第22話「火力の見積書」
魔獣の装甲の厚さを、俺は紙へ書いた。
次に、その数字を消した。
全部が同じ厚さだと考えたら、計算は簡単になる。簡単になっただけで、戦いまで簡単にはならなかった。
「測れたのは、倒した個体の一部よ」
リシアが、俺の紙を指した。
「生きて向かってくる物は、別。薄い個体も、もっと硬い個体もいる」
「では、この数字は参考値ですね」
「ええ。予想の上限と、確認済みを混ぜないで」
白石砦の壁の上で、俺たちは明日の迎撃を相談していた。
王都で初回報告を作った時には、支払った物の用途を確認した。
今日は、これから使う物と、起きるかもしれないことを考える。
同じ帳面の上でも、仕事の向きが違った。
白石砦へ着いたのは、昼過ぎだった。
王国の兵が守る砦で、北へ向かう街道の入口にある。ここが閉じれば、人の移動も、物資も止まる。
砦には食料と水がある。ただ、戦闘用の魔石が十分ではなかった。
敵は、2つの谷を通って近づいているという。
数は確認中。魔獣の群れに、魔王軍の兵がついている可能性もあった。
「一度、大きな術式で止められる?」
イグナスが尋ねる。
リシアは谷の幅と、砦の壁を見た。
「止められる範囲は広い。でも、後ろに別の群れがいれば、次に大きい物を出すまで時間が必要。全部見えてから決めたい」
「小さい物を、何度か使う方がいいか?」
「小さければいいというものでもないわ。装甲が厚い個体に弱い術式を重ねると、石を使うだけになる」
高い大技を1回。
安い小技を何回か。
その二択だけなら、俺は総額を比べて済ませただろう。
実際には、敵がどこへ来て、誰が止め、その間に何ができるかまで必要だった。
イグナスは兵の配置図を持ち、ガルドは壁へ出入りする階段を見ている。
エレナは、負傷者を運ぶ場所を先に確認していた。
俺だけが術式の値段を決めても、迎撃の計画にはならない。
リシアは、紙の上へ2つの輪を描いた。
最初の輪は谷の狭い場所。
次は、壁の手前。
「1段目で、足を止める。装甲の薄い個体はそこで倒す。厚い物だけ近づいたら、2段目で出力を上げる」
「2段目までの間は、俺たちが止める」
イグナスが答え、ガルドも頷いた。
俺は、時間の欄を作る。
術式を切り替える間。薬を飲む時間。石を替える時間。敵が距離を詰める時間。
どれも、紙の上では同じ単位で並ぶ。
だが、少しのズレが意味するものは、街道の会計とは違っていた。
「薬を飲む時間を、ゼロへしていませんか」
リシアに指摘され、俺は欄を見た。
間違いではない。書いていなかった。
書いていなければ、計算の上では時間がない扱いになる。
「すみません。飲んだあと、力が戻る時間も必要ですね」
「そう。飲んだ瞬間に、次の術式が使えるわけではないから」
彼女は、俺が王都で味を確かめた安い薬を示した。
今日は、それでは間に合わない場面がある。
高級薬を残しておいた理由が、目の前の谷へつながった。
ただし、高級薬を何本飲めば何でもできるという話でもない。身体と集中の負担は残る。
俺は必要な回数を増やす前に、切り替える条件を整理した。
1段目で止まらなかった個体が、決めた線を越える。
敵の後続が見え、次の群れに備える必要がある。
砦の兵が負傷し、前を守る人数が変わる。
その時、イグナスが短い合図を出し、リシアが術式を変える。
俺の紙を読む時間は、計画へ入れなかった。
戦いの最中は、見える合図で動く。
触媒と魔石の追加を、砦の補給窓口へ依頼した。
4200ルーン。
この砦へ持ってきた薬や石を、もう一度買ったことにはしない。不足する種類と数量だけ、追加する。
砦の兵に支給される物資とは、受領を分けた。
同じ棚から出る石でも、誰の活動費で受けた物か分かるようにする。
代金を払い、箱の番号と数量を確認した。
現金残高は、18070。
後半の交付30000は、まだ来ていない。
