第3話「薬を飲む順番」
薬を安くすれば、旅費が残る。
そう考えた俺は、まず薬の味でつまずいた。
「これは、飲めます」
口をゆすいでから答えると、リシアが小さな瓶を置いた。
「飲めるのは、知っているわ。飲んだあと、手を見て」
俺は両手を机の上に置いた。
昨日の剣の実演と、その後の紙探し。今朝はイグナスに逃げ方を教わった。足を交差させず、視界を残して横へ動く。それだけの練習で、俺は息を切らした。
練習中にぶつけた肘の赤みが、小さくなっている。
飲んだ薬は、身体の回復を助けるものだった。
「効きました。少し」
「少し、は正確ね。まだ腕が重いでしょう」
俺は腕を上げてみた。
軽くはない。身体を酷使する習慣がなかったことまで、小瓶一つで消えるわけではなさそうだ。
「それが安い方ですか」
「ええ。休める場所で使うには、十分なことが多い。戦いの最中に使うなら、遅い」
リシアが別の小瓶を隣へ置いた。
濃い青の液体が入っている。昨日の支出一覧で、一番高い単価がついていた薬だった。
俺は見比べる。色の濃さから効き目が分かれば便利だが、仕事をする上では便利すぎる判断ほど疑った方がいい。
「高い方も、飲んで確かめますか」
「あなたには飲ませないわ」
「危ないんですか」
「無駄だから。今のあなたは、魔力を使い果たしていないもの」
リシアは、今日最初の小さな笑みを見せた。
俺の疲労のために高級薬を1本消費するところだった。値段を疑うための実験が、高い支出になっては話が違う。
彼女の小冊子を開く。
薬剤代21600。回復薬、魔力回復薬、止血用の薬、触媒の保管液。品名だけでも四つに分かれていた。
俺がひとまとめに薬と呼んだものを、彼女は別々の道具として扱っている。
「全部、同じ店で?」
「同じ薬店。支払った時の紙は、イグナスが持っていたはずだけれど」
勇者は、机の向こうで荷物の紐を結んでいた。
「受け取った。剣の保証書と一緒には、入れなかった」
「それは昨日、分かりました」
「たしか、店の紙袋に……」
食料棚へ、全員の目が向く。
ガルドが棚を開け、中の袋を一つずつ見る。粉の袋、干した豆の袋。最後に、何も入っていない紙袋が出てきた。
底には、四角く折った紙があった。
「薬は箱へ移したが、紙は袋へ残ったってことだな」
「そうだ。すまない」
イグナスは受け取り、俺へ渡した。
商店の印と日付、総額は読める。内訳の文字は、袋の中で擦れて薄くなっていた。
あるだけでは、十分でない場合もある。
「見つかったのは助かります。ただ、品目の数量を店で確認したいですね」
「私も行くわ。返せる薬があるか、聞きたい」
リシアの返事に、俺は顔を上げた。
「使わない薬があるんですか」
「使う場面が変わったの。前の街道では強い魔獣を何体も迎え撃つ想定だった。次の道なら、毎回同じ出力を使う必要はない。余った分を全部持てば、保管にも気を使う」
俺が薬を減らしたいと言うより先に、彼女は減らせる場所を考えていた。
必要か不要かは、箱の大きさでは決まらない。
そのことを、昨日から何度も教わっている。
薬店へ行く前に、リシアは手持ちの魔石も調べることにした。
薬を飲む実験とは別に、石に残った力を、細い光の線へ変えて確かめる。
測定用の触媒を買うのに、600ルーンかかった。
箱から出した白い砂が、卓上の皿へ薄く敷かれる。
「買う前に、聞いてくれたんですね」
「今から何をするか決まっているから、聞けるわ。戦闘中にも毎回聞けと言われたら、困るけれど」
「そこで返事を待たせる仕組みにはしません」
俺は600の紙を帳面の頁へ挟む。
8000あった現金は、7400になる。
測定の目的は2つ。今ある魔石の残りを確かめることと、薬の種類ごとに使う場面を説明できるようにすることだ。
リシアが皿の上へ石を置く。
薄い線が、砂の上を走った。
同じ種類の石でも、線の長さが違う。
「使いかけの石ですか」
「そう。これが使い切りに近い。こちらは、まだ半分ほど残っている」
