第2話「伝説の剣にも保証書」
48000ルーンの剣を手にするために、420ルーンを支払った。
剣そのものを買ったわけではない。俺が昨日、見せてほしいと言ったために、試験場を借りる必要が生まれたのだ。
「抜くだけなら、昨日の部屋では駄目なんですか」
「抜くのはいい。振るのは駄目だ」
イグナスが、王国の訓練場の端で答えた。
背後には、杭を打った四角い区画がある。周囲の石壁には傷があった。いくつかは、俺の身長より長い。
「机を壊すからですか」
「壁が、その向こうの部屋ごと壊れるかもしれない」
俺は利用料の紙を、丁寧に折った。
追加の修理費がないだけで、今日の420は妥当かもしれない。
現金残高は8000。急に丸くなった数字を喜ぶ理由はなかった。
訓練場には、兵士が2人ついていた。区画の安全確認と、試験素材の搬入を担当するらしい。
運び込まれたものは、黒い板だった。厚さは指三本ほど、長さは机1台分。表面に、小さな粒が並んでいる。
「街道で倒した甲殻獣の外皮だ。砦に出る個体も、このくらいの硬さがある」
イグナスは黒い板を指で叩いた。
乾いた低い音がした。
「普通の剣でも切れますか」
「工夫すれば倒せる。脚の付け根や目を狙う。ただ、集団で来たら、その時間が取れない」
彼は腰の短い剣を抜いた。
高価な方ではなく、予備として持っている剣だ。刃の曇り方に、使ってきた時間が見えた。
「俺の腕で、普通の剣を使うと、こうなる」
板へ一歩近づき、剣を振る。
短い音がして、黒い表面に白い筋がついた。
板は割れなかった。
それでも、あの一振りを人に向けられたらと思うと、俺は少し後ずさった。イグナスは振り返り、俺の立ち位置を確認してから、予備の剣を収める。
「もう半歩、下がってくれ。次は、欠片が飛ぶ」
ガルドが俺の前に盾を立てた。
壁になるというより、俺が顔だけ出さないように、肩へ手を添える。
「見る時も、生きて見ろよ」
「言われなくても、その予定です」
「予定があるなら守れる。膝を少し曲げろ」
言われた通りにした。盾の後ろは、思っていたより狭い。一人で構えるガルドの身体が大きいせいかもしれない。
イグナスが背の剣を抜く。
白い刃だった。眩しい光を出すわけではないのに、黒い板の前で輪郭がはっきりする。
彼の顔から、さっきまでの会話の柔らかさが消えた。
刃が動いたところを、俺は追えなかった。
音がしたあとで、板の向こうに空が見えた。
黒い板は、縦に二つに分かれていた。
分かれた方の1つが倒れ、地面へ当たる。ガルドの盾に小さな欠片が触れた。
俺は紙を握ったまま、息を止めていた。
「今ので、触媒を使いましたか」
ようやく出た質問に、リシアが少し眉を上げる。
「剣の性質よ。イグナスの魔力を通している。誰が握っても同じ、という品ではないわ」
「使う人の力が、必要なんですね」
「もちろん。あの板を割れても、動く敵を相手に刃を通せなければ意味がないもの」
イグナスは剣を下げて、板の切り口を確認していた。兵士の一人が近づこうとすると、手で待つよう示す。欠片が落ちるのを確かめてから、後ろへ下がった。
強さだけではなく、その周りで人が動くことまで見ている。
昨日、俺が紙の一覧を見た時には、見えなかった部分だった。
「分かりました。これは、返品しません」
「返品するつもりだったのか?」
イグナスが、剣を鞘へ戻す手を止めた。
あまりに正直な声だったので、俺も正直に答えるしかなかった。
「理由を聞いて、不要なら考えようと思っていました。原予算の4割でしたから」
「4割。そうか」
彼は自分の剣を見た。
怒る様子はない。数字にするとそうなるのかと、初めて別の位置から見ているようだった。
「俺も、必要だと説明してから相談した方がよかったな」
「その時は、俺はいませんでした。今から確認できればいいです」
「でも、金は無限じゃない。それは、俺も知っている」
イグナスの目が、黒い板の残りへ向く。
「買う時、鍛冶師に言われたんだ。魔王へ刃を届かせるには、城まで持っていかなければ意味がない、と」
「いいことを言う職人さんですね」
「いい人だ。保証もつけてくれた」
そこで、俺たちはほぼ同時に黙った。
保証書が見つからない。
いい人の、いい条件を使うための紙が、どこかにあるはずだった。
試験場を返す前に、イグナスは普通の剣の刃を点検した。
俺は、切れなかった方の剣も大切にしていることに気づく。
「そちらも、まだ使うんですか」