「残る金は、どれだけ?」
リシアに聞かれ、俺は残高の紙を渡した。
彼女は、数字を一度見てから俺へ戻す。
「分かった。必要な分を準備できた。あとは、使う条件を守る」
「余った石は、次へ持てますか」
「未使用なら。使いかけは、残量を確かめる。勝ったから全部消費したことにも、余ったから全部新品にも、しないでね」
俺は頷いた。
結果に合わせて記録をきれいにするより、使った物をそのまま確認する。
最初に聞いた時と、同じ考え方だった。
夜になる前に、砦の外で術式の位置を確かめた。
敵が来ない時間に、低い出力で地面の反応を見る。
谷には乾いた場所と、泥の残る場所がある。リシアは同じ出力で同じ距離へ届くと思わず、位置を少し変えた。
俺は地図を直した。
紙の寸法と、現場の寸法を合わせる仕事だ。
イグナスは、兵へ合図の意味を伝える。
ガルドは負傷者が壁の裏へ運ばれる道を歩き、階段に盾が引っかからないか確かめた。
エレナは、救護用の水と薬の置き場所を決めた。
「ここには、帳面の机を置かないでください」
彼女が1つの広場を指した。
俺は笑いかけて、やめた。
水車町で決めたことが、ここでも必要になる。患者の通り道へ、費用を確かめる人を置かない。
「壁の裏の倉庫へ置きます。ここでは、運ぶ人を手伝います」
「ありがとうございます。箱を開ける人も、必要です」
使う人が蓋を探さなくてよいよう、俺は薬箱の留め方を覚えた。
間違えた箱を開けないために、札も触って確認する。
紙の仕事が、紙を開かない手順へつながっていた。
迎撃が始まったのは、翌朝だった。
谷の奥から、黒い点が動く。
見張りの声が順番に壁を渡り、イグナスが剣を持った。
俺は帳面を袋へ入れた。
今日の数字は、昨夜までに見ている。
今から書くべき物は、あとで実際に使った数だった。
1段目の術式が、谷の地面へ走った。
土の線が持ち上がり、先頭の魔獣の脚が止まる。後ろの個体がぶつかり、群れの形が崩れた。
リシアは次の石へ手を伸ばさない。
まだ、条件に達していない。
イグナスとガルドが壁の前へ出る。
俺には二人の足元が全部見えない。壁の裏で、箱の蓋を開ける作業を続ける。
エレナに頼まれた包帯を出し、次の水を運んだ。
やがて、硬い個体が1体、術式の線を越えた。
イグナスの合図が上がる。
リシアが杖を持ち直した。
2段目の光が、敵の前へ集まる。昨日の測定の細い線とは違う、強い光だった。
壁の石まで、短く振動した。
俺は次の薬の箱を、取り出しやすい向きへ寄せた。
値段を口にする場面ではない。
必要な物を、必要な時に渡す。
最初の波が止まると、リシアは壁の裏へ戻った。
顔色は少し白い。高級薬を受け取り、ゆっくり飲む。
俺は使用した瓶を、別の箱へ入れた。
1本使った。
空瓶を見れば分かる事実を、記憶だけに頼らない。
「いまの出力は、予定より少し上げた」
彼女が息を整えてから言った。
「厚い個体が、2体重なったから。石の残りは、あとで測る」
「分かりました。変更した理由も、残します」
俺は短く答え、水を渡した。
リシアは受け取り、壁の外を見る。
「節約できたと言うには、まだ早いわね」
「はい。まず、ここを守れたか確認します」
その返事に、彼女は頷いた。
総額が下がることを、戦いの目的にしてはいない。
無駄な出力を減らし、必要な場所へ力を残す。昨日の2つの輪は、そのための図だった。
壁の上で、見張りがまた声を上げた。
俺は薬の箱から手を離し、顔を上げる。
谷の奥に、まだ黒い点があった。
最初より小さい群れだと、ここからは分かる。
同じように止まる群れかは、分からない。
イグナスが、壁のこちらへ戻ってきた。
「次は、少し早い。ナオト、救護の準備を続けてくれ」
俺は頷いた。
火力の見積書は、乾いた袋の中にある。
戦っている人たちは、その紙の外で次の判断を始めていた。