「残っている分を使えば、新しい石を買わずに済む」
「小さな術式ならね。大きな術式に途中の石を使って、力が切れたら危ない。残量だけじゃなく、必要な出力を見て」
俺の頭に浮かんだ節約案は、条件付きで採用された。
リシアは否定するだけではなく、使える場面を残してくれる。小さな熱を維持する、灯りを保つ。野営で使う分を、使いかけの石へまとめる。
高い出力が必要な石は、戦闘用に分ける。
「こちらの袋が野営用。こっちは戦闘用ですね」
「ええ。あなたが持つなら、口を間違えて開けないように」
俺は2つの袋に、違う形の紙札をつけた。
字が濡れて読めなくなっても、手で形を確かめられるよう、片方の端を切る。リシアが触ってみて、頷いた。
「こういう工夫は、助かるわ」
俺が魔術師に褒められた最初の仕事は、紙を切ることになった。
世界を救う術式とは遠いが、袋を間違えれば、それも困る。
昼過ぎ、薬店へ着いた。
細長い店の棚には、小瓶が並んでいた。窓から入る光を避けるように、青い瓶は奥に置かれている。
店員は、薄くなった領収書とリシアの小冊子を照合した。
同じ日付、同じ総額。俺は数量を読み上げ、リシアが箱の中身と照らし合わせる。
「この6本は、開封していません」
彼女が、1つの箱を示した。
蓋の封が残っている。店の印の上を、細い線が横切っていた。
店員はその線を見て、返品の条件を説明した。封が残っていること。保管期限を過ぎていないこと。中身を確かめるために開けた場合は、別扱いになること。
条件は、明日もう一度確認してから手続するという。
俺は急いで返金額を財布に足さなかった。
戻るかもしれない金は、まだ戻っていない。
「明日、受け取れる見込みは3600ですね」
「封の確認が済めば、そうね」
リシアが箱を持ち直す。
店員の前で、返せる物と返せない物を分けて並べる。使った分まで返そうとはしない。
その手際を見て、俺は聞いた。
「俺が来なくても、返品を考えていましたか」
「ええ。でも、金額だけなら急ぐ必要がないと思っていたかもしれない。昨日の壁の数字を見たから、今日来たの」
残高7400。
壁に貼るために書いただけの数字が、誰かの判断を変えていた。
俺の手元に抱え込まなくてよかったと思う。
隊の部屋へ戻ると、エレナが俺の肘を見た。
朝の薬で赤みは引いたが、動かすとまだ痛む。
「明日は、練習を少し短くしてください。治る前に同じ場所をぶつけると、薬も休む時間も必要になります」
「俺の練習まで、費用になるんですね」
「費用になる前に、あなたが痛いでしょう」
優しい声なのに、返す言葉がなかった。
まず痛む人がいて、それから治療と支出がある。順番を、帳面から考えると逆にしそうになる。
イグナスは紐を結び終え、俺の方を見た。
「明日は足の置き方だけにする。速く動くのは、その後だ」
「分かりました。俺の方も、薬を安い順に並べるのはやめます」
リシアが、小冊子を開き直す。
「使う順番なら、考える価値があるわ。最初に飲む物と、最後まで残す物。どちらも必要だから」
彼女は青い小瓶を、戦闘用の袋へ入れた。
安い薬だけを残せば、帳面の単価は下がるだろう。けれど、薬を飲む人がその次の一歩を動けなければ、安くなった数字に意味はない。
俺は新しい頁を作った。
品目。残数。使う場面。補充が必要になる時。
金額を書く欄は、最後へ置いた。
それを見たリシアが、ペン先で頁の隅を指す。
「ここにも、欄を1つ足して」
「何の欄ですか」
「使った人。今日みたいに、会計担当が飲むこともあるわ」
俺は自分の名前を書いた。
その下へ、理由を書く。
魔王討伐のため、と書くには大げさだ。
避難の練習で、肘をぶつけたため。
ありのままにすると、ずいぶん小さな仕事に見えた。
「それでいいのよ」
リシアは頁を確かめ、青い瓶の口を一つずつ点検した。
「あなたが書く帳面なら、あなたが帰ってこないと困るもの」
壁の数字を、7400に直す。
小さくなった財布の横で、俺の名前が最初の使用者になった。