「使う。狭い場所では、こっちの方が抜きやすい。人を守る時、長い剣が邪魔になることもある」
高い剣を買えば、安い剣が全部いらなくなるわけではない。
俺は利用料の紙の裏へ、試験結果、と書きかけ、やめた。領収書をメモ用紙にすると、あとで探す自分が困る。
別の帳面を出して記録した。
主武器は、魔獣の外皮を破るため。予備武器は、狭所の護衛用。
必要なのは、その2本を使い分ける人だ。
昼前、隊の借りている部屋へ戻った。
保証書探しは、全員の荷物をひっくり返すところから始めなかった。まず、イグナスに受け取った時のことを尋ねる。
「紙は、剣と一緒でしたか。それとも別ですか」
「別だった。刃を包んだ布を渡されたあとに、封筒をもらった」
「封筒に、何か印は?」
「赤い槌の印があった」
「最後に、その封筒を見たのは」
イグナスが考え込み、ガルドが天幕の束へ目を向けた。
「外へ出る前、雨だったろ。お前、紙を濡らすなって、どこかへ入れてたな」
「そうだ。濡れない袋に……」
リシアが、自分の足元の箱を引き寄せた。
「薬の箱には入っていないわ。私が昨日、全部並べ直したから」
「俺の食料袋にもない。昨日、肉を出した時に見た」
「神殿へ持っていった書類には、ありませんでした」
確認が済んだ場所を、一つずつ候補から外す。
誰も、どうしてなくした、と追及しない。探す範囲が小さくなるにつれ、俺の頭も落ち着いてきた。
イグナスが、天幕に結びつけた小袋を外す。
火口を入れる、油を塗った袋だった。
「あった」
中から出てきた封筒には、赤い槌の印があった。
少し煙の匂いがする。焚火には入らずに済んだらしい。
「火をつける物と、大事な紙を一緒にしないでください」
「そう言われると、おかしいな」
「濡れない袋を選んだことは、正しいです」
イグナスは、困った顔のまま少し笑った。
俺が両方言うのを待っていたような笑いだった。
保証書は、思ったより短かった。
製造上の欠陥は無償対応。通常使用での刃先の傷は、1回まで補修。持主の変更、他者による改造、魔力系統の破損は別協議。持込・運搬・検査に必要な実費は購入者の負担。
保証という字の下に、無料という字は1つしかなかった。
「無償で直せる場所と、有料になる場所が違いますね」
「全部ではないのか」
「全部とは、書いてありません。今のうちに、状態を確認してもらいましょう」
刀身の根元に、小さな番号があった。保証書の番号と一致する。
俺はその番号を控えて、封筒に紙の帯をつけた。聖剣保証書。大きく書いて、皆に見せる。
「ここに置きます。持ち出す時は、俺に一言お願いします」
「剣を持ち出す時も?」
勇者の真面目な質問に、俺は首を振った。
「戦う時は、紙を待たないでください」
ガルドが小さく吹き出した。
俺も笑ったが、その線引きは忘れずに書いた。
戦うための許可と、金を使った事実の確認は、同じ仕事ではない。
王国の委任状に、イグナスが現場で人を守る裁量を持つとあった。俺が来たからといって、剣を抜く権限を取り上げることにはならない。
必要なのは、その判断を次の旅でも続けられるようにすることだ。
保証書を保管したあと、イグナスは机の横で、腕の長さを測るような仕草をした。
「ナオト。今日、盾の後ろで固まっていたな」
「戦闘を見るのは、初めてですから」
「明日は、逃げる時の足の置き方を教える。剣を持てとは言わない」
俺は机の下の自分の足を見た。
紙を探す間、よく働いていたのは手ばかりだった。旅では、足も必要になる。
「授業料は、いくらですか」
「取らない」
「じゃあ、その代わりに」
俺は財布を持ち上げた。
「今の残高を、皆が見られるようにします。俺だけ分かっていても、相談はできません」
8000ルーン。
紙に書いた数字を、壁へ貼った。
昨日より420減っている。減った理由は、今日の全員が知っていた。
「それがあると、私も相談しやすいわ」
リシアが薬の箱を持って、机へ来た。
箱の蓋には、店の封が残っている。隣には、開封済みの小瓶が整然と並んだ。
「全部必要だと思って買ったの。でも、使ってみたら、出番の違う薬があった」
「明日、確かめましょう。値段だけで決めないように」
「そうね。今日は剣が教えてくれたもの」
彼女は机の上の保証書を見た。
俺は、48000の剣に頭を下げる代わりに、使う人へ頷いた。
別の帳面に控えた48000という数字の横へ、俺は今日見た刃の傷を描いた。昨日の俺には、ただの高い剣だった。




