフィナの署名。
討伐隊に関連する公用輸送の請求について、内容の一致しない資料があり、確認が必要。
次の追加交付の審査は、照合が終わるまで保留。
既承認の活動と手元の活動費は、使用目的の範囲で継続可能。
資料と現物の対応を説明できる者は、王都へ出頭し、確認に協力すること。
俺は財布を机の端へ寄せ、通知の続きを広げた。
「今の金は、使えます」
口に出すと、リシアが短く頷いた。
「そうね。薬の補充を全部止める話ではない」
俺は、残高44970を確かめた。
通知が来たからといって、硬貨は消えていない。
将来の交付が保留になったことと、今日払える金がなくなったことは違う。
初日に未精算を未払いと取り違えた時と、似た失敗だった。
大きな文字を見ると、意味を確かめる前に怖くなる。
追加4800の請求は、まだ払っていない。
古い輸送費の誤集計4800は、返金を受け、訂正通知を出した。
それなのに、どうして新しい交付まで保留になるのか。
俺はその2つを分けた説明を、公用伝令で送ることにした。
連絡と書類の手配に、700ルーン。
残高44270。
支払える金の範囲で、確認のための費用を使う。
恐怖を理由に、全部を止めない。
通知には、照合する資料の番号が並んでいた。
俺たちが照会した追加請求。
組合が訂正した古い請求。
別の部署から届いた、物資受領の確認。
最後の1枚だけ、俺たちの帳面にはなかった。
隊が3箱を追加で受領した、とあるらしい。
受取人の欄には、隊長の名が書かれている。
イグナスは通知を読み、静かに首を振った。
「その3箱は、受け取っていない。署名も、していない」
俺は彼の言葉を、紙へ残した。
怒る前に、照合する場所を決める。
名前が同じだから、本人が確認した紙とは限らない。
実際の署名があるのか。誰が記入したのか。隊がどこにいた日の受領か。
その原紙は、王都にある。
写しだけで、全部を判断する場所にはいないのだった。
「俺が、説明へ行きます」
言うと、イグナスは俺を見る。
「一人でか?」
「帳面をまとめたのは、俺です。必要な記録を持って戻れば」
「物を受け取ったのは、皆だ。俺の名前があるなら、俺も行く」
リシアが薬の記録を出した。
「薬と石の数は、私が説明する。あなたが全部の箱を見たわけではないでしょう」
エレナは救護の引継ぎの紙を寄せ、ガルドは輸送の見取図を置いた。
俺が一人で疑いを解こうとすれば、また誰かの仕事を全部代弁する形になる。
分担して作った報告を、説明する時だけ一人に戻す必要はなかった。
「5人で、帰ろう。軍へ調査の続きを渡して、こちらの確認を先に済ませる」
イグナスの判断に、全員が頷いた。
魔王への道が止まるのを避けたくて、一人だけ王都へ送るつもりだった。
その一人が途中で困れば、確認も遅れる。
残った隊が資金の情報を失えば、次の調査も困る。
別れて進む方が、必ず早いわけではない。
軍の連絡官へ、帰還の予定を伝えた。
荷札と空箱の照合は、軍が続ける。
俺たちが見た記録と、未確認の仮説を渡す。現物の箱を持ち去ったわけではないため、軍はそのまま現地で調べられる。
民間の迂回についても、護衛が必要な場所を確認する。
今日の帰還で、村の食料を元の危険な道へ戻すような手順にはしない。
仕事を引き継ぐ相手が決まってから、出発する。
俺は荷物を整理した。
原紙、写し、照会中の資料。袋を分け、誰にどれを見せるかを書く。
全部を1つの紙束にすると、提出したあとで手元の根拠が消える。
原紙を預ける場合は、預りと返却の確認が必要だ。
ゼフィナの通知にも、その手順が示されていた。
彼女は俺たちを罠にかけるために、何も説明せず紙を集めているわけではない。
確認したい資料と、持ってくる物が具体的に書いてある。
「監査官は、敵ではないんですね」
俺が呟くと、イグナスは通知の印を見た。
「そう思いたい。ただ、こちらの仕事を説明する必要はある。味方だから、そのまま信じろとは言えない」
「はい」
「俺も、必要な剣を買った時、理由を聞いてもらった。今度も同じだ」
48000の剣を、最初に返品したくなった俺の顔を覚えているらしい。
俺は少し笑い、その剣の保証書も用意した。
直接関係しない支出でも、隊の装備と費用を確認する時に必要かもしれない。
ただし、相手が求める前に全部を机へ広げて、読めと言う形にはしない。
必要な物へ、すぐたどり着けるよう分ける。
ガルドは、荷運び具を点検した。
俺も隣で、留め具を動かす。
1200の鎖は、今日も必要な場所へ持つ。
王都へ向かう道だから危険がない、と考える理由はなかった。
魔王の軍が道を使い、請求の書類も道を通っている。
戦いと金の話は、別の部屋で起きていても、同じ隊に届く。
「帰る費用は、足りるか」
ガルドの質問へ、俺はすぐ答えた。
「4日を見込んでいます。今の現金で、戻れます。まだ申請していない最終討伐の費用まで、足りるとは言えません」
「そこが分かればいい。今の袋まで、閉める必要はないな」
彼は、俺が最初に財布を掴んだのを見ていた。
恥ずかしかったが、否定しない。
「はい。怖い時ほど、最後まで読むようにします」
「読めなくなったら、声に出せ。俺も聞く」
ガルドは紙を得意とは言わない。それでも、俺が読む声を聞いて考えることはできる。
別の仕事をする人が、別の場所で支えてくれる。
俺は原紙の袋を彼へ一度渡し、重さを確かめてもらった。
自分で持てる量だった。重くなったら相談すると、前に約束している。
夜、ゼフィナへの返答を書いた。
追加請求は未払い、内容照会中。
古い誤集計は返金済み、訂正通知の番号を添付。
3箱の追加受領は、隊の記録にない。隊長は署名をしていないと説明。
王都で原紙を照合するため、5人で帰還する。
疑いが不当だと大きな字で書くのではなく、相手が確かめられる事実を並べる。
怒った紙を送っても、3箱の場所は分からない。
イグナスが返答を読み、確認の署名をした。
リシアは薬の表を、エレナは治療の記録の照会先を確認する。ガルドは荷の番号を見る。
俺が文をまとめても、皆の確認は消さない。
封をすると、初回報告の時より手順は速かった。
慣れた部分がある。
怖くなって取り違える部分もある。
両方を抱えて、次の仕事へ進むしかない。
眠る前、俺は財布を箱へ入れた。
使えなくなったから閉じるのではない。夜、不要な時は保管する。
同じ動作でも、理由は違う。
袋の中には、44270ルーンがある。
行程は、王都へ戻る4日間。
次の交付は保留でも、俺たちの足まで凍ったわけではなかった。
翌朝、イグナスが出発の合図を出した。
俺は財布と帳面を持って、荷車の横へ立つ。
ガルドは鎧を着たまま、まず足元を見た。
エレナが俺の膝を確認し、リシアは薬の箱を閉める。
王都へ説明に戻る旅も、5人で歩く旅だった。
公費の通知は、乾いた袋の中にある。
俺は最初の4文字ではなく、最後の条件まで読み終えた。
馬車へ積む前に、原紙の袋をイグナスへ見せた。どこへ置くか、途中で取り出す時は誰へ知らせるかも決める。経理担当だけが分かる場所へ隠して持つのではない。今日も皆が同じ情報を持って進む。その準備が終わると、勇者は帰り道の方を向き、短く出発を告げた。俺は通知の重さより、鞄の紐を確かめて歩いた。




